第二十七話 カラティアの指輪 3/4
「それは私からあなたたちへのささやかなお祝いの品です。シルフィード式の婚儀では指輪を使います。夫となる者が妻となる者に、一つの指輪を捧げるのです。しかし指輪ならなんでもいいわけではありません。特に新しい指輪はダメです。さらに言えば『受け継いだもの』こそが最上とされています。異世界からやってきたエイルはそんなものを持っているはずもありませんから、これは私からエイルへの祝福と今までの感謝の意味を込めて贈るものです」
それだけ言うとエルネスティーネはいったん言葉を切り、視線をこんどはエルデに向けた。
「勿論、エイルに向けた私の思いの丈がたっぷり込められています」
「な!」
エルデは瞬間的に目を吊り上げてエルネスティーネを睨んだ。
「エイル! そんな禍々しいもん、今すぐ捨て……」
「ありがとう、ネスティ。オレは今、言葉にならないくらいの感謝で一杯だ」
「エイル……」
エルデは出かかった言葉を飲み込むと、それ以上何も言わなかった。
差し出された指輪は銀色に輝くリリス製で、台座には小振りで透明な三連石がはめ込まれている可憐な形のものだった。
エルネスティーネによれば、今は無き母親が成人の儀に際して、そのさらに母親から受け継いだものだという。幼少の頃に他界した母が、病床でエルネスティーネにそれを託したのだ。すなわち、エルネスティーネにとっては母親の形見であった。
その話を聞くと、エイルは前言を翻した。
「ごめん。気持ちは嬉しいけど、そんな大事なものだと知ったら受け取れないよ」
エイルは感謝の意を込めて、しかし首を横に振った。
「何を言っているのですか? 大事なものだからこそ、お渡しするのです。これは我が母が私に残したもの。母はこれを私に手渡す時にこう言いました。『あなたが心から良き思いを託したいと願う相手にこそお渡しなさい』と。母もそう言われて受け継いだものです。幸せになって欲しい人に、その思いを伝える為のものなのです。私達の指輪は受け継がれてゆくべきものなのですよ」
「だったらなおさら……」
「だからこそ、です。あなたたちは二人とも私にとってかけがえのない大切な人です。そんな人達が一緒になるというのです。ならば我が祝福の思いを込めるべきものが、適当なもので良いはずがありません。ですから是非。これは私の、心からの願いなのです。それにこれはお礼の意味もあります」
「お礼?」
エルネスティーネはうなずくと、再び袖口を目頭に当てた。再び涙が溢れていたのだ。
「あなたたちの今朝の態度に対しての感謝です。あなたたちは私に対して済まなそうな態度もせず、憐憫の眼差しも向けず、ましてや気の毒そうな言葉も書けませんでした」
エルネスティーネはそこまで言うと一度鼻をすすり上げた。
「あの時、私に対して少しでもそんな態度を取っていたら、私はあなた方を許さなかったと思います。普通で居てくれた事、いえ、私を敢えて無視してくれたことに感謝します。私はあれで、かろうじて私の誇りを守る事ができたのです。そしてこの先もネスティとして前を向いて歩く勇気を持てました」
エイルはエルデを見やった。
エルデはゆっくりとうなずいた。
それは二人で決めていた事だった。いつも通りの態度でエルネスティーネに接する。それがエルネスティーネに対する礼儀だと。
気の弱い、人の良さそうな世間知らずの王女は、その下に我が儘で負けん気の強い厳しく激しいものを隠していた。
だが、どちらの「ネスティ」も、その本質は一つなのだ。
優しい少女。
一言で言えばその言葉に尽きるだろう。そしてただ優しいだけではない。その優しさは強く熱い。自らの弱さを白状できる勇気。そしてその心を素直に表現する方法を、エルネスティーネはいくつも持っているのだ。
(やっぱり、かなわないな)
エイルは表情を緩めると顔を上げてエルネスティーネに向き合った。そして腰をかがめて深く礼をすると、手にした指輪を掲げて見せた。
「ありがとう、ネスティ。その言葉は、きっとオレ達も受け継いでいく」
エイルがそう言うと、エルデも繫いだ手に力を入れた。同じ気持ちだと伝えているかのように。
「では、その指輪をあなたの大切な人の左手の小指に。アルヴィンの私の指に合わせてあるので少し小さいかもしれませんが……」
エイルは言われるままにエルデの左手をとると、指輪を小指にはめた。中指にはまっていた指輪とはいえ、小柄なアルヴィンの指である。ピクシィの小指にはわずかに小さいようで第一関節あたりで止まってしまった。
だが、エルデにとってはそんなことは問題にもならなかった。
エルデは慌てず騒がず、そのままの状態で何事かをつぶやいた。するとエルデの周りにあの精霊陣の帯が現れて高速に回転をし始めた。精霊陣は一つではなく、四重に重なって速度を上げ、そしてひときわ大きな光を放つと、すっと消えた。
「これでよし」
エルデが小さくつぶやいた。
一同はすぐに気付いた。
エルデの小指の根元に、指輪はあった。
それはまさにあつらえたかのようにぴったりであった。
いや、文字通りルーンで自分用にあつらえたのだ。
エルネスティーネは、それを見てにっこりと微笑んだ。
「最後に宣言をします。二人ともいいですか? 私の言うとおりに復唱するのです」
エイルとエルデが素直にうなずくのを確認すると、エルネスティーネは満足そうな表情をうかべて、さっそく誓いの言葉を口にした。
「本日我らは夫婦となることをここに宣言します。
つきましては立ち会いの皆様にこれを承認していただきたく存じます」
エイルとエルデは、同時にその言葉を復唱した。
エルネスティーネは大きくうなずくと、立会人一同を振り返った。
「媒酌として立ち会いの皆に問う。この婚儀を承認する者は床を踏み、意義ある者は剣を鳴らせ」
それがシルフィード王宮式の婚儀特有のものなのかどうかまで、エイルにはわからなかった。エルネスティーネにからかわれているのかもしれないという思いがちらついた。だが、全員がエルネスティーネの問いかけに対し、一斉に床を踏みならした事は事実であった。つまり、儀式の真偽はともかく、その時、そこにいる全員にエイルとエルデは祝福されたのは間違いない。
人間と亜神の結婚だからといって、二人だけの、言葉だけの婚儀をひっそりと挙げた二人だった。
それでも二人にとっては嬉しくて満ち足りた儀式ではあったのだ。
だが……。
気付くと、エルデは俯いていた。
その意味が、エイルにもわかった。
エルネスティーネは皆が鳴らした床の音に満足すると、再び言葉を復唱するように命じ、エイルとエルデはそれに従った。
「我らは生涯、皆に承認していただいたこの日この時の喜びを生涯忘れず、支え合い、寄り添い合って共に生きていく事をここに誓います」
なんとか耐えていたエルデだが、最後の方では声が震え、そして鼻声になっていた。
「媒酌であるエルネスティーネ・カラティアの名において、ここにエイル・エイミイとエルデ・ヴァイスの婚儀がなったことを承認し、それを宣言します。そして心からの祝福を贈ります。 本当におめでとう」
エルネスティーネのその言葉が、婚儀の終了の合図となった。
「おめでとう」
「おめでとうございます」
部屋中を祝福の言葉が行き交う。
拍手がなり響き、同時に床板もドンドンと鳴り響いた。
「仲良くな」
「仲良くは無理かもしれないぞ」
「ケンカするほど仲がいいっていいますし」
「なら大丈夫だな」
皆が二人の周りに集まった。
そこでさらに祝いの言葉が告げられると、とうとうエルデの我慢が限界に達した。
黒目がちの二つの瞳と、額にある赤い目の全てが大きく見開かれたかと思うと、そこから大粒の涙がぼろぼろとこぼれ落ちた。そして、隣にいる夫の胸に顔を埋めて嗚咽を漏らしたのだ。
それは、一行が見るエルデの初めての、そして最後の号泣であった。
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