第二十五話 仮面の下 4/4

「あの……」

 二人のやりとりを毒気の抜けたような顔で聞いていたベックが、またもやファルケンハインにひそひそと話しかけた。

「何だ?」

「エルデって、ああいう性格だったか?」

「あれはオレの知らないエルデだ」

「だろ? だよね? あれ、エルデじゃないよね? やっぱり別人だろ? 部外者だろ?」

「落ち着け。俺はあれがエルデの本来の性格だと考えればそれでも十分納得できる」

「はあ?」

「考えても見ろ、あいつは普通の人間じゃないんだ。とんでもないものをいろいろ背負ってる。そんなやつが普段から本来の性格を丸出しにしていると思うか?」

「いや……俺はいつでも本来の性格だから」

「お前や俺はそうだろう。だがたとえばネスティなんかでもそうだ。王女として王宮にいた時に俺が見ていたエルネスティーネ様と今のネスティは性格がまったく違う。初めて出会った時とも違う。ジャミールで少し変わって、ヴェリーユでとらえられそうになってから変化が加速して、ハイデルーヴェンで今の性格が完全に顔を出した。おそらく今のネスティが本来の素顔に近いネスティなのだろう。エルデにもそれと似たような事が起こったと考えればいい」

「うーむ。確かにネスティも俺が最初に出会った時とは別人みたいにしっかりしたというか、しっかりしすぎてもう頭が上がらないというか……」

「人はその数に差はあるだろうが、複数の仮面を持っているものだ。そしてそれらを使い分けているうちに、いつしか本人にもどれが仮面でどれが素顔なのかがわからなっていく。俺の勝手な憶測だと、エルデはたぶん自分の素顔自体がわからないようになっていたんだと思う。でも、夕べ、全ての仮面がはがれた……いや、エイルが仮面を脱がしてしまったのかもしれないな」

「昨日までのエルデはいくつも持っている仮面を付け替えていて本性は出してなかった。でも今日は違う。あそこにいる偽エルデこそ素顔のエルデ、実は本当のエルデだ! って言うのか?」

「断言はできん。だが見ろ、あんなに人間っぽいエルデは今まで見た事がない。そして俺はあのエルデが一番好きだな」

「ただの恥ずかしがりの娘にしか見えない……あれがエルデの素顔って事か」


 エルデが恥ずかしがる様子を楽しそうに見ていたアプリリアージェは、そっと立ち上がると机に突っ伏したままのエルデに歩み寄った。

 そして後ろに回り、手を伸ばしてエルデの頭をそっと撫でた。

「え?」

 エルデは思わず顔を上げ振り返ったが、自分を見つめるアプリリアージェの優しい笑顔を見ると何も言えなかった。

「よかったですね、エイル君と仲直りができて」

 アプリリアージェのその一言に、エルデの瞳が揺れた。


 エルデは涙腺がふくらむのがわかった。そして反射的に目を逸らした。エルデの涙腺は、夕べからずっと緩みっぱなしだったのだ。防御力はもはや皆無に等しかった。

 こらえる間もなく涙があふれてくる。

 そしてすぐに鼻声に変わってしまう。

「べ、別に仲直りとか……だいだいゲンカぢでた訳やないし……」

 努めて普通にしゃべろうとするが、声が震えて滑舌がおかしくなり、後半はすでに涙声になっていた。

「はいはい。そうでしたね」

 そう言うとアプリリアージェはエルデの髪をゆっくりと撫でながら続けた。

「それでも私は、よかったと思います」

 その一言には、エルデももう逆らわなかった。そのままの姿勢で、ほんの少しだけうなずいて見せた。


 今までだまって様子をみていたエルネスティーネは、そこでほうっとため息をつくと、険しかった表情を緩めて視線を天井に向けた。

 その緑色の瞳に、明かり取りのステンドグラスの極彩色が映り、さながら色の祭典と言った風情をかもしていた。

 そんなエルネスティーネを、ティアナが心配そうに見つめていた。その気配を感じたエルネスティーネはそのままの姿勢で唇の端に小さな笑いを作り、小さくうなずいて首を横に振った。

 ティアナにだけ、何かを伝えようとしたのだろう。そしてそれは言葉にできない、あるいはしたくないものだったに違いない。

 だが、ティアナはその時、言葉を紡ぐことなく、エルネスティーネの唇が「いいのよ」と動くのを見た。「これでいいのよ」 と。

 アプリリアージェはそんなエルネスティーネを視界の端でとらえていた。エルデの頭を撫でながら、ベックに顔を向けた。

「とまあ、そう言うことみたいですよ」

 そして満面の笑みでそう言った。

「はあ……」

 どう答えていいのかとっさに思いつかなかったベックは、とりあえずそう答えると頭をかいた。


 ベックが知りたかったのはそういうことではなかった。

 エイルとエルデの間に、つまりは男と女の何らかの出来事があったことなどはファルケンハインの言葉ではないが「見ればわかる」ことだった。

 彼が知りたかったのはあそこまで拗れていた関係が、一夜明けると見ているこっちの方が恥ずかしくなるような、睦まじくも微笑ましい関係に変わってしまった「経緯」だった。

 エルデは言った。

「ケンカしていた訳ではない」 と。

 ケンカではなくあのような状態になっていたという事は、実はもっと深刻な状態なのではないのか?


「俺、特殊部隊に所属している高位フェアリーのファルよりは、よほど普通の人の気持ちがわかる人間だと自負してたんだけどな」

「お前が俺の事をどういう目で見ていたのかと言うことはよくわかった」

 ファルケンハインはベックにそうなじったが、表情は極めて普通で、相変わらず何事もなかったかのように食事を続けていた。

「いや、そうじゃなくて」

「人と人との関係というものは、たった一つの言葉でガラっと変わるものなのでしょう」

 答えたのはファルケンハインではなくて、アプリリアージェだった。

「じ、地獄耳かよっ」

 ひそひそ話に割り込んできたアプリリアージェにベックは心の底から驚いていた。

「私が風のフェアリーだという事をお忘れ無く」

「その気になれば俺たちは五十メートルくらい先の会話くらいなら聞き分けられる。風下ならもっと距離は伸びる」

「ファル、あんた知ってて俺を止めなかったのかよ?」

「止めて欲しかったのか?」

「いや、そうじゃなくて、というか今までずっと? ずーっと俺のひそひそ話は聞かれてた?」

「過ぎた事だ。今更うろたえるな。そして観念しろ」

「ええええ?」

 じたばたするベックから視線を外すと、アプリリアージェは改めてエイルとエルデの二人に向かって声をかけた。

「それで、エイル君」

 アプリリアージェの呼びかけに対して、エイルは顔を上げた。

「エイル君から私たちに何か言うことがあるのではありませんか? それともエルデからでしょうか?」

 その言葉を受けて、一同は一斉に顔を上げてアプリリアージェとエイル達を見比べた。

 当のエイルはアプリリアージェの言葉を待っていたかのように、静かにその視線を受け止めると、エルデと顔を見合わせた後で、小さくうなずいた。


「食事の後にしようと思っていたんだけど……」

「なるほど。でも、みんなはもうほとんど終わっているようですよ」

「え?」

 そう指摘されてエイルは周りを見渡した。

 アプリリアージェの言うとおり、まだ食べ終えていないのはエイルとエルデ、そしてエルネスティーネの三人だけのようだった。

 エイルは自分では平静でいたつもりであったが、その実そうでは無かった事を知り、顔に血が上るのを感じた。


「えっと。実はみんなに聞いてほしいことがあるんだ」

 エイルはそう言うと、改めて隣に座っているエルデの方を見やった。エルデは赤い顔でじっとエイルを見つめていた。

 エイルの眼差しを受けて、エルデはコクンと小さくうなずいて見せた。

 エイルは視線を前方に戻すと、深呼吸を一つしてから、ゆっくりと話し出した。

「夕べ二人で色々と話し合ったんだけど、オレたちはここで旅を終えようと思う」

 思ってもみなかった言葉に、一同は思わず息をのんだ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る