第二十九話 勝者なき戦い 7/7

 アキラの剣はテンリーゼンではなく、倒れるように体をずらしてきたエルネスティーネの体を袈裟懸けに切り裂くと、その勢いを緩めることなくそのまま地面に切っ先をめり込ませた。それほどまでに力を込めた一撃だったのだ。とはいえ、アキラはとっさにできる事をやっていた。剣の軌道を少しだけ変えたのである。

 振り下ろす両腕を自分の方向へ引き、少しでも軌道半径を小さくしようと試みた。結果としてそれは成功した。それはエルネスティーネの体を二つに分断する事はかろうじて避けられた。だがそれは決してエルネスティーネが助かったという意味ではない。

 アキラは剣を捨てると、首の下から血しぶきを上げるエルネスティーネの体を正面から抱きしめた。

 視界の端に片手剣を持つテンリーゼンが見えた。そしてその切っ先がこちらに向かうのを確認したアキラは、苦もなくその剣先をかわすと、膝をついたままその場から動けないテンリーゼンの体を怒号と共に思い切り蹴り飛ばした。

 テンリーゼンには、もう剣を保持する力もなかったに違いない。アキラの足がテンリーゼンの腹に届く前に、テンリーゼンの手から片手剣はこぼれ落ちていたのだ。


 当然ながらエルネスティーネの件は故意ではない。完全な事故と言っていい。

 しかし自分が手を下したという事実は曲げられない。それがアキラを混乱させていた。だが認めるには、目の前の、いや腕の中の事実は重すぎた。だから全ての元凶はテンリーゼンであると思う事で心の中に自分自身の逃げ場をつくり、かろうじて錯乱状態を回避したのであろう。

 その時のアキラを支配し動かしていたのは、憎しみやと怒りと言った純粋な気持ちで表せるような感情ではなかった。それはテンリーゼンという存在を、実感を持ってぐちゃぐちゃに潰してしまわねば正気に戻れないという強迫観念にも似た衝動だった。だから剣で切り裂くのではなく、自らの肉体で直接潰さねばならないと考えたのだ。だから足を使ったのだ。エルネスティーネを抱えていなければ、アキラは迷うことなく両方の拳を使った二違いない。

 最初の一蹴りでテンリーゼンは大きく飛ばされ、その時点でもう、銀髪のアルヴィンは動かなくなった。頭を打ちつけて意識を失ったのか、腹を蹴られて失神したのかはわからない。アキラにとってテンリーゼンの意識の有無はもちろん、生死さえもはや問題ではなかった。

 彼は攻撃をやめなかった。動かないエルネスティーネの体を抱いたまま、その血で全身を濡らしながら、同じく動かないテンリーゼンの体を、二度、三度と踏み、そして蹴り続けた。

 テンリーゼンは何の抵抗もせぬまま蹴られる度に大きく地面を滑った。

 鈍い音が何度鳴ったのか、アキラは数えてはいなかった。気がつけば崖の縁にさしかかっていた。仮面が取れ、見難い入れ墨と化粧を施した素顔が見えた。だが地面を滑る度に擦れて血が滲み、元の入れ墨の模様さえわからないほどボロボロになっていた。

 無抵抗な少年の無残な姿を見ても、アキラはまったくためらわなかった。自分がやり過ぎているとも、もはや戦いですらないとも思わなかった。

 全ての血を流しきったのか、抱いているエルネスティーネからは、もう体温を感じなかった。いや、もはやその体に命の証しを感じさせるものなどありようがなかったのだ。それは崩れようとする体を支えた時から……いや、剣士として持っている感覚が、あの時の手応えが絶望を告げていた。

 その原因を作ったテンリーゼンを、アキラはまったく容赦しなかった。

 当たり前のように、アキラは最後の一蹴りをテンリーゼンに加えた。もはやただの物体となっていたテンリーゼンは、何の抵抗もなく断崖の下へ消えていった。

 アキラはテンリーゼンには目もくれず、すぐに踵を返した。そして今度は全ての意識をミヤルデに注いだ。


 ミヤルデの周りの地面はおびただしい血で染められていた。まるで赤黒い絨毯を敷いたように辺り一面にミヤルデとテンリーゼンと、そしてエルネスティーネの血が広がっていたのだ。

 アキラは血色の絨毯に突っ伏し、眠ったように動かないミヤルデの側で両膝をつくと、抱いていたエルネスティーネの遺体をゆっくりと横たえた。

 それは今まで理解していても認めたくはなかったエルネスティーネの死を確認する作業でもあった。

 袈裟懸けに切り裂かれたエルネスティーネの顔は青白く、首の辺りまで伸びていた金髪が頬と額に張り付いていた。

 アキラは血で染まった手袋を脱ぐと、その髪をそっと整えてやり、灰色の厚い雲を映している緑色の瞳を、まぶたで塞いでやった。

 そうすると、アキラにはエルネスティーネはまるでただ眠っているように見えた。赤黒い服を纏って……。


 アキラはゆっくりと首を振ると、今度はミヤルデの腕をとり、脈を測った。

「ミーヤ!」

 思わず叫び声が出た。

 微かだが、指の腹に脈を感じたのだ。

「ミーヤ! ミーヤ!」

 ミヤルデの耳元で、その名を何度も叫んだ。

 大事な人の蘇生の可能性に、その希望に、アキラの血が再びたぎった。それは憎しみと悲しみという抜け殻に支配されていたアキラを正気にさせる力があった。

 腕から離した指を、今度は首筋にそっとあてた。すると、手首より確実な脈を感じた。次いで鼻先に指を近づけると、そこには確かな命の息吹があった。

「ミーヤ、しっかりしろ! ミーヤ!」

 だが呼びかけに答える様子もない。

 慌てて、しかし注意深くミヤルデの体を起こそうとするが、体を持ち上げようとした際に、新たな血が脇腹からあふれ出し、アキラはそれ以上ミヤルデを動かす事ができなくなった。

 現時点では息があるにせよ、一刻を争うのは火を見るよりも明らかである。

 アキラは顔を上げると、もう一人の副官の名を、声の限りに叫んだ。届く可能性はない。しかし呼ばずにはいられなかったのだ。

 呼びかけた相手はベックと共に既にこの場を離れているはずであった。後であらかじめ打ち合わせた場所で落ち合う段取りになっていた。しかし一定時間が過ぎても現れない場合は様子を見に引き返してくれる可能性があった。とは言え、まだその「一定時間」が過ぎたとは思えない。だがもしも、という事もある。

 アキラはセージの名をもう一度叫んだ。

 だがそこに現れたのはセージ・リョウガ・エリギュラスではなく、片手を負傷した長身のアルヴであった。


「なんという事だ」

 ファルケンハインは血の海に横たわるエルネスティーネとミヤルデの姿を見て、それだけを口から絞り出すと、膝を突き自分を見上げるアキラ・アモウル・エウテルペを見下ろして立ち尽くした。

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