第三十三話 混迷する大戦 5/5

 問題は籠城を決め込むことが確実なイエナ三世陣営、すなわちノッダは、エッダからは前述の通り相当な距離がある事であった。

 移動が伴えば道中に展開しているノッダ軍との戦闘は避けられない。それを裏付けるように相当数の王国軍が布陣しているという報告が既にエッダには届いていた。

 さらにノッダまで辿り着いたとしても、そこにはエッダ軍にとってもっともやっかいな人物がいた。

 イエナ三世である。

 力の弱い、ただの風のフェアリー、イース・バックハウスではなく、戴冠した女王は、実は本物の風のエレメンタルであるエルネスティーネ・カラティアである可能性があった。

 エッダ軍の慎重さを見ればわかる通り、サミュエルはイエナ三世が本物のエレメンタルであると判断していたことは間違いない。

 イースには大葬の際に見せたような天空を覆う竜巻を作り上げ、制御する力などは無い。それは幼い頃からイースを知っているサミュエルが一番よく知る事であった。

 遷都宣言をしたイエナ三世がエルネスティーネの変わり身であるイース・バックハウスであれば、その力はせいぜい子供の背丈ほどのつむじ風を、それも数秒間だけ発生させ、掃き貯めた枯れ葉の山をどうにか崩してその場のお茶を濁す程度の芸当しか見せられないはずだった。

 だがそのサミュエルの目の前でイエナ三世が行ったのは、足下の空気をかき混ぜるような遊びではなく、エッダ全体を包み込むほどの広範な大気を、直接のその意思の下に置くことだった。ゆっくりとした上昇気流を作り出し、その方向を統率制御して回転させ、凶悪きわまりない竜巻を引き寄せる事だったのだ。

 竜巻の存在、それこそがサミュエルのノッダに対する行動を慎重にさせた一番の理由であった。

 ただ一人たりともエレメンタルの力を持つ者を直接的な対抗勢力としてはならない。

 事を起こすにあたり、エレメンタルだけでなく、それに準じる者も完全に封じる。それがサミュエルの行動の下敷きであり、それをもとに周到な準備をしてきたのだ。ティアナ・ミュンヒハウゼンを育て上げ、無意識の暗殺者として仕立てた後に切り札として側に付ける念の入り様を見ても、彼がいかに時間をかけて周到に動いていたかが分かろうというものである。


 サミュエルの陰謀に気付いたものの、絶対的な時間が足りなかったノッダ陣営。

 対して計画よりも早く、その陰謀を三聖蒼穹の台ことイオス・オシュティーフェに気付かれたと思い込み、事を急いたエッダ陣営。

 ひたすら機をうかがっていたドライアドの五大老。

 表面上の対決構図を成すこの三者を俯瞰するとそう言う事になる。

 つまり、戦略的にはドライアドの圧倒的な優位で「月の大戦」は始まったのだ。

 だが、そこに第四、第五の勢力……いや思惑が絡んだ為、ドライアドの戦略は大きく狂うことになる。


 短期間で決着をつけられなかった事がドライアドの最大の失策と言えるが、そもそもイエナ三世率いるノッダ陣営は誰もが予想し得なかった程強固だったのだ。

 それはドライアドだけでなく、エッダ、すなわちサミュエル・ミドオーバ陣営にとっても同様で、防戦一方だったノッダがある時点で息を吹き返したかのように攻勢に転じた。

 もともと新教会と通じていたとされるエッダは、機を見てドライアドと同盟歩調を取る準備をしていた事が分かっている。ドライアド側とは新教会の上層部経由で話が付いていた証拠も残っている。

 しかし、それもこれもシルフィード王国の正統がエッダである、という状況が出来て後の話であった。

 シルフィード王国の正しい政府がエッダであると納得する構図が必要だったのだ。

 ノッダを逆臣による傀儡政府と決めつけ、正規王国軍と名乗る配下の軍隊で早期にノッダを落とし、シルフィード国民に対し、必要であればそれこそ傀儡を据え新王朝発足の宣言をする。

 その後新教会を交えドライアドと戦後処理を行う……その筋書きが狂った。


 筋書きが狂ったのはサミュエルだけではなかった。

 開戦後すぐにドライアド側にも予想外の問題が生じていたのである。

 まず、国内の経済状態が急速におかしくなっていった。

 それは大戦準備とそれに続く開戦による軍需による好景気が産んだ副産物、いや副作用とも言えるべきものだった。

 急速な物価の高騰。大量の資金が市場に流れる事によ生じる物価の上昇はある程度想定されているものであった。だがこの時期にドライアドを襲ったのは、その想定を大幅に上回る急騰であった。昨日一エキュで買えた肉が、今日は半分の目方にも関わらず価格が二倍になると言った具合である。ひどい時には朝に開いた市場が、閉店時には開店時の十倍の価格を付けていた事もあったという。

 勿論原因は急激な資金の市場投下である。

 影響は地方にも及んでいたが、当然ながら消費地である都市部が一番影響を受けた。特に顕著だったのが首都ミュゼである。

 政府、いや具体的には軍部の資金が相対的にみるみる減少していったのだ。

 この当時の戦争は、戦争資金を有力者や有力貴族から募ることでまかなうのが普通である。それは文字通りの現金であったり、物資であったりするわけだが、多くの場合、戦争後に出資に見合う見返りがある場合は資金は潤沢に集まる。

 月の大戦時には、五大老は「世界大戦を三回圧勝できる」程の軍資金を手にしていたと言われている。それが戦争開始後それほど間を置かずに財務担当者が蓄えに対する心配を五大老に陳情しにきたという。つまりはそれほどひどい高騰状態であったということである。


 こういう場合、一番に割を食うのはいつの世にも経済的に不安定な一般の人民である。

 自国の勝利を願っている国民であっても、日々の暮らしが成り立たなくなれば当然ながら政府に対して不満を募らせる。

 不満を口にして腹が満たせればいいが、歴史上それで満腹になった者はいない。

 いきおい、盗みや強盗が横行し治安が著しく悪化し、それがまた国民の意識を荒ませる。政府は自国内の治安維持に目を向けずにはいられない状況となり、そこに多少なりとも混乱が生じる。


 物価の狂乱的な高騰は、戦略的にはさらに影響が大きい。

 何しろ短期決戦を狙った史上最大の物量作戦である。兵達の食料ひとつ取り上げても合算すると生半可な量ではない。

 例えば、当初各部隊に割り当てられた資金が一ヶ月分の物資をまかなうだけのものであったとしよう。しかしそれは物価の上昇に伴い、一週間分に満たないことが判明するわけである。

 勿論全ての物資をエッダから運んでいるわけではない。サラマンダに展開している部隊は現地で調達する部分もあるだろう。

 だが、サラマンダの物資の価格がエッダ並みとは行かぬまでも、市場に呼応して高騰することは経済の常識であろう。


 その状況を受けた各部隊は、当然ドライアドの軍本部に対して資金や物資の追加を緊急要請するはずである。

 だが、それら全てに応えて的確な配分と供給を行えるだけの受け入れ態勢と資金的な余力がドライアド側にないとしたらどうなるか?

 答えは簡単である。

 現地調達。それも供用ではなく、強制的な徴発になるのは時間の問題であった。簡単な言い方をするならば、それはいわゆる「略奪」である。

 

 飛び抜けて先を見るに長けた人物がドライアドにいて、その人間が国家の経済と軍の全権を掌握していたとしよう。

 その人物が、その時点で半分の軍隊を撤収させていたら?

 その人物が、即座に市場物価を凍結させていたら?

 たら、れば、は歴史にはないが、常に考察されるべきものでもある。そう。「もし」があれば、歴史は大きく変わっていた可能性がある。

 だが勿論、「たら」「れば」はなかった。

 ドライアドには物価を強制的に固定化できる人間もいなければ、展開したばかりの軍隊の半分をいきなり撤収させる指導者もいなかったのだ。

 おそらくそういう意見すら出ていなかった可能性が高い。

 なぜなら、ドライアドにとってその戦争は短期決戦で決着が付くはずのものであったのだ。


 そう。

 サラマンダに残ったシルフィード王国軍を名乗るノッダ軍は、予想とは違い、粘りに粘っていた。

 シルフィード王国領内ではノッダを取り囲むようにエッダ軍が展開している状況にあっても、ドライアド大陸のノッダ軍は補給を確保していたのだ。

 物理的な補給路を持っているドライアド軍が、未曾有の物価高騰により補給困難な状況にあるのに対して、何とか確保していた頼りない補給路ながら、それを確実に機能させていたノッダ軍という対決の構図がそこにはあった。

 結果として、戦局はドライアド優勢ながらも決定打を欠いたまま混迷の度合いを極めていた。

 そして戦火はサラマンダ侯国内から拡散し、ウンディーネ連邦共和国に飛び火していたのである。

 ウンディーネの拠点は港湾都市である。

 開戦当初から主要港湾都市はドライアド軍が「都市からの正式な要請により」駐留し、実質的に流通を押さえていた。

 エルミナもその例に漏れず、駐留するドライアド軍が唯一の軍として存在していた。ただし、それまでたいした小競り合いすらなく町は一見平和な状態を保っていた。

 エコーやリザが戦争を実感しなかったのも表面上争いがないからであった。

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