第三十一話 光る少女 2/4
「まったく」
カノナールを起こしに来た少女は憤然とした表情で、今度はあからさまに不機嫌そうなため息をついた。
「さっさと着替えてね。早めに洗濯終わらせちゃうから。わかっていると思うけど、汚れ物出してないのはあんたが最後なのよ」
「洗濯って……今日は雨でしょ?」
床板の隙間から見えた地面は濡れたままだった。夜中に起きた時も雨で、だからこそ雨だと思い込んでいたのだ。
立ち上がったカノナールは、大きくあくびをすると目をこすり、自分のベッドに腰をかけた。そしてカノナールを睨み付けている金髪碧眼のアルヴ、いやアルヴに見えるアルヴィンの少女の視線を受け止めた。
「何言っているのよ。久しぶりのいい天気よ」
「え、そうなの? 夜中にはまだ降っていたみたいだけど」
「朝方に止(や)んだみたいね。ってあんた、夜中に起きてたの?」
「ううん……」
カノナールは記憶を辿った。起きていたと思っていたが、改めて考えるとぼんやりしていて記憶が定かでは無い。
カノナールは夢の中で光る少女を見た。雨の中で濡れずに佇む少女。
その夢が現実と交錯しているのかも知れない。
「よくわからない」
「何よそれ」
少女は呆れた顔をしてカノナールを見下ろしていたが、すぐににっこりと微笑んだ。
「とにかく起きなさい。空が青くていい朝よ。まさに洗濯日和。着替えが無くなって来て、そろそろ限界だったから本当に助かったわ。まったくなんで今年の黒の二月は雨が多いのかなあ。調子狂っちゃうわよね。でも、それより困るのは汚れ物を出さない寝坊助よ。あんたのせいでいつまで経っても洗濯を始められないんだからね!」
少女はピシリとそう言うと、手を伸ばして隣に座っているカノナールの寝間着のボタンを外し始めた。
「や、やめてよ。それくらい自分でやるから」
「だったらさっさとしなさいよね。グズグズしていると本当に全部引っぺがすわよ」
「わかったよ。それより……」
「それより……何よ?」
「床に引きずり落とした後に『起きろ』って言うのはいい加減、やめてくれない? さすがに顔面から落ちると、この距離でもそれなりに痛いんだけど」
カノナールはそう言うと、抗議の為にわざとらしく鼻の頭を撫でて見せた。
「私だって本当に寝てるんならそんなことしないわよ。なんてったってあんたの顔は大事な売りもんだしね。そんなことよりカノン。あんた何か忘れてない?」
少女のその言葉を聞くと、カノナールは頭をボリボリと掻いた。そしてアルヴィンの少女をそっと抱きよせると、その白い頬に軽く口づけをした。少女も同じようにカノナールの頬にお返しのように軽く唇を触れる。
「おはよう、姉さん」
「おはよう、カノン」
朝の挨拶が済むと「姉さん」と呼ばれた少女は初めて満面の笑みを浮かべた。整った顔立ちはアルヴの血が濃いからだが、白い顔には盛大なそばかすが見える。カノナールはそれも「姉さん」の個性の一つだと思っていたが、当の本人はいたく気にしている風で、仕事前の準備時間のほとんどはそのそばかす隠しの化粧に充てられていたほどである。
「あのさ、姉さん」
「何?」
「人の姿をした精霊って本当にいると思う?」
「はい?」
少女は弟が一体何を口にしたのかがわからないと言った風に聞き直した。カノナールはさらに説明を加えた。
「精霊は白く光って、雨が降ってても濡れないみたい」
「へえ。それでその精霊さんは美人だった?」
「うん。すごく綺麗な子だった」
「ほうほう。あんたより?」
いたずらっぽい笑顔で少女はそう尋ねると、ベッドから立ち上がった。
「あんたより器量よしの女の子の精霊さんなら、私も会ってみたいわね」
そしてカノナールの答えを聞かずに速く食事をするように急かした後、部屋を後にした。
********************
サラマンダ大陸の東北部に、かつてエルミナという大都市があった。
「月の大戦」当時はウンディーネ連邦共和国に属した港湾都市国家の一つであったエルミナの政治形態は王国であった。
ウンディーネ全体で見れば、当時北部中央にはヴォールという、より大きな港湾都市があった。ヴォールは商業組織による自治領で、首都島アダンの玄関の役目も担っており、国際的な商業の拠点として大いに発展していた。
対して東のエルミナはヴォール程の規模はなかったものの、ドライアド王国やサラマンダ侯国との貿易の拠点港して機能しており、小さいながらそれなりに裕福な都市国家として知られていた。
しかしその都市国家エルミナは五百年ほど前に突然海中に没し、現在はエルミナの役目を受け継いだピクサリアと呼ばれる港湾商業都市の沖あいに沈んでいる。
そのエルミナは「月の大戦」の序盤において、極めて重要な役割を担う事になる。
史実によれば「エルミナの崩壊」は西暦四〇二七年黒の二月十五日に起きた地震の為とされているが、実のところそれは単なる天変地異ではなく、ドライアド王国が仕組んだ「人為的な破壊」であると言う説がある。
多くの歴史学者は荒唐無稽なねつ造話であると一笑に付すような説であるが、現在では風聞を裏付けるような資料が見つかっている。
もちろん資料自体をねつ造であるとして切り捨てればそれでおしまいではある。しかし「エルミナの崩壊」が転機になり大きく戦局が動いたことはどちらにしろ事実なのである。
さらに当時エルミナには、何人もの歴史上の重要な人物が滞在していた事もまた事実である。
ならばそこには歴史を紡ぐ重要な物語があってしかるべきではないのか?
この章は、昨今頭から否定出来なくなってきた風聞を検証する方向から「エルミナの崩壊」にまつわる物語を再構築している。
いくつかの資料によると、事の発端はエルミナではなく当時はまだ内陸部に位置していたピクサリアで始まったとされている。
当時のピクサリアはエルミナから徒歩で半日ほどの距離にある酪農の町であった。
エルミナ湾を望む丘陵地帯にあり、二つの大きな街道が出会う要衝でもあったことから、規模の大きな市も立つ。その関係もありウンディーネ内部からの物資をいったん集積しておく、いわばエルミナの外部倉庫の役目をはたしており、つまりそれなりのにぎわいを誇っていたようである。
主な産物である酪農製品は街道を通じて各地に出荷もされていたが、経済の基盤は大都市であったエルミナに依存していた事は間違いの無いところであろう。
さらに言えば標高がやや高く森が多いピクサリアは、岩と砂の港湾都市国家、エルミナの富裕層の別荘地としても機能していた。別荘というと大げさになるが、言って見れば別宅のようなものである。
当時のエルミナは人口密度が高く、飽和状態にあったようである。
外部からの転入者も多く、人口は増加傾向にあった。転入者の多くは商人、しかも単身であった事から、単身者用の簡易宿舎が乱立していたという。
元からの住人の中には、自らの住居を高値で売り、その金でピクサリアにそこそこ大きな家を構えて家族はそこに住まわせ、自身はエルミナの簡易宿舎で寝泊まりし、休日に自宅に帰るという生活をする者も多かったようだ。つまりピクサリアはエルミナの外部倉庫であると共に、郊外住宅地としての機能も担っていたということになる。
そんな背景から、当時のピクサリアの様子をご想像いただければ幸いである。
そのピクサリアもご多分に漏れず「月の大戦」の戦火を逃れることはできなかったが、五百年たった今でも建物がいくつか残存しており、当時の面影を偲ぶことができる。
その一つがマーリン正教会の大聖堂である。
それはピクサリアの町全体を見下ろす事ができる、もっとも西に位置する小高い丘に建てられていた。
東にあったとされるマーリン正教会小聖堂は跡形もないが、その西の旧大聖堂は現在でも礎石が奇麗に残っている。
礎石は「月の大戦」後に再建されたピクサリア大聖堂の前庭にある。
前庭は遺跡公園として整備されており、当然ながらその礎石は誰でも目にすることができるようになっている。
礎石で特徴的なのは、聖堂の横に相当規模の建物が併設されていた事である。建物自体は教会よりも敷地面積が広く、記録によれば教会としての祭事はもちろんの事、町の催事、あるいは旅役者による演芸などにも供されていたという。要するに教会附属の劇場である。
特に演芸を披露する催しは、当時の聖堂の重要な収入源にもなっていたようで、記録によるとそれは計画的かつ定期的に行われており、近隣の村や町から人や物や金を集めて盛況であったという。
以上のような背景を念頭に、その当時、つまりドライアド王国がシルフィード王国に対して宣戦布告をした日から三ヶ月ほど経った頃にそのピクサリアの西に位置する正教会大聖堂付近に滞在していた、ある旅の演芸一座に起こった出来事をご紹介しよう。
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