第三十一話 光る少女 4/4
「それより聞いたかい?」
「何を?」
リザは声を潜めて意味ありげにたずねた。前触れもなく「聞いたか?」と問われて「聞いた」とは言えない。もちろんエコーが知らない事を知った上で言っているのだ。
それはいつものことで、新しい土地にやってきてリザが一番にやることが、食材や日用品に加えて、町のうわさ話の仕込みであった。
だからエコーは(そら来たぞ)と身構えた。リザが調達したいつもの「大事件」の話が始まる事を知っていたからだ。
大体においてリザの言う「大事件」とは町の有力者や有名人の醜聞で、つまりはどうでもいい話であった。だがそれでも大した娯楽がない毎日の中ではほどよい刺激と言えた。だからエコーとしても多少の期待を持っていたのは間違いない。何しろリザが話すと、ただの浮気話が壮大なお家騒動に聞こえてしまうほど大げさになるのだ。だからエコーはうわさ話の内容よりも、そんなリザの誇張あふれる話しっぷりが気に入っていた。
しかしその日のリザの話はいつもの醜聞ではなかった。
「なんでも夕べ、聖堂に『やんごとなき』お方がお忍びでやってきたって話だよ。やっぱり今回の大演芸祭くらいの規模になると、普段は来ないようなお方までお見えになるんだねえ」
リザは敬虔な正教会の信者である。滅多なことでは教会のうわさ話などはしない、と言えばその敬虔振りがわかろうというものだ。だからというわけでもないが、エコーは妙な胸騒ぎを覚えて、思わず身を乗り出した。
「やんごとなきお方?、何よそれ」
「お嬢、そこは『何』じゃなくて『どなた』でしょ? 罰が当たるわよ。何しろ『やんごとなきお方』なんだから」
「うん、そうね。で、『どなた』なの?」
「それがね……」
リザはそこまで言うと思い出したかのように辺りの様子をうかがった。
そこは洗い上がった洗濯物を干す場所も兼ねていて、周りに身を隠せるものなどない場所であった。エコーはこみ上げてくるおかしさを堪えながら続きを促した。
「大丈夫。誰もいないから」
「内緒だよ。お嬢だから言うんだからね」
声を潜めてリザが念を押す。もちろん「そんなのは嘘だ」とエコーにはわかっていた。この後リザは一座の全員に同じ話を触れ回って歩くのだ。いや、既に触れ回った後かもしれなかった。
「アレンに聞いたんだから、まず間違いない話よ」
ピクサリア正教会には『懺悔役』と呼ばれる助祭が二人おり、そのうち催事についての教会側の窓口を一手に引き受けている助祭の名がアレンであった。
中年のデュナンではあるが、壮健で若々しく見えた。お世辞で青年と言っても周りは強い否定はしないであろう。嫌みの無い顔立ちで、何より明るい性格なものだから、町の女衆にも人気があるという。
堅苦しい雰囲気の人間が多い正教会の、しかも上級職である助祭とは思えない程くだけた物言いをする一方で、物腰自体はさすがに優雅で品が良く、ピクサリアの町でも評判がいいという話もうなずけた。
エコーはアレンについてさほど詳しいわけではないが、サライエ一座としてはピクサリアには何度も訪れているのだから馴染みと言ってもいい。だからアレンが教会主催の催しだけでは無く、町の自治にも深く関わっているらしい事は予備知識程度には知っていた。ピクサリアの事はとりあえずアレンに聞けば大概の事はわかる。だからエコー自身はアレンを助祭ではなく話し好きな町の上役のように見ていたのだ。
サライエ一座の生活全般の窓口役ともいえるリザと教会窓口のアレンは必然的に言葉を交わす機会が多く、リザの人なつっこさと双方の話し好きが相まって二人は旧友のような間柄と言えた。
そんな間柄だから、こっそり「裏情報」が流れてきてもおかしくはないのかも知れない。エコーはそう思った。
「それがさ、その話を聞いて、私は思わず心臓が飛び出しそうになっちゃったわよ」
「もったいぶらずに早く教えなさいよ」
「笑わない?」
「笑わないわよ」
エコーはリザがそわそわしているのを見て、その話とやらがリザにとっては特上のネタである事を確信していた。リザが面白がる話は、浮気話。それもただのうわさ話ではなくて、いわゆる修羅場がらみの話が多く、それは同時にエコーにとってはつまらない話題であった。だが、今回は「やんごとなきお方」が誰かという話のはずである。それにもかかわらずリザがこれほどまでにそわそわするという事は……。
「もしかして、エルミナの王女様がお忍びでうちの一座を見にいらしたんじゃないでしょうね?」
もしそうならリザだけでなく一座全員にとって大きな事件であった。
「エルミナの王女様? そんなチンケなお方じゃないわよ。だいたいエルミナの王様に娘は居ないって話よ」
「じれったいわね。じゃあ、誰なのよ?」
エコーは身を乗り出し、思わず拳で膝を叩いてリザを促した。それを見たリザは満足そうな笑みを浮かべると、顎を上げて腰に手をやるとようやく「やんごとなきお方」の名を告げた。
それはエコーには思いも寄らぬ名前であった。
「賢者さまよ」
賢者。
エコーは頭の中でその名を検索した。
もちろん聞いたことはある。マーリン正教会には賢者と呼ばれるとてつもない力を持った「偉い人達」がいて、ファランドール中に散らばって、世の中の悪を退治するために日夜活躍しているという。
だが人前には絶対に姿を現さない。なぜなら賢者はマーリンと同じ三つ眼を持っており、普通の人々がその目を見てしまうと、視力を失うからだと言われていた。
要するに「おとぎ話」である。
「えーっと……」
エコーはこめかみをトントンと指でつついた。考えをまとめようとする時に無意識にする仕草であった。
「やっぱり私、カノンを誘ってギュンターさん家(ち)に行ってくるわね」
「お嬢!」
リザは憤然とした表情でエコーをにらんだ。
「嘘や冗談じゃないのよ。本当の話なんだから」
「いや、そんなこと言われてもねえ」
エコーはそう言ったものの、目の前のリザの顔があまりに真剣なのを見て、だんだん不安な気分がこみ上げてきた。
「まさか、本当なの?」
「だから言ってるじゃない。私が見たわけじゃないけど、アレンの口ぶりから『徴(しるし)』を持ったお方がいらっしゃった事は間違いないのよ」
「『徴』って?」
「『徴』って言ったら、賢者の徴に決まってるじゃないの」
「賢者が持ってるって言う、正教会のクレストが浮かび上がる真っ赤なスフィアの事?」
「そうそう。それよ。そのお方はそれを見せて自分が賢者である事を告げて、しばらく滞在させて欲しいって言ったそうよ」
「一体何のために? あ、ひょっとしてやっぱりうちの出し物を見るためにわざわざ?」
「バカね、そんなことあるわけ無いでしょ!」
「いや、最近カノンの評判を聞きつけてわざわざ遠くから見に来る人もいるって聞いたわよ。賢者さまにも美人好きがいてもおかしくないわ」
「そりゃカノンを一目見ようって人がいても確かにおかしくないけど、残念ながらそれは絶対無いわね」
「絶対?」
「だって、アレンが言うには、賢者さまは女の子だって事よ」
「え?」
「ね? ね? びっくりでしょ? 私は賢者さまってみんなご老人かと思っていたから、そりゃもうびっくりしちゃって」
「確かにそりゃびっくりするわね」
「しかもアレンが言うには、とってもかわいらしい女の子だそうよ」
「かわいらしい女の子ねえ……」
エコーには想像がつかなかった。どう努力してみても彼女の頭の中では賢者と少女という言葉は決して等号では繋がらないのだ。そもそもリザの話の頭にはいちいち「アレンが言うには」という但し書きが付くのが気に入らなかった。
「ねえ、後でこっそり二人で見に行かない?」
どうにも眉唾な話だと思っているエコーに、リザは目を輝かせて詰め寄った。
そんなリザを見て、エコーはある事を思いついた。
リザはこの話をまだ誰にも伝えていない。リザが企んでいたのは聖堂侵入なのだ。自分一人で行く勇気はない。だから共犯者を探していた。
そしてこういう時に真っ先にリザの標的にされるのがエコーだったのである。
リザの様子から察するに、リザは闇雲に聖堂内に入ろうとしているのではなさそうだった。それはつまり常識的に考えて教会としては秘匿事項であろう賢者の「お忍び」を簡単にしゃべってしまうほど口の軽いアレンが、リザに進入可能な扉の場所をこっそり伝えている可能性を示唆していた。
果たしてリザは、エコーの推理を裏付ける言葉を吐いた。
「お嬢だけに言うけど、誰にも咎められずに中に入れる方法があるんだよ」
そう言った後で、リザは再び不安顔で周りを見回してさらに念を押した。
「絶対誰にも言っちゃいけないよ」
(おや?)
エコーはリザの態度に少し違和感を覚えた。それはもはやカンと呼ばれる種類の感覚だが、リザはまだ何かを隠していると感じたのである。
「忍び込むって、リザ……」
「しーっ」
エコーの言葉を聞いたリザは目を丸くして飛び上がると、慌ててエコーを制した。
「滅多なことを言っちゃいけないよ。私達は『賢者さま』を見に行くんであって、聖堂に『忍び込む』わけじゃないからね。間違っちゃいけないんだよ」
リザが「忍び込む」という言葉に余りに敏感に反応したのを見て、エコーは違和感が確信に変わった。リザの顔が心なしか上気しているのを見れば、もう状況証拠は充分だった。
「リザ……」
敢えて「呆れたわ」 といった声色を演出してエコーがそう言いかけた時だった。二人は突然声をかけられた。
「どこに忍び込んで、誰を見に行くつもりだ?」
弾かれたようにとは、まさにこのことであったろう。二人は同時に声のする方向へ顔を向けた。たった今リザが辺りを見渡したばかりである。周りには誰も居るはずが無かった。
「え?」
二人は同時にそう声を出すと、周りをもう一度見渡した。
「聞こえたわよね?」
エコーはそう言うと自分の頬を抓った。
「どうしよう、お嬢。私達耳がおかしくなっちまったかもしれないよ」
耳を塞いで頭を左右にぐるぐると回しているリザにエコーはとりあえず落ち着けと声をかけると、もう一度声がした方向を見た。
やはりそこには誰の姿もなかった。
だが、幻聴と言うにはあまりに鮮明な声だった。だいたい頭の中で直接聞くような感覚ではなく、そこにある空気を伝わって、声がちゃんと左右の耳に届いたはずだった。だから声の主が居るであろう場所すら特定できる。だがそこには誰も、いや何も存在していないのだ。
それはつまり、確かに耳に届いた生々しい声が、実は人の声ではないという事になる。
「ひいっ」
二人は自分たちの体が震えているのを自覚すると、どちらからともなく抱き合った。
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