第三十話 生者と死者 3/5
「ばか。また泣く」
そう言うエイルの声は自分でも恥ずかしくなるくらい甘く響いた。
「な、泣いてへんもん」
エルデも敏感に言葉に込められたエイルの優しさを感じたのだろう。おきまりの言葉にも甘えた色が濃かった。そしてそのまま顔をぐいぐいとエイルの胸に押しつけてきた。それは「甘えるぞ」 というエルデなりの合図だということをエイルはすでに学習していた。
「やれやれ」
口ではそう言ったものの、まんざらでもないといった風にエイルは微笑んだ。
「会いに行こな。ネスティだけやのうて、アアクにも行こ」
「そうだな。ラシフ様にはお礼もしなくちゃ」
「そやそや。ウチを見たら、ラシフ様、驚くやろな」
「驚く顔が見たいな。きっと口をぽかーんって開けて……いや、最初は『見え透いた嘘をつくでない』なんて言うんだろな」
「うん。ぜったいに言うと思う。ルーチェにも会いたいな。アトルにも会いたい」
「会いに行こう。絶対だ」
「うん……うん」
エルデの声は途中で嗚咽にかわった。
「って、なんでそんなに泣くんだよ」
「そやから、ウチは泣いてへん」
エイルはラウ達に助けを請うようにやれやれという顔を向けたが、ラウは不機嫌そうに視線を外した。
「な、なんだよ?」
ラウの態度に驚いたエイルは思わずそうたずねた。
「何でもない。ただ……」
「ただ?」
「人はそこまで無防備になれるものなのだな、と思って」
「そうだな」
ラウに指摘されて、エイルは改めて自分の胸で泣き続けるエルデのぬくもりを実感し、それを心地よいと感じていた。
そして間違いなく自分も同じようにエルデの胸で泣くことができるだろうと思った。
「ラウっち」
エイルとエルデの様子を見ていたファーンがいつもとは違う、湿度のある声で呼びかけた。
「うん?」
「私も無防備にラウっちの胸に飛び込んで泣いてもいいですか? いや、いいと言ってくれないと困ります」
「え?」
「白さまが泣いているのを見ると、なんだか悲しくて、どうしようもなく切なくなって泣きたくなってきたのです。ラウっちの胸なら、私も無防備に泣ける気がしてなりません」
「いや、それは……」
今度はラウがエイルに助け船を求める顔を向けたが、エイルは唇の端を持ち上げてにっこり笑い返しただけだった。
「こいつ、今はあんまり制御せずに自分の気分をエーテルで垂れ流してるからな」
確かにエイルの言うとおりだった。
ラウも少し重苦しく胸が詰まる気分を感じてはいたのだが、それはエルデから伝播したものだったのだ。
ラウはエルデと長く過ごした事がある。だから免疫というわけではないにせよ無意識に抵抗できていたのだろうが、ファーンはそのエーテルを積極的に取り込んでしまったのだろう。
「泣きたいの?」
ラウはため息をつくと、しかし優しい顔をファーンに向けてそう問いかけた。
ファーンはそれを聞くと、もう耐えられないといった感じでラウに体を預けるように抱きしめると、すぐに泣き始めた。
「仕方ない……今度私が泣きたくなったらファーンの胸を借りるからね」
ラウの声には照れくさそうな色が混じっていた。
「それはすこぶる光栄と言っていいでしょう。どんと来い、です」
ファーンが涙声で即座に返した。
エイルはエルデに回した手に少しだけ力を入れると、ラウとファーンの仲の良い姉妹のような様子にほほえましさを感じると同時に、胸の奥がチクりと疼いた。
もちろんエイルにはその疼きの原因は考えるまでもなくわかっていた。おそらくはこの先一生かかっても消えないものだ。
ラウを見るたびに、ふと我に返るたびに、思い出さずにはいられない事がある。
もちろんタンポポ色の髪をした快活な少女、カレナドリィ・ノイエの事だ。
おそらく今のラウであれば、ファーンと一緒に三人で楽しいお茶の時間を過ごせるに違いないと確信していた。ラウはカレナドリィの人なつっこさを受け入れるだろうし、カレナドリィは少し気むずかしそうではあるが美しいアルヴを気に入り、終わらない世間話を嬉しそうにしゃべり続けるに違いない。
エルデと寄り添いながら、カレナドリィの底抜けの明るさとおしゃべりにうろたえるラウの顔を見て、笑いあう時間……。
時のいたずらが誰かのボタンを掛け違えさせ、そんな時間は実現しなかった。しかしエイルは、きっと実現していたに違いない情景なのだと思い込もうとした。
エイルがそんなことを考えていると、エルデが突然顔を上げた。
「あ、そうや!」
「どうした?」
「忘れてた!」
「え?」
「今日は……」
「今日は?」
「今日はネスティの誕生日」
「そうなのか? オレはネスティの誕生日は聞いてなかったって、そうか!」
エイルも合点がいった。朝食の後に出された、あのケーキの事を思い出したのだ。
「シルフィード王国の王女の誕生日くらい、覚えとかな」
「いや……いやいやいやいや。オレ、シルフィード国民じゃないし。というか知ってたのに忘れてたお前が言うな」
エルネスティーネは自分の誕生日の事を一言も言わなかった。けれどアプリリアージェはそれとなく祝ったのだ。そしてその祝いはエイルやエルデを含めた一行全員で行いたかったのだろう。
エルネスティーネのケーキがひときわ豪華だったのはエルネスティーネとテンリーゼンの甘い物好きを隠れ蓑に使っただけなのだ。
エイルはようやく自分に豪華なケーキが配分されなかった本当の意味を知った。おそらくエイルが自他共に認める甘いもの好きであったなら、テンリーゼンと同じものを出されていたのだろう。
「言いたい」
「え?」
「いろいろあったけど、それでも『誕生日おめでとう』ってウチは言いたい」
「心残り、か?」
エイルは素直にうなずいた。
「それに、用事もある。リリア姉さんに薬を渡そうと思っててんけど……」
「薬って?」
「えっと、ほら、ウーモスでリリア姉さん用に作った痛み止め。あれがそろそろ切れるはずやと思て、ベックに材料頼んでて……作って渡すだけになってて」
エルデはそこまで言うと、顔を伏せて、その上で上目がちにエイルの顔色をうかがうようなそぶりをした。
エイルはそんな仕草がおかしくて、苦笑するとエルデの頭を撫でた。
「そんなに行かなくちゃいけない理由が揃ってるなら、是非追っかけないとな。今なら朝市に行けば捕まえられるんじゃないか? 寄るって言ってたんだし」
「い、行ってもええのん?」
「オレが駄目って言うと思うか? と言うかだな。オレもネスティに誕生日おめでとうって言いたい」
「えへへ。そやからウチはエイルが大好きや」
エイルの返答に照れたようにそう返すと、エルデは嬉しさを顔いっぱいに現して大好きな人を抱きついた。
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