第二十四話 返名 4/4
エルネスティーネは涙をぬぐい、何かの区切りのように最後に大きなため息をついた。
そしてル=キリア隊内呼称をアイスとされた休憩小屋の中を見渡した。
「リリア。居るのでしょう?」
そして雲間から漏れたアイスの光が満ちてきた空間に向かってそう声をかけた。
「あらあら」
その声を待っていたかのように誰も居ない空間から声がした。
「ばれていましたか」
「ため息が聞こえました。いつから居たのですか?」
誰も居ないはずの空間に、忽然と人影が現れた。それは瞬きと瞬きの時間の隙間から飛び出したように唐突な出現であった。
だがエルネスティーネは驚かない。
姿を消すルーンがある事を既に知っているからだ。
ルーナーはエルデだけではない。
賢者と大賢者が一行にはいる。アプリリアージェが請えば、一般的には高位ルーンとされ、まずお目にかかる事のないような強化ルーンでさえ、かけてもらう事が可能なのだ。
「ネスティがくる前からいました」
いつもの微笑でアプリリアージェは答えた。
「そうですか」
「少し早い誕生日を彩る贈り物、という訳にはいきませんでしたね」
エルネスティーネが手に持っている毛布に目をやったアプリリアージェの言葉に、エルネスティーネは眉をひそめた。
「知っていたのですか?」
「意外そうな顔をされるのですね。白の一月十日。これでもシルフィード国民の端くれですから、シルフィードの宝石と呼ばれるエリー王女の誕生日を知らぬ訳はありませんよ、姫様」
「姫様は冗談でもやめて下さい」
エルネスティーネはそうたしなめるとため息をついた。
「ティアナには強く口止めをしていたのですが、無駄でしたか」
「エイル君には知られたくなかった?」
「エルデにも、です。余計な情をかけられてはたまりませんから」
「あらあら、どんな手を使ってでも奪うんじゃなかったのですか?」
「あれは言葉の綾です。あなたがシルフィード国民の端くれだというのなら、こう見えて、私もアルヴ族の端くれだと言えばわかるでしょう?」
今度はアプリリアージェがため息をつく番だった。
「難儀な人ですね、あなたも」
「も?」
敏感に言葉尻を捉えたエルネスティーネの問いかけにアプリリアージェはうなずいた。
「エルデも大概、難儀な人ですからね」
「なるほど、そうね」
エルネスティーネは素直にうなずいた。
「エルデのその難儀な性格を知っていたからこそ、あなたは九分九厘掴んでいた勝利をいったん投げ出した。違いますか?」
エルネスティーネはそれには答えなかった。アプリリアージェも答えが欲しいわけではなかったのだろう。それはもう「わかっている事」だったからだ。エルネスティーネは流されるエイルが欲しかったのではない。エイルが真に望む相手でありたかったのだ。
アプリリアージェは、流されることが悪いとは思ってはいなかった。だがエルネスティーネの立場であったなら、おそらく、いや間違いなく同じ事をしただろうと思っていた。それがアルヴ族の矜持なのだ。こんな場合にも出てくる矜持など、不必要なものだとは思う。
流されることから始まった関係があってもいい。いや、おそらくこの世界ではそんな関係は日常茶飯事なのではないだろうか? 問題はそれをきっかけにして二人が幸せになれるかどうかではないのか?
だが、アルヴはそこを考えない。終わりがどうあれ、始まりを正しい形にする事を望む。では正しい形とは何なのだろう? アルヴはそれを自分の中の正義や平等という価値観で自分が納得いく決めつけをする。
エルネスティーネの場合は今回の勝負が「矜持」の具現化だったのだ。
もちろん勝算はあったのだろう。いったん白紙に戻したとしても、エルネスティーネは、エルデに勝てると確信していたのだろう。
いや。
「誕生日が最良の日という訳にはいきませんでしたね」
アプリリアージェがそう言うと、エルネスティーネは首を横に振った。
「私は自分に正直だった。この晴れやかな気持ちで迎える誕生日が悪い日であるわけがありません。それに、エルデの友としてはエルデの隣にはエイルに居て欲しいと願っている私がいるのも事実です」
アプリリアージェはその言葉を聞くと、エルネスティーネから視線を逸らして話題を変えた。
「それにしてもすばらしい平手打ちでしたね。覗いていた身としてはいささか不謹慎な発言だと思いますが、惚れ惚れしましたよ」
ふふふっとエルネスティーネが小さく笑い声を漏らした。
「あれは自分でも会心の一撃だと思います」
「エイル君、倒れ込んでしばらくあっけにとられてましたもんね」
「恥ずかしながら、あの時はすこし逆上していたようです。でも、悔いてはいません。今日まで生きてきてあれほどの屈辱を味わった事はありませんから」
「確かに、この雨の中でネスティを明け方までここに留め置く事ができないからとは言え、ここにくる事自体が答えだという勝負の大前提を無視してのこのこやってくるのは途方もない愚か者か、相当な自己中心的な考えの持ち主かのどちらかですね」
「そうです。あれでは思わず涙を流して抱きついていった私はただの道化です」
「でも、エイル君が言っていたじゃないですか。 『自分がやりたいと思った事をやっただけで、ネスティがどう思おうがどうでもいいんだ』って。 ひどい事だということはわかっていて、嫌われる覚悟も持って、それでもあなたの事を心配したかったという事ですよ」
「わかっています」
エルネスティーネはそう言うとアプリリアージェから顔を背けた。
「だからよけいに……エイルのその優しさが……悔しくて、苦しくて、恨めしくて……憎らしくて……どうしようもないのです」
それだけ言うとエルネスティーネは肩をふるわせた。アプリリアージェはそれを見て少し逡巡するような表情をした後、無言でエルネスティーネを抱きしめた。一瞬体を硬くしたアルヴィンの少女は、次の瞬間には黒髪のダーク・アルヴの体を自分からも抱きしめ、こらえていた嗚咽を解放した。
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「あのな」
「ん?」
「ウチがネスティの立場やったら……」
「え?」
「咄嗟に出しやすい火炎ルーンで焼き殺してるか、雷、落としてるか、力を制御せずにグーで殴ってるか……」
「おいおい、それ、お前にされたら、どう転んでもオレ、死ぬよね?」
「それくらいの罰を受けて当然なくらい、無神経でどうしようもない事をしたっちゅう事や。平手打ちとか、甘すぎるわ、ネスティ」
「誰かに伝言を頼む事も考えたんだけど、自分でけじめを付けたかったっていうか……」
「でも、ネスティには悪いけど、ウチとしては同情するわけにはいかへんな。それこそネスティに嫌われるし」
エルデはそう言うと、手を伸ばしてエイルの頬を撫でた。
「ほんまに、今でも夢みたいや……」
そしてそのまま再びエイルの唇に自らの唇を重ねた。
「ウチの話を……子供の頃の話やけど……聞いてくれるかな?」
長く濃厚な口づけの後で、エルデがポツリとつぶやいた。
エイルはもちろんだと言ってうなずいた。
「でも、その前に謝らせてくれ」
「謝る? ネスティにやのうて、ウチに?」
エイルは再度うなずいた。
「オレはお前の事を化け物と言った。その事を謝りたい。許してくれとはいわない。言い訳もしない。ただ、謝りたいんだ。そうじゃないと、オレは一生……」
エイルの謝罪は途中で途切れた。エルデがその口を塞いだのだ。もちろん、自分の唇で。
「おおきに。でもあれはしゃあない」
そう言うエルデの表情は晴れやかで、そして微笑んでいた。エイルを見つめる目は細められていて、三つの瞳にアイスとデヴァイスが浮かんでいた。
「理性やのうて、恐怖からくる本能が口を動かす。誰にでもある反応や。ウチかて同じような目に遭ったら、たぶん……ううん、絶対同じようになる」
「でも……」
苦しそうに眉根を寄せたエイルの唇を、エルデはまた塞いだ。ただし、今度はその細長い人差し指で。
「それでも謝ってくれたやん。ウチは何よりそれが嬉しい」
その一言でエイルの顔から緊張が解けた。
「いいのか?」
「何が?」
「お前を……独り占めしたいんだ。頭の先から、足の指のつま先まで全部オレのものにしたい」
エルデの顔に一瞬で朱がさした。いや、ずっと目の周りは上気したままだった。だがその赤みが頬から首にかけて広がったのだ。
「ウチの話の後にする? それとも、今すぐ?」
「もちろん、先に話を聞かせてくれ。そうじゃないと、その……後回しにしたら、忘れちゃいそうだ」
「あほエイル」
エイルは自分もエルデに負けずに真っ赤になっている事を自覚していた。だが、不思議に自分が告げた言葉に対して恥ずかしさはない。それよりも息がかかる距離にいる怪しくも美しい人と心が通じ合う高揚感で満たされた気分だったのだ。
「えっと……キスしながらでも、ええかな?」
エイルは答えの変わりに、エルデの口を唇でふさいだ。
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