第二十七話 カラティアの指輪 1/4

 小柄なエルネスティーネが、その存在感で場を支配していた。

 険しい表情と厳しい眼差しは、瞬きもせずにまっすぐにエイルに注がれていた。

 エウレイ・エウトレイカをはじめとする賢者組はまだしも、ここへ来てもアプリリアージェは介入するそぶりを見せなかった。

 緊張感の漂う中、ただ一人悠々と香りを楽しみむようにゆっくりと紅茶をすすっていた。


「もう一度言う。オレは誰とも約束はしてない。でもミエリッタが自分で言った事を守れなくなった場合は死ななきゃならない、というのなら、それは仕方ない。ミエリッタになる事を選んだのはオレ自身だから」

「それはあかん!」

 今度はエルデが黙っていなかった。

 エルデはエイルの性格がわかりすぎるほどわかっていたからだ。だから慌てて止めに入った。

 理不尽な事、自分が認めない事に対しては徹底的に抗う。そして償うべきものからは絶対に逃げない。それが「約束」という言葉を使おうが使うまいが、エイルの中では決まった事なのだ。

 つまりこの場合、甘んじて罰を受けようとするだろう。

 

「さっきから黙って聞いとったら……」

 エルデはエイルの前に割り込むと、エルネスティーネに対峙した。エルデが纏うエーテルのせいで、場の空気が一気に冷たく張り詰めた。加えて怒気が充満する。

 だが、エルネスティーネはまったくひるまない。それどころか、

「部外者はもう少し黙っていてください」

 そう言って唇を嚙むと、精一杯目を吊り上げてエルデをにらみ付けた。

「な、なんやて?」

 エルネスティーネはエルデを「お呼びではない」と一蹴したのだ。もちろんエルデは気色ばんだ。エイルはエルデが拳を握り締めるのを見て取ると、その腕を摑んだ。

「エルデ。いいんだ。ミエリッタの件は確かにオレが決めた事だ。だから、ミエリッタがらみの顛末はオレが受け止める義務がある」

「イヤや。ウチは部外者やない」

 エイルの制止には答えず、視線をこちらによこさないエルネスティーネの顔をにらみ据えたままで、エルデは続けた。

「ウチらは……エイルとウチはもう他人やない。もはや婚約者でもない。契り合った夫婦なんや。夫婦っていうんは一心同体。夫への責めは妻であるウチも同様に受けるべきやろ。そっちこそ王女か女王かなんか知らんけど他人のくせに人のダンナに勝手な事を言わんといてんか! だいたい、結婚した次の朝にいきなり後家さんにされてたまるかっ! そんなもん、本気出して、断固阻止したる!」

 エルネスティーネはエルデのその言葉を聞くと、ゆっくりとエルデに視線を移した。エルネスティーネの顔は厳しかったが、涙は止まっていなかった。エルデを見据えるその目から、今も涙があふれ出て、顎を伝った滴がテーブルの染みを増やしていた。

「そこまで言うのなら、いいでしょう。一心同体、結構です。では、そこに二人仲良く並んで下さい。この私が自ら手を下します。それならエルデに後家面されることもないでしょうから」


 ティアナはおろおろしながらエルネスティーネの方を心配そうに見やっていたが、たまりかねてファルケンハインににじり寄ると、小声で懇願した。

「私はどうすれば? 教えて頂戴!」

「いや、ここは下手に動かない方がいい」

「でも……」

「我が国が誇る希代の戦略家が動いてないんだ。策もない我々が動いてどうする?」

「単なるケンカの仲裁ならともかく……私はこういう、その、修羅場という奴は初めてでどうしていいのかわからない」

「考えてみれば確かに修羅場だな。しかも前代未聞の豪華さだ。大国の国王と世界最大の教会の頂点に立つ人物が争っているのが、なんと異世界の人間なのだからな。この先いくら長生きしても二度と見られないかもしれない」

「そんな気楽な事を言っている場合では……」

「大丈夫だ、ティアナ」

「え?」

「落ち着け。司令……いやリリアさんが落ち着いている限り、我々も落ち着いていればいいんだ。疑うなら、俺が今こうやって生きている事が証拠だ」

 ティアナはそこで言葉に詰まった。ル=キリアという名前を久しぶりに思い出した気がした。ファルケンハインの言うように、突出した作戦司令官の存在こそがその証明には違いない。

 しかし、ティアナにもエルネスティーネの変化、いや覚醒したエルネスティーネは時々そのアプリリアージェをも翻弄している事に気付いていた。

 それだけにファルケンハインの言葉だけでは落ち着けと言われても無理だったのだ。

「ネスティにはたぶん考えがあると、俺は思う」

 ファルケンハインは駄目押しのようにそう言うと、ティアナの手の上に自分の手を重ねた。

「だから、ここはお前の大事なネスティを信じろ」


 二人がひそひそと話をしている間に、エルネスティーネはエイルとエルデを自分の目の前に招いていた。

 エルデは不満顔だったが、一度短く抱きしめられ、そのままエイルに手を引かれると、渋々とではあるが、無言で従った。

 瞳髪黒色の二人に対峙した小柄なアルヴィンの少女は、ティアナの名を呼んだ。

「あなたは私の脇に控えて、見届け役をして下さい」

 呼ばれてすぐに立ち上がったティアナは、不安げな顔をファルケンハインに向けた。頼りにしている人物がゆっくりとうなずくのを見ると、覚悟を決めたようにエルネスティーネの斜め後ろに控えた。

 ティアナが位置に着くのを待っていたエルネスティーネは、エイル達を見据えたまま右手を横に少し上げて口を開いた。

「剣を」

「え?」

 ティアナは我が耳を疑った。

 まさか、と思った。

「本気なのですか?」

 だから思わず聞き返したのだ。

 しかし、エルネスティーネの返答は、いや意思は一貫していた。

「私の言うことが聞こえなかったのですか? 剣を渡しなさい」

「いえ……ですが、ネスティ……」

 エルネスティーネはそこで初めてティアナに視線を向けた。

「勝手を言います。これからしばらくの間、あなたと私は元の関係に戻ります。ですからこれはネスティではなくエルネスティーネ・カラティアとしての、臣下に対する命令です」

 ティアナは顔の向きは変えず、視線だけをファルケンハインに向けたが、ファルケンハインは静かな表情を変えず、ただゆっくりとうなずいただけだった。

 そこに焦りの表情は見られなかった。

 それを見て、ここで焦っているのは自分だけなのだと、ようやくティアナは自分に言い聞かせる事が出来た。

「かしこまりました。では仰せのままに……」

 そう言って一つ深呼吸をしたティアナは、腰に捧げていた剣を鞘ごと外し、それを両手で捧げるようにしてエルネスティーネに差しだした。

 その様子をじっと見ていたエイルはエルデに静かな声でささやいた。

(絶対に抵抗はしないでくれ。頼む)

(そやかて、この状況でそんな約束はでけへん。アンタを傷つける奴はたとえネスティであろうと……)

(エルデ、頼む。ここはオレの事を信じてくれ。夫を信じない妻とか、ダメだろ?)

(ううう。そのセリフは反則や)

(反則だろうが卑怯だろうが、ここは受け入れてくれ)

(ああもう、わかった。努力はしてみる……)


 エルネスティーネは差し出された剣を一瞥すると、袖口で涙をぬぐった。それはまるで、その時初めて自分が涙を流していたのに気付いたかのようなそぶりだった。

 そしてそれからゆっくりとした動作で、剣を受け取ると、柄に手をかけて、刀身を鞘から抜き取った。

 そのまま何も言わず、剣先をすっと天井に向ける。視線はずっと剣に注がれたままだ。それは刀身に曇りがないかどうかを確認する剣士か、あるいは刀工のような動作であった。

 エイルは驚いていた。エルネスティーネのそれら一連の仕草に一切の迷いがなく、それはまるで普段から剣を扱い慣れている者が当たり前にこなす奇麗な「型」になっていたからだ。

 もちろんエルネスティーネは剣士ではない。だが、アルヴの王を標榜するカラティアの嫡子のたしなみとして、相応の訓練はしていたのだろう。

 エイルは改めて目の前の小柄なアルヴィンの少女の立ち姿を見つめた。本当に小さなその背中に背負うものは、普通の人間の何倍も重いものに違いない。王女あるいは女王であるなら、それはたぶん当たり前の事なのだろう。だがエルネスティーネにはそれに加えてエレメンタルとしての重さが加わっているのだ。

 か弱い片手で保持する剣は、アルヴにとっては短い剣だが、アルヴィンのエルネスティーネからすれば両手剣とも言えるほどの長さがある。だがその剣先は一切ぶれていなかった。エイルにはそれがエルネスティーネの眼差しそのものに思えた。

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