第三十六話 接触 6/7
「その短剣は、名前は出せませんが、ある人から貰い受けたものです。そうとう古いものだそうですが、オレは由来までは知りません」
「なるほど。その手の剣を託されるという事は、結構な腕前を持っているということだな。ますますもって興味深い」
相手の興味をはぐらかすつもりが、むしろさらに興味を惹いてしまったエイルは、冷や汗で背中がべたつくのを感じた。
エルデに興味を持たれるのも困りものなのだが、妖剣ゼプスに興味を持たれるのも避けたかった。手に取って見たいと言われて、気を悪くさせないように上手く断れる自信がなかったからだ。
何しろゼプスと契約をした正統な持ち主ではない人間が鞘から剣を抜き放っても、そこにあるのは刀身のない柄だけなのだ。それはもはや剣ですらない。その際の上手い言い訳を、エイルはまだ用意できていなかった。
いっそ「その剣は儀式用の飾りで、剣ではない」と言ってこちらから相手に渡してみるのも手だったが、相手が高位のルーナーやフェアリーであった場合、ゼプスの持っているエーテルの強さに気付く可能性もあった。そちらを指摘され質問される方が面倒だと言えた。
「はーい、お待たせ! タコ定食三つねぇ」
そんな事を思っているうちに、明るい声で例の給仕がやってきてテーブルの上に皿を並べ始めた。
「それからこれは私からのお・ご・り」
そして続けてテーブルの上に置かれたのは、陶器のグラスに入った飲み物だった。
「ウチ特性の乳清飲料よ。さっぱりしてて飲みやすくて栄養満点よ。あ、美容にもいいのよ。じゃあ、ごゆっくり」
おごりと言われてもどうしたものかと逡巡しているエイルに、ジナイーダが笑いながら声をかけた。
「おごりという事ですから、ありがたく頂戴しておいてはいかがですか?」
「はあ……でも……」
「私達は遠慮無くいただきますよ」
「そうだな。熱いうちに食べよう」
ニームは運ばれてきた湯気の立つタコ定食に、さっそく取りかかった。それを見ていたシーレンも興味をゼプスからタコ定食に移して、フォークとナイフを取り上げた。
その後は食事をとりながら、味の感想や他の街で食べた食事の話題など、他愛のない話がニーム達一行の間で繰り広げられ、エイルは「おごり」の乳清飲料を口にしつつ、話題がようやく自分達から逸れてくれた事にほっとしていた。
だがいつまでもそういうわけにはいかなかった。
「不躾な質問ばかりでごめんなさい。お二人はどういうご関係?」
ジナイーダが愛想の良い笑顔でエイルにたずねた。
常識的に考えてもその質問は充分想定できるものだった。たとえ興味が無くとも社交辞令として口にするであろう言葉だ。立場が違えばエイルでも尋ねただろう。いや、むしろエイルもニーム達の関係や背景には興味があると言えた。
「一応、その……」
意思に反して顔が熱を持つのを感じながら、エイルは横で目を閉じているエルデを見つめながら口ごもった。
「なるほどなるほど。仲が良いのですね」
皆まで言うな、というジナイーダの言葉に、エイルは思わず言葉に力を込めた。
「いえ、オレ達、正式に婚儀をあげてるんで、その……」
「あら」
「へえ」
「ほう」
エイルのやや大きな声で発せられた言葉に、三人は即座に反応した。
「これは失礼しました。訳ありかな、などと思ったもので。好奇心丸出しで妙な詮索をしてしまいました」
ジナイーダはそう言うとぺこりと頭を下げた。
だがニームは、若い二人が婚儀をちゃんとあげた夫婦だと知るや、ジナイーダとは逆に興味を素直にぶつけた。
「まだ若いのに正式な婚儀をあげるとは、なかなか律儀な性格なのだな」
「ニーム、お前がこの人に『まだ若い』と言うのはどうなんだ?」
「わ、私は成人だ」
シーレンの横やりに、ニームは憤然として抗議した。
「成人じゃないとは言ってない」
「だったら若く見える者に若いと言って何が悪い?」
「私は悪いとは一言も言っていない。どうなんだ? と尋ねただけだ」
「はいはい、お二人ともそこまで」
ジナイーダはそう言って二人の口論に終止符を打った。滅多な事では止めに入らないジナイーダがそう言う時は、素直に従う事がニームとシーレンの間の暗黙の了解事項だった。
「すみません、この二人はいつもこうなんです。どうにも仲が良すぎて」
ジナイーダがそう言ってエイルに謝ると、ニームが抗議の眼差しをジナイーダに注いだ。しかしジナイーダからじろりと一睨みされると不満げではあるが目をそらして、口を挟む事はしなかった。
「なんとなくわかります。オレ達も似たようなものです。いつもどうでもいい事でやり合ってます」
ジナイーダにはそう言ったエイルだが、もう長い間エルデと口げんかや口論をしていない事に、その時気付いた。
考えてみれば「あの夜」から、エルデはエイルに対して口論を挑んだり馬鹿にしたような発言をする事がなくなっていた。
エイルに対する軽口のかわりに、今までほとんど聞いた事がなかったような優しい言葉をかけられる事が増えていた。
朝夕の気温が変わる頃に「寒うないか?」といたわりの言葉をかけられた時はさすがにエルデの額に手を当てて熱があるのか心配して大憤慨されたくらいだが、それだけエルデの雰囲気はがらりと変わったのだ。
今までには一切なかった事だが、エイルに対して甘える事も増えた。もちろん違和感を覚えないではなかったが、エイル以外に対してはいつものエルデで、つまりは両方ともエルデの素顔なのだと理解してからは、新しい一面にも慣れてきていた。
「そうなんですか。でも、拝見していると口げんかをするようには見えませんよ」
ジナイーダはそう言うとにっこりと微笑んだ。
「あなたが奥さんを見つめる眼差しは、見ているこちらが恥ずかしくなるほど優しいので」
エイルは怪訝な顔をすると、ジナイーダはそう言って返した。
「ジーナの意見には同感だ。その甘々振りは、まだ新婚と言うところかな?」
ニームの偉そうな口調にジナイーダは思わず吹き出した。
「何がおかしい?」
案の定、ニームは敏感に反応した。
「シーレンがさっき指摘したのも無理はないと思いました」
「う、ぐぬぅ」
「ああでも、年齢は一番下でも私たちの中では婚儀をあげているのはニームだけですし、独身の私たちがとやかく言うのは僭越と言うべきですね」
僭越と言いながらも、なおおかしそうに笑っていたジナイーダだが、その言葉を発した直後にニームの様子が変化したのを見て顔色を変えた。
「あ。ジーナのばか」
シーレンが少し慌ててジナイーダを咎めたが、どうやら後の祭りのようであった。
「え? え?」
エイルは目の前のニームの、突然の変化に驚いていた。突然、涙をぼろぼろとこぼし始めたのだ。
「ごめんなさい。この子は少し情緒不安定なんです。あなたたちのせいではなくて私が禁句を踏んでしまって」
「禁句?」
シーレンはニームの肩をそっと抱いてやると、ため息をついてエイルを見た。
「こいつはこう見えて、本当に成人なんだ。そしてほんの四ヶ月前に婚儀をあげたばかりの新婚なんだが、そりゃもう見ているこっちが胸焼けするほどダンナにメロメロときてる」
「はあ」
「だが、事情があってな。二度と会えなくなった」
「え?」
シーレンの言葉に反応して、ニームはこらえていた泣き声を上げ始めた。
「そんな顔をするな。死別ではない」
シーレンが口にした死別という言葉に反応するかのように、脳裏にエルネスティーネの顔が浮かんだエイルは、反射的に顔を強ばらせた。
「詳しくは話せないが、そういうわけで、こいつに夫を思い出させるような言葉や名前を口にするのは我々の間では禁忌とされている」
「なるほど、そうですか」
「子供みたいだが、こう見えて普段のこいつは高位の力を持ってる立派なルーナーなんだ。見苦しいかもしれんが、少しすれば落ち着く。だからこらえてくれると助かる」
シーレンの説明にエイルは返すべき言葉が思い浮かばなかった。死別ではないというが『二度と会えない』のならば変わりない。それはエイルやエルデがエルネスティーネを思う時に感じる痛みと同じ種類のものであろう。
エイルは何も言えなかった。
探すまでもない。慰めになるような言葉などありはしないのだから。
だがエイルはそれでもどうしてもニームに伝えたい言葉があった。
それは慰めの言葉ではなく、自分自身の思いだった。
「わかります。実はオレ達もつい先日、大事な……とても大事な人を亡くしましたから」
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