第二十五話 仮面の下 1/4
「質問……してもいいですかね?」
一夜が明けていた。
朝食には全員が揃っており、一つの大きな長テーブルを皆で囲むいつもの形式だった。
しかし、ベック・ガーニーの頭の上には見るからに大きな疑問符が浮かんでいた。すなわちベックはその疑問符を取り去るべく、隣に座ってただ黙々とスープを口に運んでいるファルケンハイン・レインに、妙にへりくだった言葉でおそるおそるそう声をかけた。
ベックはどうにも気になって仕方がなかったのだ。
そしてこの部屋にいる誰もが、自分と同じ気持ちを共有しているはずだと彼は決めつけていた。
いや。
ベックを責めるのは筋違いかもしれない。彼がそう思い込まざるを得ないほどの異様な空気が、その朝の食堂には充ち満ちていたからだ。
当初はベックも自ら火中の栗を拾うつもりはなかった。だが、あにはからんや、いつまで経っても誰一人としてその変化について言及したり指摘したりしないのだ。それどころかそういったそぶりすら見せなかった。
商売柄、好奇心の塊のようなベックにはそれが耐えられなかっただけの話である。
だからといってすぐに自分がその当事者にならない、つまり直接指摘しないのは、調達屋としてベックが一流の証し……であったのかどうかは定かでは無い。
ただ、ベックは心に響き渡る警鐘に素直に従っていただけであった。
当初、彼の自慢の鼻はこう告げていた。
(自分で言い出すのは絶対に避けろ) と。
しかし、ベックはまだ若く、こみ上げる好奇心に降参するのは時間の問題であった。
(言い出しっぺにはなりたくない。さりとてこのままでは悶え死ぬ)
気持ちがそう変わっていくのに、さしたる時間はかからなかった。
そもそも調達屋とは能力以前に人より数倍は好奇心旺盛でないと務まらない職業なのだ。そしてベックには自分の好奇心は調達屋仲間の誰にも負けないという妙な自負があった。
だからこそ隣にいる、全く持っていつもと変わらない仏頂面のアルヴに助け船を求めたわけである。
だが渋面のアルヴは、彼が思っているよりもはるかに冷酷だった。
「最初に言っておく。俺は何も答えたくない。感想も言いたくないし予想も想像も語りたくない。ないないない、だ。リューゼ湾のオオハイイロアコヤ貝のように口を閉じ、全身全霊をかけて沈黙という真珠を守り続ける事をここに宣言させてもらおう」
ファルケンハインの言葉は、静かではあるが妙に熱を帯びたものであった。
「いや、そんな宣言はしないでいいって。というか、即撤回しろ。だってあんただって思ってるだろ? こりゃどう見てもおかしいだろ? 異常だろ? もはや非常事態といっていいだろ? こういう場合、あんたみたいな立場の人って、的確に状況を把握しないといけないんじゃないのか? 軍人だろ? それも特殊部隊の将校さんだろ? 副官なんだろ? 副官ってのは要するに司令官の参謀じゃないか。だったらその把握した情報を包み隠さず俺にこっそり横流し……いや、漏洩……じゃない、お互いの利益の為に提供してくれるだけで済む事じゃないか」
突き放したつもりなのに食いついてくるベックを心の底から疎ましく思いながらも、ファルケンハインは的確な状況把握に長けた男である。様々な角度から吟味した結果、ここでこのままだまり続けても、事態は好転しないと判断した。すなわち、話につきあうしかない、という結論である。勿論ベックの気質を見切っていたからこそとれた賢明かつ合理的な判断と言えた。もちろん、断腸の思いで選択した作戦であった。
「そこまで言うのなら、一つだけ情報を提供してやろう」
「おお、さすがはファル。是非頼む」
「これは確実な情報だ。この場の状況を俯瞰しながら事態の把握が出来ていないのは、俺が見たところ、おそらくはお前だけだ」
「えええ?」
「どうだ? この場面においては極めて有益な情報だろう?」
「いや、そりゃないだろ」
ベックはなおも食い下がったが、ファルケンハインにスープが冷めると、文字通り冷たくあしらわれて肩をすくめた。
これ以上ファルケンハインをつついても成果は得られないと判断したベックは、改めて仲間の様子を子細に観察することにした。使えないとわかった相手に拘泥しないのも調達屋として一流の証し……であった。
(まずは相も変わらず昨夜の痛飲の影響が全く見えない化け物……もといユグセル司令からだが……)
……ダメだ。
あの人の場合、顔色を見ても全く意味がない。時間の無駄だ。
いつも通りニコニコしながら食事を思いっきり楽しんでる風にしか俺には見えない。
お次はその隣の……。
おいおい、そもそもかぶり物をしてる副司令……リーゼの顔色なんか全く分からないじゃないか。
何やってるんだ、俺。こいつらの事は一通り把握してるはずだろうが。
じゃあ、ファル……レイン副司令の向こう隣のティアナは……。
……コイツは怪しいな。
それもあからさまに不信感ありありの態度を隠そうともしていない。
いやいや、テーブル全体が普段と違って妙によそよそしいのがそもそもおかしいんだから、ティアナがそうだって指摘しても無意味なのかもしれないな。
リリア司令とリーゼが平常と替わらないのがむしろ異常なんだ。
それに……そうだ。
異常と言えばなぜもっと早く気づかなかったんだ。
(そう言えば誰も……食事が始まってから一言も喋ってない)
ベックはいつもの朝食風景を思い返した。
エルネスティーがエイルの横に陣取る。
その向かい側の一番離れた場所があのエルデだ。
エルデとエイルの間には、エルミナに来てからこっち一切会話はない。
当初、エイルはエルデに対して声をかけてはいたが、完全な無視を決め込まれ、あきらめの早いエイルはすぐに無駄な努力を続ける事を放棄した。ベックにはそんな二人の間には険悪な雰囲気が漂っているように見えていた。
ただ、そんな二人を尻目に、普段、テーブル自体は賑やかだった。
エルネスティーネは盛んにエイルに話しかけたり、端から見てもやり過ぎだと思える世話を焼いたりする。困惑したエイルがそれに対して抗議する。そんなエルネスティーネに対してエルデが聞こえよがしに嫌味をなげる。
そうなるとエルネスティーネも黙っておらず、テーブルの端と端による言い争いが発生するという一連の流れがあった。
よせばいいのにそこにティアナが絡んだり、そのティアナをファルケンハインがたしなめたり、時には場を混ぜっ返す事が目的としか思えないような発言をひっさげてアプリリアージェが事態の収拾を図る振りをしたり……と、つまりは賑やか極まりないはずなのだ。
そのあまりの喧噪に「静かにしろ!」と立ち上がってテーブルを叩きつつ怒鳴りたくなる事はあっても「静かすぎて居心地が悪い」と思ったことはこれまで皆無だった。
もっともその喧噪にはベックも毎度毎度荷担しているのだが、自分を勘定に入れていないぶん、彼が想像している喧噪の度合いは本来よりも低い可能性すらあった。
だが……。
だが、である。
その日の朝はポットからカップにお茶を注ぐ水音が食堂に響き渡るほど静まりかえっていたのは紛れもない事実であった。
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