第三十一話 光る少女 3/4

「ああ!」

「うわあっ」

 洗濯場に居た金髪碧眼のデュアルの少女は、背後の声に驚いて、手に持った洗い物を思わず落としそうになった。

「『うわっ』じゃないよ。またお嬢はそんな事やって! 売り物のきれいな手が荒れちゃうだろ? 座長に叱られるのは私なんだからさ」

「ごめんごめん、リザ。久しぶりのいい天気だったから、つい、さ」

「『つい』じゃないよ、まったく。そんなに力入れて洗濯物絞って爪でも割ったらどうすんだい? 移動中はまだいいけど、開演の期間はお嬢は全身商品みたいなものなんだからさ、気をつけとくれよ」

「爪くらいならイザヤのルーンで治してもらうわよ」

「そんなつまんない事でイザヤのルーンを使っちゃだめよ」

「えええ? 大事なのかつまんない事なのか、どっちなのよ?」

「それよりも、このご時世、迂闊にルーンなんて言葉を使っちゃダメじゃない」

「そうね。そうだったわ。ごめんなさい」

「全くどうなっちゃうんだろうね。戦争が始まってから軍属のルーナーは真っ先に標的にされるから、今じゃもうほとんど死んで、戦場にはもうどこにも居ないって噂だよ。平和に見えるこの辺りでも少しでもルーンが使える者がいたら、たとえ牧童だろうが漁師だろうが占い師だろうが片っ端から連れ去られてるって話だよ」

「戦争なんて、早く終わってくれるといいわね」

「全くだよ。せっかく春が来たってのに心の底から喜べやしない」

 二人はそんな話をしながらも、仕事の手を休めなかった。

「それにしてもこのご時世にこんな規模の演芸祭をやるなんて驚きよね」

 その年の演芸祭は戦争の勃発で中止もささやかれていたのだが、不思議な事に規模を十倍以上に拡大して行うことが急遽発表されたのだ。

「なんでも突然中型の荷馬車一杯の金貨を持ってやってきて、このカネで普段の十倍以上の演芸際を開催しろって大聖堂の興業担当者に迫った大金持ちがいたらしいよ」

「ええ? それホント?」

「本当だよ。私の情報をなめちゃいけないよ」

 年長のデュナンにたしなめられて洗濯用の盥に直接手を出すのをやめた「お嬢」だが、それでもじっとはしていられない性分のようで、足で踏んで使う機具を見つけると、それを使って洗い上がった洗濯物の脱水作業に精を出しながらおしゃべりに興じていた。

「誰なの、その大金持ちって?」

「それがね」

 年長のデュナンは意味ありげに声を潜めると「お嬢」の耳に口を近づけた。

「若くて背の高い、奇麗なお嬢さんだったそうだよ」

「へえ?」

「背格好がアルヴっぽいのに耳も目もデュナンだったそうだから、たぶんデュアルね」

「デュアル……か」

 二人とも、そんな大金持ちの話は聞いたことがなかった。

「で、その奇麗なお嬢さん、なんとモテアの髪だったそうだよ」

「モテア?」

 二色の斑の髪を指してモテアと呼ぶが、滅多にいないはずである。そんな髪の娘が町にいたとしたら、相当目立つし噂にもなる。

 さらにそれが若くて美人で大金持ちとなるとファランドール中で注目されるはずではないのか?

「それを聞いて思ったね。そのモテアの子は使いだろうってね」

 まさしく「お嬢」も同じ事を考えていた。

 モテアの娘を使者として送り込んだ人物こそ大金持ちの「本体」であろう。

「で、その子のご主人さまは誰なの?」

「そこまでは知らないよ。私が知らないんだからきっと誰も知らないのさ」

 知らない事を自慢げに語る年長のデュナンの偉そうな態度を見て「お嬢」は声を出して笑った。

「何だい何だい? 何がおかしいんだろうね。そんな事よりさ、こんなに天気がいいんだから、お嬢はカノンを散歩にでも連れ出してやんなよ。アニーとマーネもそろそろ朝食の後片付けが終わった頃だからおっつけやってくるだろうし、ここはもういいよ」

 年長のデュナンが言うには、彼女たちのいる聖堂から東へ十分ほど行ったところに氷菓が食べられるところがあるのだという。

「昨日市場で知り合った人がその家のおかみさんでね。ギュンターさんって言うんだ。雪の残りがあるうちは牛乳の氷菓を毎日作ってるそうだよ。色々研究して今年から本格的に作り出したって言ってた。まだ売り物にしてるわけじゃないけど、知っている人が行けば安く分けてくれるそうだよ」

「うわあ、牛乳の氷菓! いいわねえ。久しぶりに食べたいねえ」

「戦争が始まってからはいろんなものが手に入りにくくなっちゃったからねえ。でもさすが酪農の町さね。チーズやバターだけじゃなくて乳を使った氷菓まで手に入るんだからありがたい話さ。だから貴重な牛乳氷菓を口にすりゃ、あの子もちったあ気が晴れる……なんて思っちゃ居ないけどさ、テントの中でただじっとぼんやりしてるよりはよっぽどいいさ」

「だよねえ」

「何だい? 浮かない顔だね。お嬢が誘えば、カノンも散歩くらいはするんだろ?」

「うーん、カノンってば、ここんところ何考えてるんだかわからなくて、私が声かけても上の空だったりするんだよね。色々と誘っても全然乗ってこないんだ。私もいい加減、そんな様子を見てるのが辛くてさ」

「で、暇つぶしに洗濯してたってわけかい? こりゃまた呆れたねえ」


 星歴四〇二七年黒の二月上旬。

 ピクサリアの丘陵地帯はようやく春も盛りを迎えていた。聖堂に連なる牧草地の斜面では南に向いた土地にはキンポウゲが咲き誇り、そこだけまるで黄色い絨毯のようだった。

 当時教会の聖堂正面に向かって左、つまり建物の西側に併設されていた劇場では、ピクサリア史上最大規模とされる「大演芸祭」の準備が整っていた。

 わずか三日の興業ではあるが、常設の劇場に加え、仮説の芝居小屋が十幕も建てられ、百を越える出し物がぶっ続けで行われる事になっていた。

 旅の一座が大半を占めたが、エルミナやヴォールは勿論、少し離れた町を拠点とする楽団や劇団などが参加する事になっていた。中でも常設の劇場では、人気の一座の興業が集められており、各々の一座がそれぞれ華やかな看板を掲げてお祭りの雰囲気を盛り上げていた。

 その中にあって「初日の宵を飾るサライエ一座の剣舞をお見逃し無く!」 という看板がひときわ目を引いた。

 サライエ一座はナイフや炎を使った派手な演出の剣舞や、動物を使った見せ物、軽い風刺演劇などが人気で、ピクサリアの劇場では常連であった

 その劇場の裏手に一座は簡易的な居を構えて開演の間は生活していたが、リザと「お嬢」の声はその居住場所の端、劇場から最も遠いところから漏れ聞こえていた。

 二人が居たのはピクサリア教会が第七井(せい)と呼ぶ教会から最も離れた井戸である。その脇には用水路が整えられていて、要するに一座の洗濯場としておあつらえ向きの場所であった。

 二人のうち金髪で背が高い方が「お嬢」と呼ばれていた少女だ。名はエコー・サライエ。その族名でわかる通り、サライエ一座の座長の一人娘である。「お嬢」とはつまりそのままの意味だった。カノナールを起こしていたのは、そのエコーである。

 エコーは背が高いだけでなく耳の先端が尖っているので一見するとアルヴ系の外見だが、よく見ると瞳の色は青く、つまりは純粋なアルヴではなくデュナンの血が入ったデュアルである事がわかる。

 対してリザと呼ばれたもう一人はエコーより一回り背が低く、一見してデュナンにしか見えない、人の良さそうな若い女であった。赤っぽい茶色の髪はあまり櫛が通っていないようでエコーの綺麗に流れる金髪とは手入れの差が歴然であった。年の頃は二十台半ばであろうか。

 エコーよりはお姉さんではあるが、笑顔にはまだ娘と呼んでも差し支えのない生き生きした若さがあった。

 だが実のところリザもエコー同様、デュアルである。デュナンの女性としては背が高い点にその特徴を見ることができるが、瞳の色以外はアルヴにしか見えないエコーと並ぶと、その特徴がわかりにくかった。

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