第二十九話 勝者なき戦い 6/7

「馬は使えるか?」

 アキラはベックに問いかけた。

「ああ、大丈夫だ」

 答えを聞くと、アキラは手綱をベックに渡し、自らは鞍を飛び降りた。

「悪いがティアナを頼む。君は急いでさっき言った場所でセージと落ち合ってくれ」

「いや、でも」

「議論している時間は無い、行け」

「うわっ」

 アキラは馬の尻を叩いてとりあえず走らせると、自分は逆方向に向けて走り出した。



 遠くでカチンという乾いた音が聞こえた。

 おそらくその音はテンリーゼンとミヤルデの両方の耳に届いたはずであった。

 そしてその音がした直後に変化が生じた。

 テンリーゼンの攻撃が突然止まったのだ。

 正確に言えば、テンリーゼンの動きが極端に遅くなっただけなのだが、速度差がありすぎて、ミヤルデにはそれが止まっているように感じたのである。

 何にせよ、かかわすだけで精一杯であった速い手数がぴたりと止んだのだ。訓練された精鋭兵であるミヤルデの体は、考える前に反応していた。

 初めて見つけた隙を衝かぬミヤルデではない。やらなければやられるなら、やれる時にやらねば「次」はないだろう。テンリーゼンがなぜ隙を見せたのか、ひょっとしたら罠なのではないかと考える余裕すら、ミヤルデにはなかった。

 その「隙」が消えてしまう前に出来るだけ速く、そして正確に「そこ」へ剣を振り下ろす事に全身全霊を傾けるだけであった。

 

 ミヤルデが振り下ろした剣は速く、そして迷いなくテンリーゼンの大腿部を袈裟懸けに切り裂く軌道を描いた。

 一撃で息の根を止める必要は無い。こういう戦いは無理をして急所を狙う必要などないのである。左右どちらかの一本でいい。脚を確実に潰せば勝てない相手ではないとミヤルデは判断していた。

 もちろんそれは負傷により利き手が使えず、使える左手も万全とはほど遠い状態のテンリーゼン相手だからそう思えたのだ。

 だがもちろん、その場面に関しては、ミヤルデの判断は正しいと言えた。

 異変を感じたテンリーゼンは、ミヤルデの鬼気迫る剣をかわしきれる術はないと即座に判断した。そして現時点で出来る最大限の防御策を導き出し、体を捻りながら不自由な左手に握った懐剣を繰り出した。

 ミヤルデの片手剣がテンリーゼンの右脚をなぎ払おうとしたところに、かろうじて懐剣の刃が届いた。


 金属同士がぶつかり合う乾いた音が鳴った。続いて小さくではあったが、布を切る鈍い音が同時に二人の耳に届いた。

 一瞬後。

 テンリーゼンは懐剣を失っていた。

 ミヤルデが振り下ろした剣の軌道を少しだけ変化させる事には成功したものの、剣の力を受け止めるだけの握力がテンリーゼンにはもう残されていなかったのだ。

 そしてミヤルデは剣先に布とは違う手応えを感じていた。

 軌道を少しだけ外されたミヤルデの剣は、テンリーゼンの左太ももの外側をえぐっていたのだ。もちろんそれだけではテンリーゼンの動きを完全に封じる事はできなかった。

 懐剣を失った事を知るやいなや、テンリーゼンはすぐに次の行動に移っていた。もちろん武器の確保である。

 あてはあった。

 ミヤルデが乗っていた馬がそれである。予備の片手剣が二振り鞍に取り付けてあるのを確認していたテンリーゼンは、そこへ急いだ。

 握力が限界だとはいえ、まだ手はあった。柄に手をかけ、鞘から剣を抜き出す事ができれば、感覚のない右手を無理に使えば、両手剣として構えられる可能性があった。そうなれば戦いが継続できる。間に合わなかった時はそこまでであろうが、その後の事はその時に考えればいいのだ。

 不思議と切られた脚に痛みはなかった。

 ただ、体全体が燃える様に熱い。脚は既に地面を捕らえている感覚に乏しく、馬に取りついたところで膝が落ちた。意思が、脳の命令が足の筋肉に伝わらなかった。

 そして、どうあがいてもそれ以上、一歩も動けなくなっていた。

 幸い剣を抜き取ることはできた。

 だが……。

 テンリーゼンが敵であるミヤルデの方に顔を向けた時、デュナンの女剣士はすでに目の前にいた。

 そして今まさに手にした剣をテンリーゼンめがけて突き出そうと構えたところであった。

「ダメですっ!」

 テンリーゼンをかばうようにエルネスティーネが飛び込んできた。

 軽い脳しんとうのようなものであったのだろう。すぐに意識を回復したエルネスティーネは、二人の剣士による戦いに気付き、それを止める為に文字通り体を張ったのだ。

 エルネスティーネは、両手を広げてミヤルデの前に立ちふさがった。

 振り下ろそうとした剣を、ミヤルデはすんでの所で止める事に成功した。

 エルネスティーネが飛び込むのがほんの一瞬でも遅ければ、突き出された剣は間違いなくエルネスティーネの体を貫いていたことであろう。

「そこをどけっ!」

 思わず怒号とも悲鳴ともつかない言葉を口にした時だった。

 ミヤルデは信じられないものを目にした。

 だが確実にそれは存在していた。

 なぜなら「それ」が自分の体……脇腹に突き刺さり、燃えるような激痛が走ったからだ。

 ミヤルデは体から力が抜けていくのを感じながらどうする事もできなかった。体を支えるどころか、抗う事もできず、意識が急速に遠ざかっていった。


 アキラは走りながら、その一部始終を目撃していた。

 ベックと別れた場所からエルネスティーネ達が居る場所までは、わずかな距離のはずであった。

 ミヤルデがほんの少しテンリーゼンの攻撃をこらえるか、もしくは優位に立っていてくれさえすれば、確実に間に合う距離であった。

 だがどちらも命がけなのだ。長引かせようなどという考えは一切ない。だからこそ短時間で局面は劇的に変化した。

 そう。

 アキラがたどり着く前に、両者の戦いは終わっていた。


 両手を広げたまま仁王立ちになっているエルネスティーネに、もたれかかるようにしてミヤルデが崩れるのが見えた。その脇腹に深々と剣が突き刺さっているのをアキラはしっかりと確認していた。

 エルネスティーネはと言えばミヤルデよりも先に意識を無くしており、ミヤルデが崩れると、二人は互いに支え合うような形になった。

 ミヤルデの背中に突き出た片手剣の柄は当然ながらテンリーゼンが握りしめていた。

 つまり……

 つまり、テンリーゼンはエルネスティーネもろともミヤルデを突き刺したのだ。

 二人の間に飛び込んだエルネスティーネのせいでミヤルデの動きが完全に止まった。テンリーゼンはそれを起死回生の機会だと判断し、完全な死角から剣を繰り出して見せたという事になる。


(なんと言う事を!)

 アキラの心の中で何かがはじける音がした。同時に体中の血管という血管が膨らみ、そこを沸騰した血液が奔流となって、手足の隅々に達した。そしてアキラは自分がまるで炎を纏ったかのような感覚を味わった。

 味方の……しかも本来守るべき対象であるはずのエルネスティーネを盾にして……いや、盾ではない。盾どころか……。

「貴様!」

 二人の体を貫いた剣をテンリーゼンがゆっくりと引き抜こうとしているのが目に入った。

 剣を抜く作業に集中していたテンリーゼンの反応は鈍く、アキラはもちろんそれを見逃さなかった。

 既に鞘を捨てた剣を両手で構えていたアキラは、走り込む勢いを止めずにテンリーゼンめがけて跳躍した。

 意識を無くしたエルネスティーネとミヤルデの向こう側にテンリーゼンの姿が見えた。アキラはそのすぐ横に飛び込むと、振り上げた剣を一閃、剣の構えが間に合わないテンリーゼンの首をめがけて鋭く振り下ろした。

 しかし、そこへあろう事かまたもやエルネスティーネが倒れるように体を投げ出してきた。

 意識を失っていたはずのエルネスティーネだが、それは一瞬だったのだろう。その時確かにエルネスティーネは覚醒していたのだ。

 剣を引き抜く時の痛みがそうさせたのだろうとアキラは思った。

「いけません!」

 エルネスティーネは叫んだ。いや、叫びは途中までであった。だが、そう言ったのだとアキラは思ったのだ。

 もちろん、アキラに対して放たれた叫びである。

 だが、間に合わなかった。

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