第三十三話 混迷する大戦 4/5

 エルネスティーネの身柄確保に失敗した場合、もしくは生きていられてはむしろ面倒な場合にも、サミュエルは備えをしていた。

 そう。

 いつでもエルネスティーネの命を奪える、ティアナ・ミュンヒハウゼンという「手段」を持っていたのだ。

 切り札と言い換えてもいい。

 推測にしか過ぎないが、エルネスティーネにルネ・ルーが随行する事になったのは、サミュエルの第一の誤算であったろう。

 突然現れ、水のエレメンタルだと紹介された少女を、サミュエルはいったいどんな気持ちで眺めたことだろう。

 それはアプサラス三世の腹心であるはずのサミュエルに、ある疑問を植え付けるきっかけとなったのは間違いない。

 つまり

『アプサラス三世は腹心であるはずの自分に対して、多少なりとも何らかの疑いを持っているのではないか?』

 サミュエルはそう考えたのだ。


 だからこそサミュエルは、戴冠したイエナ三世こそ本物の風のエレメンタルであり、自らが送り出したエルネスティーネが偽物であるかもしれないと考えはじめたのである。

 欺いたつもりが、欺かれていたのかもしれない。サミュエルの中にはそんな迷いが生じていた。


 イエナ三世が本物のエルネスティーネであったとすれば、むしろ偽物には生きてもらわねばならなかった。もちろん偽物を「本物だ」と言い張るためである。自らの旗印としてはもはや本物であろうが偽物であろうが問題ではない。そこにイエナ三世がいれば、自軍の兵達は納得し、その士気は上がるのである。

 この時点でサミュエルは息子のカテナがエルネスティーネ達とヴェリーユで出会い、いったん確保に失敗した後、始末する方向に方針を変えた事をまだ知らなかった。なぜならそれまで彼が持っていたヴェリーユとの強力な情報伝達経路が失われていたからである。


 シルフィード王国旧都エッダの王宮には、いくつかの地下道があった。それだけでは別段珍しいことではない。王宮であれば抜け道の一つや二つ、ない方が不自然と言っていいだろう。だがエッダの王宮地下に作られていた「道」は単なる地下道では無かったようである。

 簡単に説明するなら、双方には遠隔移動用の精霊陣が設置されていたと見ていい。

 今日ではその仕組みも文法も伝わっておらず、果たしてサミュエル・ミドオーバがそのような能力まで編み出していたのかと問われるとはっきりとした答えを出せるものはいない。

 しかし、サミュエルが作ったのでは無いとすればその信憑性は多少なりとも変化する。

 亜神、具体的には四聖がまだ各国の深部と関わっていた時代に彼らが作ったものだとすれば、それはあり得る話になる。いや、サミュエル・ミドオーバが三聖蒼穹の台や《深紅の綺羅》と交流があったことを考えると、むしろ彼らが設置したものと考える方が自然であろう。サミュエルはそれを応用してヴェリタスではなく、ヴェリーユとの間の経路を確保したのであろう。

 問題はその移動装置と呼ぶべき精霊陣が、大葬の直後に破壊され用をなさなくなっていた事である。大葬の日の各陣営の動きを知る我々はそれがミリア・ペトルウシュカの手による工作だと推理する事ができるが、サミュエルにとってその当時はまだ、ミリアという人物は未知の存在であった。

 ヴェリタスとの情報伝達経路が健全であったならば、堂頭ノルドルンドは即座にヴェリタス大聖堂に戻り、乱れていた新教会の立て直しがもう少し速くなっていたに違いない。その結果としてのつまらぬ悲劇を一つと言わず回避することが可能だったのだ。

 そういう意味ではサミュエル・ミドオーバとミンツ・ノルドルンドが同盟する陣営は周到な用意は行っていたものの、事態は想定を越えた速さで展開し、対策がそれに間に合わなかった反動があったといえるだろう。


 本来ならばノッダ内部にも自分の強固な地盤を築いた後に事を進める予定だったサミュエルは、リーン・アンセルメの巧みな立ち回りによりノッダへのとっかかりを作れないままイエナ三世の遷都宣言を聞くことになった。

 ミンツも同様である。余裕を持ってまずはカテナに自らの補佐役をさせた後、一定の功績を立てさせた上で副堂頭の地位を与える予定が全て狂った。

 全ては《蒼穹の台》が突然エッダを訪問した事が引き金になったと言えるだろう。

 おそらくサミュエルの筋書きでは《蒼穹の台》の登場はもっとずっと後になってからだったに違いない。しかし幕が上がる前に後半の登場人物が前舞台にひょっこりと姿を現してしまったのだ。

 サミュエルは自ら書き上げた台本の変更を最小限に抑える最良の方法として《蒼穹の台》を葬り去る道を選んだ。

 サミュエルは亜神の弱点を知る数少ない人間である。伝承ではその知識を使ってすでに《深紅の綺羅》を手にかけた可能性さえ疑われている。

 そんな事など露知らぬ《蒼穹の台》は、亜神らしく無防備な姿でサミュエルの前に現れ、用意されていた罠……それはおそらく非常用であったのであろう……にはまり、そして倒れた。

 《蒼穹の台》が存在しない事を前提に動き出したサミュエルは、しかし焦っていた。《蒼穹の台》がサミュエルの計画を嗅ぎつけたとするならば、それは《蒼穹の台》一人が知るだけでは済まないはずであった。

 サミュエルは《蒼穹の台》に白木の杖を突き立てた時、すでに正教会と全面対決をすることを決意していたのである。正確には正教会の裏側に君臨する「力を持つ者」達である。

 もちろん、彼は賢者会に対しても手を打っていた。

 彼にとってはその為の鍵が新教会、いやミンツ・ノルドルンドの存在であった。

 ミンツの持つ僧正と呼ばれる組織は彼にとっては「対賢者組織」と同格であった。

 新教会は時間をかけて正教会の賢者会に対する為の準備を進めていた。それは後に判明した事であるが、今日では定説となっている。なぜならサミュエル・ミドオーバがその活動に関わっていなかったという証拠が見つかっていないからだ。


 サミュエルとミンツの本来の計画はこうである。

 まずサミュエルがシルフィードを内部から掌握した後、シルフィード軍を用いて、新教会と連動するように正教会を潰す行動に出る。

 そこで正教会を国教としているドライアドとの戦いは新教会と正教会との代理戦争となり、それは双方にとって「聖戦」と呼ばれるはずであった。

 サミュエルはそちらについても既に行動を起こしており、僧正を使って賢者を個別に攻撃・排除という手段をとっていた。要するにドライアドにとって邪魔になる正教会を、シルフィード王国に叩かせようという腹づもりである。敵と敵を戦わせ、双方を弱体化した後に、個別に潰すという目論見だ。

 彼の工作はそれなりに成果を上げていたらしく、正確な数値は一切不明ながら、月の大戦勃発当時には正教会陣営にいた本来の意味の賢者の数はごく少数になっていたという説が有力である。

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