第三十話 生者と死者 2/5

「ルネの事を考えてるんやな?」

 顔を曇らせたエイルを労るような眼差しで見つめると、エルデは自分の手をエイルの手の上に重ね、優しく包むように握りこんだ。

「大丈夫や。あの時説明したけど、純粋な水のエレメンタルいうても、ルネ・ルーっちゅうデュナンの時の記憶が完全に無くなったわけやない。エウレイとずっと一緒におったら、少しずつかも知れへんけど、きっと思い出す」

「そうだといいな」

「イオスは水精の監視者や。ルネに対しては四聖の中でも最優先権を持ってる。つまり言い換えるなら空精についてはウチの考え方がまずは優先されるわけやろ? イオスはウチの話を聞いて、納得してくれたっちゅう事や。ましてやウチは不安定きわまりない炎精の面倒まで見るっちゅう条件を出したんやからな。礼を言われる事はあっても反対される謂われはないはずや」

 エルデの話はもっともらしく思える。

 だが、エイルはそれでも少し引っかかるものがあった。

 エルデはそんなエイルをじっと見つめた。

「な、なんだよ?」

 まっすぐにじっと見つめられて、エイルは思わず目を逸らした。また少し赤面しているのが自分でもわかった。

「ラウとファーンがいるんだぞ」

「え?」

 エイルにそう言われて、エルデはラウとファーンに視線を移したが、すぐにエルデの言葉の意味を察して真っ赤に頬を染めた。

「そ、そういうんやのうて」

「え? そっちじゃないんだ」

「そっちとかあっちとか、そう言うんは二人っきりの時でええから」

「あ。うん」

「ごほん」

 ラウがわざとらしく咳払いを入れると、ファーンもそれに倣った。

「おほん」

「うー」

 小さくうなり声をあげて恨めしそうな顔で二人を睨んだエルデだが、すぐに真面目な顔を作るとエイルに向き直った。

「ホンマに気付いてへんの?」

「なんか、似たような事を前にも言ってたけど、いったいどういう意味なんだ?」

 少し拗ねたような声でそういうエイルに、エルデは小さくため息をついた。

「エルネスティーネ・カラティア……」

「うん?」

「ウチらのネスティが、ほんまもんのエルネスティーネ・カラティアなんやとしたら……」

「うん?」

「風のエレメンタルは『変わり身』のほうや」

「は?」

「ウチらのネスティがカラティアの娘やのうて、実はイース・イスメネ・バックハウスちゅう名前の人物やとしたら、エルネスティーネ・カラティアが風のエレメンタルっちゅう事や」

 それだけ言うと、エルデはまたエイルの目をのぞき込むように、じっと見つめた。

「それって、まさか」

「その『まさか』や」

「ネスティはただの人間だっていう事か? ニセモノなのか?」

 エルデは首を横にふった。

「ニセモノとか本物とかいう考えはこの場合においてはあんまり意味は無いと思う」

 確かに「ネスティ」が本物であろうがなかろうが、シルフィード王国の女王は「ネスティ」ではなく「イエナ三世」という別人である。

 問題は「ネスティ」が風のエレメンタルではないという事実であった。

 だが、エルデの言うように「エルネスティーネは風のエレメンタルではない」と仮定すると、今まであったいくつかの疑問はきれいに払拭されることになる。

 イオスがエルネスティーネ達を拘束せずに自由にさせるに任せたこと。

 覚醒前だとはいえ、それでもエルネスティーネは風のフェアリーなのだ。ところがエイルはエルネスティーネがフェアリーとしての力を使うところを一度も見た事がなかった。

「裏の裏をかいていた、という事か」

 エルデはうなずいた。

「リリアさんはこの事を?」

「当然知ってるやろな。でも他の人間は知らされてないと思う」

「あくまでも本物を守るという気持ちを持たせる為……とか、そんなところか?」

 エルデはそれに応える代わりに、ある言葉をつぶやいた。

「……誰も信じるな」

「ヤな言葉だな」

 エイルは自嘲するようにそう言ったが、ある事を思い出して顔を上げた。

「どうしたん?」

「そう言えばネスティもそんな事を言ってた。『気付いていないのか』って。今思い出した」

「そう」

 エルデはため息をつくと小さくうなずいた。

「ネスティはエイルにだけは本当の事を言いたかったんかもしれへんな。たぶんエイルには知っておいて欲しかったんやないかな。でも、出来へんかった。自分だけの秘密やないからやろな。たぶん、いやぜったいウチがネスティでもその事ではそうとう苦しむ気がする」

「うん」

「でも、ネスティはエイルを騙してたわけやない。秘密を持ってただけや。そう考えたったらどうやろ?」

「『どうやろ』って?」

「秘密の一つや二つは持ってへんと、女としての深みがないやろ?」

「深みって……まあでも、ネスティがエレメンタルじゃなくてオレは良かったって思ってる」

 エルデもうなずいた。

「ウチも。なにもかも終わったら、何のしがらみもない自由なネスティになれるんちゃうかな」

「だな」

「そしたら、そのうちに会いに行かなアカンな」

「うん」

「会いに行こ……な?」

 そういうエルデの声が急に涙声になったかと思うと、再び大きな目から涙がぼろぼろとこぼれだした。

「そうだな」

 エイルは思わずエルデを引き寄せ、頭を抱きかかえた。

 エルデにとって、ネスティはおそらく「友達」なのだ。

 少しエルデの生い立ちを考えればエイルにも想像ができる。エルデにはたぶん、今まで「友達」と呼べる存在はさほどいなかったに違いない。あるいは全く存在しなかった可能性がある。

 亜神の子として特殊な環境で生まれ、外の世界に出る前に三千年という長い眠りについた。目覚めたあとは賢者候補生としての過酷な生活の中に身を置いた。

 その後はたった一人で「宝鍵」のかけらを集める旅をして、そして途中でエイルの体を共有するようになった。

 その中で仲間と呼べる人間は何人か居たかもしれない。

 今にしても……ラウは修業時代の姉妹弟子で仲間とは呼べるかも知れない。アプリリアージェもたぶん旅の仲間だろう。広い意味ではラシフも友と呼べるかも知れないが、エルデにとってエルネスティーネは特別な友ではないだろうか。

 人と亜神ではなく、対等な関係を築くことができる友……エイルはそれを自分の世界の言葉で親友という関係に違いないと考えていた。

 そう。特別なのだ。

 そしてそれをエルデは今になって実感しているのだろう。だからこそ別れたとたんにその思いがあふれて来たに違いなかった。

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