第二十七話 カラティアの指輪 2/4

「参ります」

 静かな声がエルネスティーネの口から漏れた。

 言葉に続き、天井に向けた剣先をゆっくりと下したエルネスティーネは、緊張気味のエイルと目を吊り上げてにらみ付けるエルデの、その間を断ち切るような線を描いた。

 もちろん二人が重ねた手をめがけて振り下ろしたわけではない。つなぎあった手よりも随分前で、ゆっくりと剣先は空を切った。

 それを見たエイルとエルデの表情が共に変わった。小さな驚きと疑問に彩られた表情だ。

 エルネスティーネはそれを確認すると、口の端に小さな、しかし満足そうな笑みを浮かべた。そして剣先をこんどは二人に向かって突き出して、きつく握り合っていた二人の手の上に、刃を横にしてそっと乗せ置いた。

「ファルさん、これって……」

 ベックがファルケンハインの脇腹をつついた。

「ああ、そうだな」

 ファルケンハインも気既に気付いていた。

 剣を二人の手の上に置いたまま、エルネスティーネはそこで口を開き、言葉を告げた。

 そしてそれはエイルも、もちろんエルデも予想もしていなかった言葉だった。

 その言葉は堂々とした厳かな声で、食堂全体に響き渡った。


「先のシルフィード王国国王アプサラス三世が息女、エルネスティーネ・カラティアによる媒酌で、ここにファランドール・フォウよりの客人(まれびと)、エイル・エイミイとマーリン正教会四聖白き翼ことエルデ・ヴァイスの婚儀を執り行う」


「え?」

「えええ?」

 エイルとエルデはその言葉にびっくりして目の前のエルネスティーネの顔を見やった。

「これは?」

 エルデは思わずエルネスティーネに詰め寄ろうと一歩踏み出したが、それを予想していたかのようにエルネスティーネが素早く空いている左手でそれを制した。

「婚儀とは結婚式の事です。瞳髪黒色、三眼でおまけに吊り目の亜神はそんなことも知らないのですか?」

「つ、吊り目は関係ないやろ? つか、ウチそんなん言われるほど吊り目やないと思うんやけど」

 前半はエルネスティーネに向かって、そして後半は隣のエイルに視線を移しながらエルデが問いかけた。

「いや、オレ達が今問題にしているのはそこじゃないから」

 エイルはエルネスティーネの顔をじっと見つめた。

「裏切ったミエリッタへの……罰は?」

「勿論、二人揃って一刀両断にしましたよ。さっき」

「え?」

「スカっとしました」

 エイルとエルデは顔を見合わせた。

 どうやら垂直におろした剣の動作がそれだったと言う事のようだった。

「えっと、今のはダジャレなんか?」

「いや、それはどうなんだろう」

 思わず突っ込んだエルデに、エイルも微妙な同調を見せたが、エルネスティーネは取り合わなかった。

「その話はもういいんです」

「いいのか?」

「はい。それより私はたいへんお怒りです」

「自分に敬語を使うな、この国語音痴」

 あまりの急展開にホッとしすぎ、かえって興奮したエルデが容赦の無い暴言を投げたが、エルネスティーネはそれにもまったく動じなかった。

「それは些末な事です。問題はそこではなくて、私が怒っているという点です。あなたこそ文章に対する読解能力が欠落しているんじゃないですか、エルデ? 人智を越えた明晰な頭脳とやらも疑わしいものですね。それともアレですか……ええっと、よく言うではありませんか。『カッパの質流れ』」

「ちょっと待て。そのカッパ、かわいそうすぎるやろっ」

「いやいやいやいや、落ち着けエルデ、今この場の問題はそこじゃないから!」

「用法も内容も全部微妙過ぎるのに、上から目線で言われて黙ってられるかいな!」

「お二人とも静かに! つまり私が言いたいことはこうです。私が居ないところで勝手に二人だけで婚儀を挙げるなど、あり得ません。ですから私は夕べお二人が挙げたとかいうそのいかがわしい婚儀は一切、絶対に認めません」

「い、いかがわしいとか言うなっ」

「どうせお互い一糸まとわず、しかも寝転がったままの状態で挙げた婚儀なのでしょう?」

「う……」

 エイルとエルデは、エルネスティーネのその一言に不覚にも絶句した。

「認めましたね?」

「いや、でも」

「いかがわしいなどと言われたくなければ、おとなしくここで由緒正しいシルフィードの王宮式の婚儀を挙げることです。先ほど宣言したとおり、私が媒酌をやります。そして敢えていいますが、これは罰です。私はこうすることで一生あなた達に関わらせてもらいます。あなた方が婚儀の事を思い出す度に、同時に私の事を思い出さずにはいられないという、死ぬまで続く素晴らしい呪いです」

 さすがにここまでくれば、エイルもエルデも気付いていた。そして同時に呆れていた。

 なんと持って回った祝福なのだろうかと。

「で、でも……」

「二人はもう身も心も一つになって、これから一蓮托生なのでしょう? 一心同体なのでしょう? 私の意に従わねばならないミエリッタはもとより、その妻に拒否権なんてありませんよ」

 そして二人は改めて思い知っていた。

 エルネスティーネ・カラティアという人間は、相当にひねくれた実にめんどくさい正確をした……とてつもないお人好しなのだと。

「いや、ネスティさん? 拒否権とかそんな話やのうてやね……」

「二人だけの婚儀なんて絶対にダメです。お願いですからこんな素敵なことは、みんなで祝わせて下さいな」

 エルネスティーネはそこで口調をがらりと変えてきた。以前の可愛らしい世間知らずのお嬢様然とした頃のエルネスティーネの口調だった。

 今のエルネスティーネは「そんな事」も自在にやってのけるのだ。


「ネスティの言うとおりだ」

 それまで成り行きを見守っていたファルケンハインが、そう言ってエルネスティーネに加勢した。

「そうそう。オレ達にお祝いを言わせないなんて一体どれだけ他人行儀なんだよ、お前たちは!」

 ベックもそう言うと、二人に目配せをしてみせた。

「媒酌は私。立会人はここに居るティアナ・ミュンヒハウゼンとその他とし、二人の誓いを見届けます」

「おいおい、俺たちゃその他かよ?」

「マーリン正教会の大賢者の私がその他なのだから、ベックがその他なのは当然だろう」

 ベックがおどけて囃すと、珍しくエウレイが軽口で返した。それはその朝で初めての笑い声を呼び、一同のほっとした気持ちが食堂を埋め尽くした。



 エイルとエルデは顔を見合わせた。

「どうする?」

「どうしよ?」

「困った人達ですね。まだそんな事を言っているのですか? あなた方に拒否権はないと何度申し上げれば済むのです? ここまで聞く耳を持たぬとは、まさに『糠に首』ですね」

(エイル……)

(こ、ここはこらえろ。オレもこらえる)

(そやかて気持ち悪すぎるやろ? 想像してもうたやんか)

(白状すると、オレも想像した)

(どうにかして欲しいわ、この子)

(さっきまで女王の風格だって思ってたけど、前言撤回。ぜったい女王向きじゃない気がしてきた)

(大丈夫や、その為の「変わり身」やから)

(な、なるほど。「向こう」はきっとまともだろうしな)

 ひそひそ話をしている二人を尻目に、エルネスティーネは儀式を強引にすすめる態度に出た。

 まずエイルとエルデの手の上にいったん置かれた剣を、そのままの状態で左手に持ち替え、ゆっくりと離した。そしてそのまま先ほどと同様に剣先を天井に向けた。

 次に剣を握る手の中指にはめてあった指輪を抜き取ると、それをエイルに手渡した。

「これは?」

 エイルはエルネスティーネが指輪をしているのを初めて見た。普段はほとんど装飾品と呼べるものを身につけていなかったはずなのだ。

 つまり、その指輪はこの儀式のためにあらかじめ用意していたもの、という事になる。

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