第二十五話 仮面の下 2/4
緊張感あふれるその朝の静寂の原因。
それは……
(原因はどう考えてもアレしかないんだ)
ベックにも原因そのものはわかっていたのだ。
だが、何がどうなって「ああいう状態」になっているのかがわからない。
それはもう、清々しいほど奇麗さっぱり、皆目、完全、まったく、ことごとくわからなかった。
いや。
その表現には誤謬があるかもしれない。
原因はわかってはいるのだが、ベックとしてはそれがどうにも唐突過ぎて受け入れられないのだ。いや、認められないと言い換えた方がいいだろう。受け入れて認めることを理性が拒否しているとしか思えないのだが、受け入れられないものは仕方がなかった。
もちろん時系列をきちんと追って、そこに至った経緯を理解していれば、それは普通に受け入れられる光景であったかもしれない。だが肝心要のその「経緯」が欠落している状況では、ベックとしては下手に動くのは得策ではないわけである。
値踏みが得意なベックの事である。経緯は知らずとも、もちろん彼なりの推理はあった。
しかし簡単にその推理を正解だと思うには不安があった。
ファルケンハインの言葉を借りれば「状況を把握できていない」という事である。
曲がりなりにもベックなりに推理はしていて、その推理に自信もあった。だがベックがひねり出した推理が正解であるとしても、それにしては周りの反応があまりに静かすぎるのだ。そうなるとますます確信が持てなくなっていくのである。
「なあ、マジで俺を除くみんなは『これ』を把握・理解しているのかよ?」
ベックはテーブルについた面々を一通り見回した後、ひそひそ声で再度ファルケンハインに尋ねた。
「だろうな」
ファルケンハインはさっきと同じように無表情のまま小声で答えた。
「ファル、それって要するにあんたも理解してるって事だよな?」
「さっきからお前は何を言ってるんだ。理解も何も、見れば分かる事だ」
「いや、見ても分からないからヤボとは知りつつこうやって聞いてるんじゃないか」
「俺ですらわかるのに、か?」
木で鼻をくくったような対応しかしないファルケンハインにベックは業を煮やし、イライラしながら髪をかき回した。しかしそこで諦めないのがベックのベックたるところであった。低い声でさらにファルケンハインに食い下がった。
「だって、おかしいじゃないか? 昨日まであれだけ素っ気ないというか何と言うか、必要以上に冷たい態度だったじゃないか? 冷戦というか冷え切った関係というか……そりゃもう周りの俺達の方がいたたまれないような……」
「まあ、そうだな」
「なのに今朝、あいつらときたら、あろう事か一緒に現れやがったんだぜ? しかも腕を組んでだ!」
「お前に言われなくともそれは俺もここに居るみんなも目撃している事だ」
「それだけじゃないだろ? 並んでテーブルに着いたその後も妙に距離が近い。近いよな、あれ? 椅子と椅子の間隔、狭すぎるだろ? ありゃ、間隔とか存在してないよな? もうぴったりべったりくっついているように見えるんだけど、俺だけか?」
「そうだな。お前が今しゃべった様子は正確だ。なぜなら俺にもそう見える」
「だろ? あまつさえ、エルデなんてあの顔だぞ。現れた時からずーっと真っ赤なままだ。眼なんかほとんど潤んでるし、そもそも表情なんてトロトロだぞ? さらにさらに、だ。例の三眼を開いたままじゃないか? 前髪の間から見え隠れしてる三つ目の赤い目自体がトロンとしてるだろ? というか、エルデが入ってきてから部屋の空気が妙にむずむずするというか気持ちが浮ついて落ち着かないというか、妙に気恥ずかしいというか、桃色すぎるだろ? あの目だろ? あのトロトロの目が原因だろ? 違うか? 違わないよな?」
「まあ、落ち着け。トロトロという表現はさておき、熟したザクロのようにエルデは耳まで真っ赤なのは確かだな。だが、エルデだけじゃなく、エイルもそれなりに赤い顔だ」
「あ、そっか。あいつら朝っぱらから酒でも飲んでるんだ。それでか。よくやるぜー……なーんて俺が思うとでも? 俺は酒樽の管理は完璧にやってるんだぜ?」
「だから落ち着け。お前も知っての通り、体質的にエイルはほとんど酒は呑めないそうだ。それにエルデが酒を呑んでいるのを俺は一度も見た事がない」
「いや、そういうこと言ってるんじゃなくてだな……」
「では、どういう事を言ってるんだ?」
「そうじゃなくて、テーブルに着いても、いつものような毒舌がエルデから出ない、というか、あんな表情じゃ出ないだろうけど。というか、俺は言いたい。指摘したい。昨日までのあなたの態度はいったい何だったんですか、エルデさん? ってな。そもそもエルデなんてこの部屋に入ってきた時の第一声が「オハウヨ」だぜ、「オハウヨ」。どこの言葉だよ? 古語か? それともルーンか? ルーンなのか? ああそうか、ルーンなんだ。この部屋を居心地の悪い桃色に染めるルーンなんだな? でもってずっとエイルに寄り添って、その顔をじーっと見てるだけで食事にもほとんど手を付けてないのも、そのルーンのせいなんだよな?」
「そうだな」
「いや、『そうだな』じゃないだろ?」
「違うと言ってもお前は突っ込むだろう?」
「わかってるよ、今の俺、めんどくさいよな? でも、アレだよアレ。というか、またほら、ギュッとエイルの腕を抱きしめてる!」
「うむ、そうだな。片腕を完全にエルデに拘束されているから、見ていてエイルはいかにも食事がし辛そうだ」
「いや、突っ込むのはそこじゃないだろ? と言うか、だ。わかった。俺が間違っていた」
「間違っていた?」
「そうだよ、エルデじゃないんだ、アレは!」
「もう一度言うが、落ち着いた方がいいぞ。お前がいつも言っている事だろう? 『調達屋ってのは、冷めた計算と熱い心意気でできてんだ』とな。計算式が沸騰してるぞ」
「これが落ち着いてられるかよ! そもそもアレはいったい誰? あれがエルデだって言われても俺は信じないぜ? エルデにそっくりだけど、あれは違う生き物だろ? 言ってみれば赤エルデだ! 茹でエルデでもいい! それってもはや部外者だろ? 何で誰もそれを指摘しないんだよ!」
「いや。俺は決して別人ではないと思う」
「ああもう、俺はそう言うことを言っているんじゃなくて……」
ベックはイライラとした仕草でまたもや頭を掻いた。
ベックとファルケンハインのやりとりをしばらく面白そうに眺めていたアプリリアージェだが、目尻をいっそう下げるとベックに声をかけた。
「どうしたんですか、ベック? 今朝はなんだか落ち着きがありませんね」
「お言葉ですが、コイツは普段から落ち着きがある方ではありませんがね」
ベックではなく、珍しくファルケンハインが皮肉混じりにそう答えた。
「確かに。言われてみればそうですね」
アプリリアージェの声の響きは悪戯っぽさに溢れていた。いや、何かを企んでいるとしか思えない声だった。
ベックは当然身構えた。相手はアプリリアージェである。まともにやり合って勝てる相手ではない。だから声をかけられたものの、それに対して不用意に答えることをためらった。
ベックの考えでは、相手がアプリリアージェの場合、慎重に言葉を選ばないと、誘導に引っかかってとんでもない事を喋らされるはめになる可能性があったのだ。
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