第二十五話 仮面の下 3/4
「ネスティが静かなのが気になりますか?」
アプリリアージェは重ねて問いかけた。
そう言われて、ベックは思わずエルネスティーネの方を見た。
エルネスティーネはエイルとエルデの向かい側、しかも一番端に座っていた。
それは要するに、いつもと全く逆の構図であった。
昨日までエイルの横にいたのはエルネスティーネなのだ。
それが、今日に限ってエイルの隣はエルデだった。
エルネスティーネの表情は少し青ざめ、これもいつもと違い、ややうつむきがちの「らしくない」姿勢でスープを飲んで……いや、闇雲にかき回していた。
そう言えばネスティはさっき見たときもああやってスープをかき回していたっけ……。
(ああっ!)
ベックはそこでエルネスティーネの様子がおかしいのをようやく認識した。いや、全員の様子がおかしいのだが、ただ黙っている他の連中と違い、エルネスティーネはエルデとエイル以外では、唯一明らかに普段と違う行動をとっていたのだ。
そんなエルネスティーネの様子を隣にいるティアナが不安そうにチラチラと見てはいるが、肝心のエルネスティーネはティアナの存在に全く注意を払ってはいないように見えた。
ベックはアプリリアージェに視線を戻すと、肩を落として見せた。
勘弁してくださいという意思表示のつもりであった。
アプリリアージェはそんなベックににっこりと笑いかけると、そのまま視線をエルデに向け、いつもと同じ口調で声をかけた。
「あらあら、エルデ。今朝の食事は口に合いませんか?」
「へ? え?」
急に名前を呼ばれたエルデは顔を上げ、驚いた顔でアプリリアージェを見た。
赤い三眼は開かれたままだ。しかしその三番目の目には、いつもと違って威圧感がまったくなかった。
「さっきからまったく食事に手をつけてないので、どこか具合が悪いのか、ベックの料理は口に合わないのかどっちかなって思っていました」
「ええっと……ううん、なんか食欲がないねん……」
そう言うとエルデの腕をとり、そこに顔を埋めるようにした。
それは自分が真っ赤な顔をしている事に気付いて慌てて隠した、という行動に見えた。
エルデの様子を見たアプリリアージェは思わず吹き出しそうになるのを堪えてから、改めて声をかけた。
「さっきから気になっているのです。食欲もないとなるとこれはいよいよ体調が悪いのではないですか? 夕べは部屋に帰ってこなかったみたいですけど、ひょっとして一晩中外にいて風邪でもひきましたか?」
「え?」
アプリリアージェの問いかけにエルデはまたもや同じような反応をした。
「べ、別に体調は悪ない……けど」
「あら、そうですか。でも高熱で真っ赤になっていますよ」
「あはは……これはそう言うんやのうて……」
「そう言うのではなくて?」
「う……。まあ、その……」
そう言いながら目を泳がせるエルデの、見た事もないような落ち着きのない様子に、アプリリアージェは目を細めて微笑んだ。エイルはというと、エルデに片手を拘束されたまま、それを特にいやがる様子もなく、努めて平静な表情を装いながら片手で黙々と食事を口に運んでいた。
だが、エイルもまた頬の紅潮は隠せなかった。
「水くさいですよ」
アプリリアージェは全員に聞こえるように少し声を上げてそう言った。もっともアプリリアージェのその気遣いは無用だと言えた。全員が全神経をこれ以上ない程研ぎ澄まし、二人の会話に集中させていたのだ。交わされるどんな些細な言葉も聞き逃すまいと。
「水くさいって……?」
思わずエルデはアプリリアージェに問いかけた。アプリリアージェは待ってましたとばかりに落ち着いた口調で言った。
「祝福させて下さいな。だって貴方たちは夕べ、めでたく結ばれたのでしょう?」
「えっ?」
アプリリアージェの言葉にエルデは思わずその場に立ち上がった。その隣ではエイルがちょうど口に含んだスープを思いっきり吹き出して咳き込んでいた。
テーブルを挟んでエイルの対角線上に座るエルネスティーネはうつむいていた顔を上げ、て険しい瞳でエルデをにらみ据えた。
「えっと……その……」
「そんなおめでたい事は黙ってないで発表しないと。私達にも結婚のお祝いをさせてくださいな」
「けけけけけ……」
エルデはその場の誰もが予想し得なかったくらいうろたえていた。
「べ、別にウチらはまだ夫婦とか……そう言う事を考えてる訳やのうて……えっと……そういう訳なん?」
エルデは混乱しつつ、隣のエイルに助けを求めた。
「いや……その」
だがエイルの言葉もはっきりしない。
「あら、だって一晩中二人きりで契りを交わしていたのでしょう? 将来の事とか話していたではありませんか」
「え?」
「えええ?」
「み、見てたんか?」
これ以上驚けないほどの顔でエルデはアプリリアージェを見た。エイルも絶望に支配された表情で同様にアプリリアージェに顔を向けた。
「散歩をしていたら、今まで聞いた事もないようなエルデの甘い声が耳にはいってしまいまして。それで、子供は何人欲しいんでしたっけ? 五人でしたっけ?」
「え? そ、それは……よ、四人くらいかなって……ね?」
エルデは同意を求めるようにエイルに顔を向けたが、エイルは肘をついた手で顔を覆った。
「エルデ……」
「へえええええ」
エルデの答えに、アプリリアージェの目尻がどんどん下がって、微笑が完全に笑顔に変わった。
「あらあら、夕べはそんな話までしてたんですか」
「え? ああっ!」
エルデは、アプリリアージェにまんまとしてやられたことに気付いて思わず立ち上がった。エイルはアプリリアージェのはったりに気づいていたが、止める間もなくエルデが答えてしまっていた。
もはやこうなってはごまかしようもない。後の祭りとはまさにこの事だった。
「ばか……」
「ぐう……」
「あらあら、まあまあ」
エルデの苦しい言い訳に、アプリリアージェは大げさに驚いた見せた。
しかし、この日のエルデは珍しく無駄な反抗を試みた。
「ち、ちゃうねん。ちゃうちゃう。えっと……ほら、ウチらはまだ出会うたばっかりやし、その、キス。そや。キスだけや」
「いや、正確にはオレ達は二年前に出会ってる」
「何言うてんの、エイルってば。ウチはアンタにとってずっと男の子やったんやから」
「お前が女だって知ってから、もう数週間は経ってる」
「いや、アレはほら……あの時はまだ他人やったっていうか……」
「なるほど」
アプリリアージェは軽く崩壊しかけているエルデにとどめを刺した。
「それはつまり、夕べ他人では無くなったという事ですね?」
「あ……あれ?」
「もう観念しろ、エルデ。オレは観念した。というか、ここに来た時、お前がオレに真っ赤な顔でへばりついている時点でオレたちの言い訳には信憑性が全くない事くらい、気付け」
「あう……」
エルデは自分で口にした意味不明な言葉を反芻したのか、よりいっそう赤面すると、ふらふらと椅子に崩れ落ち、そのままテーブルに顔を伏せた。
「ああっ、ウチとしたことがっ! つまらん誘導尋問に引っかかってもうたーっ」
「だから誘導尋問以前の問題だって」
「そやったらエイル、なんで言うてくれへんかったん? ウチはもう夕べからふわっとして、ぼうっとしてて……アンタにしっかり捕まってへんと体がナナメになっているみたいでちゃんと歩けるか不安で……そやから」
「いや、オレ、言ったよな? 『この格好でいいのか?』って。三回くらい。その時のお前の答えをそのまま言ってやる。 『これでええねん』『もうええねん』『こうしてないといやや』『こうしているとふわふわで幸せや』」
「そ、そやかてこうしてるとホンマにふわふわで、そのくせすごい落ち着いて気持ちええねんもん……」
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