第三十八話 ミヤルデの謀反 3/6

 そこまで徹底した、いや行き過ぎとも思える管理がされているアダンだからこそ、そこに居を構える「市民」にとっては安心、そして安全な場所なのである。

 警察官と呼ばれる治安部隊が十メートル毎に立っていて、不正や犯罪に目を光らせているとまことしやかに噂されていたようであるが、あながちそれは嘘ではないのかもしれない。

 おそらくそれらはすべて、アダン政府が市民に向けて行っている示威行為であろう。もちろん対外的にもアダンの特殊性を知らしめる意味もあるのであろうが。

 首都島アダンが別名警察都市と言われているゆえんもここにある。


 だが、アダンが昔から警察都市であったわけではない。

 もともとは無人島である。断崖に囲まれ、周囲は暗礁である。地上部分へ上がるのも命がけであり、土地もやせて水もない。要するに作物の栽培などには一切向かない。海賊が拠点に使おうにもどうしようもない断崖島であったのだ。

 アダンとは古代ディーネ語で「不可能」という意味だと伝えられているが、まさに住むには不可能な島であった。

 だが、後にアダン周辺が自然の「エア」にすっぽり包まれている事が判明したことから、ウンディーネの有力な資産家がいくつかの都市国家を動かし、大規模な資金投入を行って、有事に逃げ込む為の避難用別荘島として開発を行った。その結果ウンディーネ内では中立的な場所として着目されるようになり、都市国家間の会議が頻繁に開催され行われるうちに自然な流れで連邦の本部組織を置くに至った。

 その際、飛び抜けて巨額の資金を出したのがベンドリンガー卿と言われる海運で富を成したとされる人物である。


 ベンドリンガー家は、アダンの開発当初から住居をアダンに移し、その後も長きにわたりアダンの運営に深く関わっていた為、アダン政府は実質ベンドリンガー家の傀儡のようなものであったという説もある。

 自らは決して政府の役には就かず、常に相談役という一歩引いた場所にあって矢面に立つことなく、アダンを実質的に掌握していた。

 ベンドリンガー卿とは、すでに滅んだ小さな王国の爵位を持った貴族がその出自であるとされているが、詳細は不明で、いまだに家系図が完成していない。

 代々のベンドリンガー家当主は、自らの子だけでなく、養子をとり、その血がつながらぬ養子に家督を譲っていたとも言われている。

 理由については当然ながら不明であるが、推理自体はいくつもある。

 現在に於ける最も有力な説は、ベンドリンガー家には大きな秘密があり、その秘密を握る当主となる為には、一定の条件を満たす人間である必要があったとする考えである。

 アダンの中央部に立つベンドリンガー家には多くの謎があったとされていることから、ほとんどの人間は素直にその説にたどり着くわけだが、もちろんそれを裏付けるものはこんにちでもまだ何も出ていない。

 アダンが自然のエアの領域であるという「大いなる不思議」の秘密がアダン島の中心部にあり、ベンドリンガーはそれを知って、かつ制御ができていたのではないか? と推理する者も多い。

 その説を信じると、その「大いなる不思議」を制御ができる者こそ、ベンドリンガーの当主ということになる。そしてそれは血のつながりに拘泥する人の基本的な欲望をも超越した重要事項であったと考えられる。

 もちろんすべては仮説であり、もう証明することなどできない事なのではあるが……。


「武器は取られて服ははがされ、あまつさえ首輪まではめられる。そこまでしてアダンに行く必要がありますかね?」

 これはリンゼルリッヒの発言だった。

 彼はエスカがアダンに乗り込むのには、終始反対の立場を示していた。

「実のところ、あまり知られていませんが、アダンには正教会の居住区もあります」

「おまえは行ったことはあるのか?」

 エスカの問いに、リンゼルリッヒは首を左右に振った。

「私のような末席賢者ではとてもとても。そもそもその場所を知っているのは大賢者のみと言われています」

「ほう」

 エスカは思わず身を乗り出した。


「お断りしておきますが」

 エスカのその態度の意味に思い至ったリンゼルリッヒは苦虫を噛み潰したような顔で告げた。

「そこにニーム様がいらっしゃるなどとは考えない方がよろしいかと」

「だが、考えてみれば俺から離れるには一番いい場所じゃねえか?」

 リンゼルリッヒは「やっぱり」といった風に肩をすくませると、ため息をついた。

「敢えて申し上げますが……」

 エスカはリンゼルリッヒの言葉を途中で遮った。

「わかったわかった。と言うかわかってる。ついでに言うとおまえが今から言う台詞も全部わかってる。だから皆まで言うな」

「言っておきますが、私はその気になれば賢者会の伝信経路を通じてニームさまやジーナに連絡だけはとれるのですよ。エスカ様がこのようにいつまでもいつまでもめそめそじめじめしているという情けなーい報告を読んだら、ニームさまはさぞや心を痛められる事でしょう。心は千々に乱れ、もだえ死にされるやもしれません」

「てめえ、告げ口をする気か?」

「告げ口は大好物ですから。というか、末席賢者など告げ口くらいしか点数を稼ぐ方法はありませんから得意中の得意ですよ。そりゃもう、まことしやかに無いことや無いことを作文できます。試してみますか?」

 エスカは手を上げて降参の態度を示した。

「ニームはともかく、ジーナに石にされそうだからやめてくれ」

 リンゼルリッヒはエスカの態度に小さなため息をつくと、懐から折りたたんだ文書のようなものを取り出した。


「どちらにしろ、エスカ様が直々にアダンに乗り込むのは不確定要素が多すぎて、安全性の問題で賛成しかねます。たとえ付き従ったとしても、アダンでは私はただの機転の利く、頭脳明晰な優男に成り下がってしまうのですよ?」

「いや、さすがにそれは成り下がるとは言わねえだろ?」

「そんなことより、その不確定要素をさらに一つ増やしましょう」

 幾重にもたたまれた文書を一気に広げると、リンゼルリッヒはそれを恭しく掲げ、エスカに差し出した。

「なるほど」

 無造作に文書を受け取ったエスカは、一瞥するとすぐにそれを近くに居たデュナンの青年の目の前に突き出した。

 白を基調にしたフラウトの高級軍人用の服を身に纏った金髪の青年は、無言でそれを受け取ると、エスカと同様に一瞥しただけですぐ横に控えていた同じような白い軍装をした若いデュナンの女将校に文書を回した。

 茶色の髪と灰色の目を持つ髪の短い女将校は目礼して両手で文書を受け取り、それを部屋の上座に居るフラウト国王リムル二世にうやうやしく差し出した。



「どう思う、アキラ?」

 エスカは最初に手渡したフラウトの高級軍服を身に纏った短い金髪の青年将校に声をかけた。

 先ほどから大きな咳払いをしていたのはアキラ・アモウル・エウテルペであった。

「そうだな。カメは慎重派だと俺は思う」

「いや、そっちじゃねえ」

「ワニの方か?」

 エスカは肩をすくめると頭をガリガリと掻いた。

「いい加減、まともな会話をしようぜ。時間がもったいねえだろ?」

「おまえが言うな」

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