第三十六話 接触 5/7

「いいだろう。先方が迷惑で無ければ我々は問題ない」

 ニームはそう言って相席を承諾した。同席の相手が噂好きの商売人や絡んでくる酔っ払いでないと知って安心したのではなく、給仕の言う「美人」に反応したことは、ジナイーダにはわかっていた。

 こういう店での相席はよくある事だったが、相手によってはニームは即座に席を立つ事も多かった。今回も多少の時間であれば待つつもりでいたのだろうが、給仕の情報を聞いて気が変わったと言っていいだろう。

「それで頼む。それからこれは相談だが、さっきの代金で相席の客の分も払いたいんだが……」

 シーレンがそう言うと給仕は二つ返事で承諾した。

「そりゃもう、おやすいご用よ。それよりお釣り、渡すわよ。さすがにアレをそのまま全部はもらえないわよ」

「いや、気遣いは要らない。今日の私はすこぶる付きに機嫌がいいんだ。籤にでも当たったと思ってくれ」

 シーレンはやんわりと、しかし片手を揚げて断固とした態度で辞退した。給仕はそれを見て苦笑すると、先に立って三人を店の奥へと誘った。


「ピクサリアに行ったとたん、またエルミナへ舞い戻る事になってやれやれと思っていたが、幸先が良さそうだな」

 シーレンの言葉はニームに掛けられたものだ。給仕には聞こえない程度の小声であった。

「うむ。その美人さんとやらがエコーが聞いたという人物である可能性は極めて高いな」

「もはや偶然を通り越して運命に近い。まさにタコ定食さまさまだな」

「まったくもって同感だ」


 案内されたテーブルは入り口からは隠れるような一角にあった。テーブルを挟んでデュナンがゆったり三人座れる席が向かい合わせにある。その一方の席に先客は座っていた。つまり三人掛けの席が一つ空いている格好だ。

 ニーム一行はデュナン二人とアルヴィン人の三人組である。デュナンと言っても一人は正確にはデュアルで、アルヴィンと変わらぬほど小柄なニームだから、その席はニーム一行にとってゆったりとしたものであった。

 多少の狭さを覚悟していただけに、ジナイーダはほっとした。

「相席を承諾いただいて感謝する」

 シーレンは軽く会釈すると、それとなく先客の様子を観察しながら最初に席についた。その際にやや大きな動作で腰の短剣を外して、壁の剣架にたてかける事を忘れなかった。それは剣士である事の無言の自己紹介と、相手に合わせた礼儀を示す作法であった。

 その席の剣架には、先客がすでに短剣を架けていたからである。


「んじゃ、皆さん仲良くねー。料理はすぐに持ってくるわね」

 給仕は明るい声でそう言い残すと、軽やかな足取りで厨房へと消えていった。

「こちらこそ、混んでるのに広いテーブルを二人で占領して申し訳ないって思ってたんです。さっきまで連れが居たので格好は付いていたんですが、さすがにそろそろ居心地がわるくなってきてて。とは言えすぐに店を出られない事情があって……」

 先客は給仕の情報通り、若い男女だった。

 シーレンに挨拶を返した若い男がいう「事情」はすぐに飲み込めた。どうやら連れの女の具合が悪いようなのだ。

 眠っているのかもしれないが、それにしてもこう言う場所で眠るというのは普通ではない。テーブルの上にはタコ定食が二皿載っていたが、女性客の前に置かれた皿には手が付けられていなかった。

「失礼だが、お連れは体調が悪いのではないのか? もしそうならこう見えて私には多少医学の心得がある。よければ診させてもらいたい」

 ニームの申し出に、しかし若い男……エイル・エイミイは首を横に振った。

「ご心配いただきありがとうございます。でも大丈夫です。少し眠っているだけですから」

「眠っているだけ?」

「ええ。ただ、ちょっと変わった体質で、一度眠るとちょっとやそっとでは起きないんですよ。じきに目を覚ますと思います。我々のことは気にせず、食事を楽しんで下さい」

 エイルの言葉は丁寧で友好的なものだったが、その表情は硬かった。もとよりエイルは演技で表情を使い分ける事は得意ではない。エルデにあまり興味を持って欲しくはなかったが、目が覚めるまではなんとかごまかすしかなかったのだ。

 エルデを抱きかかえて屋敷への転送場所まで行くのはさすがに目立ちすぎる。そもそもアルヴならまだしも、それだけの体力がエイルにはなさそうだった。

 マントのフードで顔の半分以上が隠れていたので素顔を見られる危険はなかった。ただ眠っているのではなく、厳密にいれば仮死状態に近い状態と言える。下手に触られると極端に少ない呼吸と脈拍がばれて、眠っているわけではないと判断されるだろう。そうなると当然ながら面倒な事になる。

 まさか子供のような相手が医者だとは思わなかっただけに、予想外の緊張がエイルに走っていた。

 それとなく相手の様子をうかがったエイルだが、シーレンとジナイーダの視線が自分に注がれているのを見てたじろいだ。

 それは様子をうかがっているという種類のものではなく、まじまじと穴が空くほど見つめていると言ったほうがいいくらい、それはもう執拗に見つめられていたのだ。

「えっと……オレの顔に何かついてますか?」

「え?」

 エイルの言葉で二人は我に返ったようだった。

「いや……そうではない。つかぬ事を尋ねるが、以前どこかで会った事はないか?」

 エイルの指摘を受けて多少なりともバツが悪そうな表情でシーレンがそう尋ねると、エイルよりも先にジナイーダが驚いたような声を上げた。

「え? あなたもですか?」

「ジーナもか?」

「えっと……」

 エイルは答えに窮した。勿論エイルの記憶を探っても、シーレンとジナイーダの顔はない。だが、二人が妙な演技をしているのでなければ相手には覚えがあるのだろう。

 エイルはすぐにルルデ・フィリスティアードの事を思い出したが、勿論その名を口にすることはしなかった。

「気のせい……だな」

「私も気のせい、のようです。何となく会ったような、会ってないようなそんな感じがしたもので」

「はあ」

 エイルは自分でも間の抜けた返事だと思ったが、それ以外の対応が思いつかなかった。

「話は変わるが、お見うけするにあなたは剣士のようだ」

 シーレンもおそらくバツが悪かったのだろう。あからさまに話題を変えてきた。

「旅装をされているところを見ると兵士ではないようだが、この町にはどんな用件で?」

 シーレンは剣架に立てかけられているエイルの短剣に興味を持ったようだった。

「あ、いや。これは申し訳ない。詮索するつもりはなかった。ただ私も剣士の端くれなので、こういう珍しい短剣に出会うと興味をそそられてしまう。許して欲しい」

 エイルはもちろん、長い金色の三つ編みのアルヴィンが剣士である事には気付いていた。いや気付かされていたと言った方がいいだろう。

 そして同じ剣士としてシーレンの身のこなしが「にわか仕立て」ではなく本物である事も理解していた。

「いえ、人捜しをしているんですが、ちょうど見つかったところです」

 これは嘘ではないから、エイルも演技をする必要が無く、すらすらと言葉が口を出た。さらに「既に見つかった」という一文を入れる事で「誰を探しているのか」という問いを封じる事もできた。

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