第三十四話 邂逅の予感 3/4

「姉さん」

 呼びかけるのと扉が開くのはほぼ同時だった。

 突然の訪問者に部屋にいた全員の視線が声の主に集まった。

 それを見て、訪問者は続けて声をかけた。

「あら、お客様?」

「カノン」

 エコーは入り口に立って部屋の中を覗いている訪問者の名を小さく叫んだ。

「あ!」

 エコーの「お客様」の姿形を認識すると、カノナールは硬直した。もちろん、昨夜見た「人の姿をした精霊」がそこに居たからだ。

「ええ?」

 ニームを凝視したカノナールは再度驚きの叫び声を上げた。

「夕べのあれは……夢じゃなかったんだ……」

 六つの目に見つめられながら、カノナールはそうつぶやいた。

「それって、ひょっとしてカノンが今朝話してた?」

 カノナールはうなずいた。

「とりあえず扉を閉めてくれぬか?」

 固まったままのカノナールに、ニームはそう声をかけた。目を細めてカノナールを見つめているニームは突然の来訪者にもかかわらず、落ち着いていた。

「手間が省けた。そちらから来てくれるとはありがたい」

 

 ニームの言葉の意味を理解出来た者はその部屋にはいなかった。もちろんシーレンも気縁な顔をニームに向けた。

「私が意味も無くフラフラと外をさまよっていたわけではないという事がわかったか?」

「この娘を探していたと言うのか?」

 ニームは尊大な態度でうなずいた。

「私の行動には常に意味があるという事だ」

「いや、ちょっと待て」

 シーレンはにやりと笑って見せたニームを睨んだ。

「この娘とはどういう知り合いだ? 『夕べのアレ』とは何の事だ?」

 ニームはシーレンの追求でいきなり不機嫌な顔になり、そっぽを向いた。

「夕べ、散歩をしてるところを……見られた」

「夕べとはいつだ?」

「それは……夜中……かな?」

「私に尋ねられても困る……いや待てよ。夜中と言えば土砂降りだぞ?」

「そう言えば、土砂降りであったような」

 ニームはそう言うと視線をカノナールに向けた。

 カノナールはそれをニームに睨まれたと理解した。だが数秒後にはそれがニームの通常の表情なのだという事を理解した。そしてニームが自分に確認を求めたのだということも。要するカノナールが見た夢は夢ではなくて現実であったという事である。

「ええ、結構な降りだったと思います」

 カノナールの答えにシーレンは気色ばんだ。

「お前、土砂降りの中をほっつき歩いてたのか? 体調が悪いってのになぜそんな事をするんだ!」

「落ち着け、シーレン」

「これが落ち着いていられるか。この事をジーナが知ってみろ」

「いや、面倒だからジーナには内密に頼む」

「シレっとした顔で言うな。ジーナがどれだけお前の事を心配していると思ってるんだ? そもそも今日だってあいつはお前の為に」

「それは重々わかっている。だが心配には及ばん。なぜなら私に雨はあたらないからだ」

「はあ?」

「まあ、足下は多少濡れはするが、さすがに空中に浮かぶことは出来ぬからな」

「雨を防ぐルーンでもあると言うのか? 聞いた事がないぞ」

「うーん、ルーンではないが……」

「あの……」

 シーレンとニームの会話におそるおそるカノナールが口をはさんだ。

「なんだ?」

 シーレンがじろりと睨んだが、カノナールはおずおずと続けた。

「その人の言っている事は……その……本当です。暗闇で体がぼうっと光っていて、雨が全部避けているようでした」

「なんだと?」

「そう言う事だ」

 ニームは満足そうな顔でそう言うと、心なしか胸を反らせて見せた。

 そんなニームの様子を見ていたエコーだが、いきなり小さな声を上げると慌てて近くにあった外出用の上着を掴み、それをニームに差し出した。

 驚いたのはニーム達である。特にいきなり服を差し出されたニームは口をぽかんとあけてエコーを眺めていた。

「これを」

 エコーはそういうとカノナールをチラリとみた。

「とりあえずこれを着て、その……お隠しくださいませ」

「隠す?」

 シーレンはニームとエコー、そしてカノナールを交互ににらみ付けるとため息をついた。

「お前のその裸同然の透け透けの服が気になるそうだ」

「ああ、寝間着のままであったな。これは失礼した。だが、女同士でさほど気にする必要もあるまい」

 ニームはそう言いながらも、素直に上着を受け取った。その場で立ち上がって上着を羽織ると、長身のエコー用のそれは、ニームにはブカブカの外套になった。


「とにかく夢を見て目が覚めてしまい、その後は寝付けなかったのだ」

「なるほど。雨で夜中だから誰も居ないだろうと思って外に出た。そしてあの娘にバッチリ見られたというわけだな」

「まあ、そう言うわけだ。一応気付いた時に睡眠魔法で眠らせはしたが、念のために口止めをしておくべきかどうか、どちらにしろまずは様子見と思って足を運んだだけだ。気まぐれの散歩ではない」

「いや、だからそもそもお前が夜中に、しかも雨の中うろうろしなければよかっただけの話だろう? それをあたかも当然の行為のように偉そうに語るな」

「おお、そうだ」

 ニームは目を吊り上げて抗議するシーレンから顔を背けると、カノナールに向かって声をかけた。

「なかなか見事な金髪だな。金髪というよりはもはや黄色と言った方がいいかもしれんが」

「おい」

 あからさまに無視を決め込まれたシーレンはニームの顎を掴むと自分の方へ顔を向けさせた。

「い、痛い痛い!」

「やかましい」

 ニームは頬を膨らませて抗議したが、シーレンは取り合わなかった。

「まったく……あの方がお前の警護になぜ私を指名したかがよくわかった」

「どういう意味だ?」

「あの方が指名したのがイブキやクシャナでなくてお前は世界一運がいい女だと言っているんだ」

「だから、それはどういう意味だと問うておる」

「私と違って、あいつらは言葉より先に手が出る」

「お前も手を出すではないか」

「あいつらのは警告無しだ。しかも二人揃って相手が女子供だからと言って手加減はしない冷血漢だぞ。むしろ生意気なガキが大好物だからな。お前は一日中ヒーヒー言って泣きわめく事になる」

「だ、大好物をいじめるのか?」

「いじめなどしない。大好物に教育するのが好きなだけだ」

「な、なんだとう?」

「いいから座れ。いちいち立ち上がるな」

「私に教育とはなんだ、教育とは! 私は大人だぞ」

「誰が大人だ」

「ちゃんと成人している。それに既に婚儀も上げている」

「あ……」

「う……」

 けんか腰で言い合いをしていた二人の言葉が、急に途切れた。同時にニームの表情が崩れ、その茶色の目から涙がぼろぼろと流れ出した。

「しまった」

 シーレンは小さく舌打ちをすると、急に泣き出したニームの頭を抱きかかえた。

「よしよし。ああもう、泣くな、ばか」

「うううう」

「ひょっとして、夢っていうのはダンナの夢だったのか?」

「うわああ」

 泣くなと言われたニームは、しかしシーレンの胸に顔を埋めて本格的に泣き始めた。シーレンの質問に対する答えとしてはそれで充分だった。

 シーレンはそれ以上何も言わず、ニームの頭を優しい手つきで撫でた。

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