第三十七話 クランとペダン 4/5

 同じ事をエルデも感じたのだろう。

 いきなり両肩を抱くようにすると、エイルの顔をじっと見て、すまなそうに声をかけてきた。

「エイル?」

「ん?」

「ニームって言う子」

「うん」

「他の二人に大事にされとったなあ」

「ああ」

 何を言い出すのだろうと思って身構えていたエイルは、その一言でエルデの言葉の向こう側を感じる事ができた。

 おそらくエルデはニームの話をしたいわけではないのだ。

「オレにもそう見えた」

 エイルがそう言うと、エルデの頬にさっと朱がさした。

「あの……えっと」

「ん?」

「ウチも……甘えてええかな?」

 エイルの予想は当たった。

 だが、エルデのその甘えの本質が見えなかった。ニームがうらやましかったから、エイルに甘える事でその欲求を満たそうとしたのか、それともエルデにはエイルがまだ見つけられない「恐れ」のようなものがあり、それを振り払いたいという思いでエイルにすがろうとしているのか……。

 だがエイルはそんな事を考えるのはやめた。

「もちろん」

 そう言ってエルデに左手を差し出した。

 エルデは赤くほてった顔をぱっと輝かせた。まるで花が咲いたような笑顔でエイルの腕を抱きしめるようにすると、体をエイルに密着するように寄せて、その肩に頭を乗せた。

「こうしてくっついてると、めっちゃ安心する」

「ラウ達がそろそろ帰ってくるかもしれないぞ」

「うん。せやからキスは我慢する。一回してもうたら……たぶん長なるし」

「そうだな」

 ラウ達が帰ってきても、キスくらいはかまわないだろう、というわけにはいかない事をエイルはわかっていた。キスが問題ではなく、キスだけでは済まなくなるという事をエルデは言いたいのだろう。エイルもそれについてはエルデと同じだった。

 それでもエルデから求められれば断る事などできないエイルだから、腕をとってぴったりと寄り添う事でとどめてくれた事に対してホッとしていた。ホッとしつつも本音では残念ではあった。エルデが安心を求めているのであれば、それを強く感じさせてやりたかったからだ。

 でも、そもそも二人はラウ達に話があってその帰りを待っているのだから、今はそれが一番いいのだと言い聞かせながら、エイルはうっとりとして目を閉じているエルデの髪をそっと撫でてやった。





「どうした? さっきから黙りこくっているな」

 ニーム達三人は、ピクサリアに向かう馬車に揺られていた。乗り合いではなく、ジナイーダは岐路の為に貸し切りの馬車を用意した。往路も同じ馬車を使って、待たせてあったのだ。

 地震騒ぎの後で津波の危険を訴える声があちこちで上がっていた為、エルミナからはあっと言う間に馬車が払底していたが、相応の礼を前金で与え、市場から少し外れた場所に隠すようにして待機させていた為に、御者はニーム達を裏切らなかった。

 帰りの足の確保について問題が無い事がわかった三人はさすがに胸をなで下ろした。 ニーム達三人は中型馬車の独立した客室に座っていた。

 シーレンの言うとおり、ニームはエルデ達と別れてからあまり口をきかず、何かを考え込んでいる風情だった。

 そんなニームを心配顔で見つめるジナイーダを見て、シーレンがたまらずそう声をかけたのである。おそらくニームとシーレンの二人だけであったならば、声をかける事はなかったに違いない。

「気分が悪いなら、横になった方が楽じゃないか?」

「あ、いや。そう言えば気分が悪かったのだったな」

「おいおい……という事は治ったのか? それはよかったな」

 ニームはいや、という風に首を横に振った。

「それもあの治癒ルーンのおかげだな。むかついて吐き気がこみ上げてきたと思ったら、なぜかスッと消えてしまった。それ以降はすこぶる調子がいい」

 その言葉を聞いたシーレンは、さすがに驚きを隠さなかった。

「あのルーナー、単に怪我を治癒しただけではないと言うことか?」

 ニームはうなずくと、隣に座っているジナイーダに顔を向けた。

「ジーナ」

「はい?」

「ジーナはあのエルデと名乗ったルーナーの詠唱を聞いたか?」

 ジナイーダはうなずいた。その点については、ニーム同様気にかかっていたのであろう。

「当然、聞きはしました。ですがあれは私には未知のグラムコールでした。ニームさまはご存じなのですか?」

 ニームはしかし首を横に振って吐き出すようにつぶやいた。

「おそらく……いや、間違いなくあれはペダンだ」

「ペダン?」

 ペダンとはルートである三つのグラムコールとは全く組成を別にした基本文法を持つグラムコールの総称である。

 もっともペダンという言葉はあるが、ペダンと認定されたグラムコールについての詳しい資料は全くない。それは基本的なグラムコールとは全く違う文法を一から作り出せる者がそうそういない事を証明していた。

 当時の研究者の間でもペダンとは「第四のルート」的な存在と言うよりも、特定のルーンの為だけに作られた「亜流」の一つに過ぎないのだという結論であった。

 つまり、「体系的な文法を有してはいないが、特定のルーンを発動させる為の文法にはルート系のものが一切使われていないルーン」をペダンと称する事の方が多かった。

 だがニームが敢えて使った「ペダン」とは本来の意味のものだと思われた。

「私はタ=タンに伝わるユラト系のグラムコール、クリカラを継がなかった。私には合わないと思ったからだ。だから自分に合うグラムコールを見つける為に考えられるだけのグラムコールを研究した」

 そう言って眉根に皺を寄せ苦々しい顔をするニームを見て、シーレンとジナイーダは顔を見合わせた。

「結局、私の理想に近いグラムコールは、ルートであるクランだったという事だ」

 ニームが何を言わんとしているのかは二人にはわからなかった。だが、クランというグラムコールが必ずしもニームの理想ではない、という事は理解出来た。

「いまだから言うが、私は自分だけが使える、自分の思い描くルーンにふさわしい、単純で美しい様式美に満ちたグラムコールを自ら編み出そうと試みた。そしてすぐに挫折した」

 そう言うと、ニームは自嘲がこもった小さな笑い声を漏らした。

 シーレンはそんなニームを見るのは初めてであった。

「お前ほどのルーナーでもまったく新しいグラムコールとやらを作り出すのは無理だったという事か?」

 シーレンがそう言うと、ニームは言葉の主をにらみ付けた。

「無理ではない。勿論可能だ」

 目を吊り上げてそう言うニームに、シーレンは何も言わなかった。

 ニームの言葉に矛盾はない。ニームはできないとは言っていない。挫折したと言っただけである。

「可能だ。そうだな。五十年もそれだけに没頭できればな」

 単純な試算をしてみたら、それくらい時間が必要だという事がわかったのだという。

 ルートであろうがペダンであろうが、グラムコールとは所詮「言葉の組み合わせを精霊波に理解させる言語」の体系である。既に精霊波が理解している言語とその組み合わせを使うからこそ、その一生を終える前になんとか人はルーンを使う事ができるようになるのだ。元になる言語を利用するからこそ傍流を作る事が可能なのだ。また、だからこそ傍流と呼ばれるわけでもある。

 つまり、始祖ドライアドの三人の子供達はそれぞれまったく手本がなかったからこそ、それぞれが独自の文法を作り上げる事ができたのだと言い換える事も出来る。

 そしてシーレンとジナイーダはルートと呼ばれるドライアドが産んだ三人の子供の神話を思い出した。

 キュアとユラトとクランは、人にルーンをもたらす術を見つける為に、その一生を費やしたという言い伝えを。

 つまり、ドライアドの三人の子供と同じ知能があったとしても、生涯を捧げるほど長きにわたって携わらねばなすことができない作業だと言う事である。

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