第三十話 生者と死者 1/5

 イオスの屋敷。

 そのツゥレフ側に残ったエイル達はエルネスティーネ一行を見送った後、全員がテラスのテーブルに着いていた。

 いや。

 正確に状況を説明するならば、エイルとラウ、それにファーンの三人は文字通りテーブルに着いていた。

 残ったエルデだが、これが椅子に一応座ってはいたものの、隣のエイルの膝に顔を埋めた状態だった。

「もう泣くなって」

「泣いてへんっ」

 エイルはエルデの反応に苦笑しつつ、長い髪を撫でてやった。

 その様子を見てファーンが口を開いた。

「今、ラウっちに質問をしても許されますか?」

「なに?」

「白さまはなぜ、一定の状態に陥った際、いつもその状態について言及あるいは指摘されると完全否定をなさるのでしょうか?」

「『泣いてへん』ってヤツ?」

「まさにそのセリフです」

「そうねえ」

 ラウは苦笑するとエイルをチラリと見た。そして視線を合わせたエイルが小さく肩をすくめてうなずくのを待って続けた。

「ファーンは私と町の酒場に何度も行っているよね?」

「ええ。ラウっちに『いけるクチ』という称号をいただきました」

「いや、それは称号じゃないから」

「え? では二つ名でしょうか?」

「『イケるクチ』ことファーン・カンフリーエ……ねえ。うーん、そうじゃなくて酔っ払いの常套句ってヤツを耳にしたことあるでしょう? ちょうど今のあの二人の会話にそっくりなヤツ」

 ラウの言葉にファーンはポンと手を打った。

「へべれけの人に限って口にする、『俺は酔ってない』という定型文ですね」

「そう、それ。素面(しらふ)の人間は絶対に口にしない素面宣言」

「なるほど、私は泣いているぞ、と白さまは周りに宣言しているようなものですね」

「宣言しなくても見たとおりなのにねえ」

 ラウとファーンのやりとりを聞いて、エイルは軽く抗議をしてみせた。

「おいおい、酔っ払いと一緒にしてやるなって」

「まあ、わかってはいるけどね」

 アプリリアージェやエルネスティーネ達が居る場所では、ラウもファーンも基本的に寡黙だったが、相手がエイルの場合、さほど警戒をするでもなく対等な言葉でしゃべり合っていた。

 エルデが心を許している特別な相手である事はラウやファーンにとってもエルデに準じた存在なのだろう。

 ラウは当初こそ硬い態度をとっていた。言葉遣いも冷たく、事務的なものだったが、ヴォールの大聖堂地下で過ごす間にすっかり普段使いの言葉に変わっていた。

 ファーンは言葉遣いこそ当初から同じようなものだったが、エイルに対して話しかける場合でも、ラウにいちいちお伺いを立てるようなことがなくなっていた。


「泣くほど寂しいなら、しばらく滞在して貰えば良かったのでは?」

 ラウがたまりかねてそう声をかけると、エルデはようやく顔を上げた。

「そんなん、ムリやろ?」

「ムリ?」

「自分を振った男と、その自分の好きな男を奪った女が目の前でいちゃいちゃするんを毎日眺めろって言えるか?」

 エルデの答えにラウはため息をついた。

「なるほど」

 ファーンはまたもやポンと手を打った。

「それはつまり、白さまの『私達はいちゃいちゃするわよ』宣言と解釈してよろしいのでしょうか?」

「え?」

 エイルはエルデの頭を軽く叩いた

「誤解を与えるようなことを言うな」

「え、いちゃいちゃしたらアカンの?」

「いや、そうじゃなくてだな、理由はそこじゃないだろって話だ」

 エイルは自分が少し赤面するのを感じながらも、ムリに渋い顔をしてそう言った。

 だが、ラウはそこを見逃さなかった。

「いちゃいちゃは咎めないんだな」

「え? い、いや、それはもちろん」

「もちろん?」

「エルデがそうしたいなら、オレは別に……」

「エイル、あなた最初からいいなり?」

 呆れ声でエイルにそう声をかけたラウを、エルデがにらみ付けた。

「ウチのエイルに変な事言わんといて」

「はいはい。大事なダンナさまのことはもういじめません。それより珈琲が冷めますよ」

「むうう」


 エルデがエイルと二人でこの屋敷に残った外向きの理由は二つあった。

 一つはアプリリアージェ達を含め全員に伝えた通り、エルデの静養のためであった。

 現世の時間で二年半もの間離れたままであった精神と肉体が再結合した後、エルデはしっかりとした休養をとっていなかった。

 それどころかキセン・プロットには瀕死の重傷を負わされたり、今まで使った事がなかった『神の空間(ヴィーダ)』を発動させるなど、そうとう過酷な状況だったと言っていい。

 外界からの影響を受けにくい場所でゆっくりと過ごすのは最良の静養であろうことは、誰もが納得する理由であろう。

 だが、エルデの本当の目的は別にあった。

 それがアプリリアージェ達には告げなかった「二番目の理由」だ。

 いや、告げなかったのではなく告げられなかったと言うべきであろう。

 さらにその理由があれば、この屋敷での無期限逗留の承諾をイオスから勝ち取ることは間違いないと計算していた。

 そしてその話を聞いたからこそ、イオスはラウとファーンを「お目付役」としてエルデの元に残したのである。

 もちろん表向きはイオスのお目付役ではあったが、エルデの役にたてという意味あいのものである事はラウ達にはわかっていた。


「でも、本当に驚いた。エイルが炎のエレメンタルだとはな」

「イオスに伝えて貰わへんかったら、信じへんかったやろ?」

「ああ……まあ、そうかも」

 エルデはため息をついた。

「もっとも、その案はウチやのうてエイルの入れ知恵やけどな」

 エルデの説明に、ラウとファーンが異口同音に「ほお」と感嘆の声を上げた。

「意外に策士だったのだな」

 ラウはエイルを見ると、真面目な顔でそう言った。おそらく褒め言葉なのだろう。

「これから策士さまとお呼びしても?」

 これはファーンである。

 だがその申し出に対し、エイルは間髪を入れずに拒否を宣言した。

「駄目」

「仕方がありません。では素直に炎精さまとお呼びすることに……」

「それも駄目」

「ではもはや『エイルん』しか残っていません」

「アカン。ウチのエイルをそんな気安い言葉で呼ぶな!」

 はたして「エイルん」は本人ではなくエルデによって拒否されることになった。

 不満そうなファーンを無視すると、エイルは真面目な顔でエルデに向き合った。

「でも、いまだにわからないんだけど、なぜイオスはネスティをそのまま行かせたんだろう?」


 エイルの疑問はラウとファーンの疑問でもあった。

 本来エルデは風のエレメンタル、すなわち空精の監視者なのだ。

 炎のエレメンタルであるエイルではなく、エルネスティーネの側にいる必要があった。

 だが、イオスとエルデだけによる二者面談の結果、エルネスティーネ達一行の行動には一切の制限が課されないことが宣言されたのだ。

 それは水精、すなわちルネ・ルーに対する制限とあまりに違いすぎて、アプリリアージェは二度も確認の為の質問をしたほどであった。

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