第二十話 イオスの隠れ屋敷 3/5

「ならばもらって欲しい。言葉よりも雄弁な私の気持ちだと思って欲しいのだ」

 ミヤルデは涙と鼻水でくしゃくしゃの顔を隠しから取り出したハンカチでぬぐった。だがまだ涙は止まらぬようで、新たな涙で顔が濡れていった。

「ありがとうございます。身に余る光栄……」

 そこまで言いかけた時に、エスカが割って入った。

「おいおい、もうちょっと素直な言葉で受け取れ、このバカ娘」

 そして二人に近づくと、いつの間に取り出したのか、細長い紐を手にしていた。

「そのままだとどうしようもないだろ?  これで結わえろ」

 差し出された布紐をアキラとミヤルデは同時に眺めた。よく見れば読めない妙な文字や記号や図形が細かくびっしりと書かれていた。しかもその図形や記号が信じられぬほど整っていて美しい。

「これは?」

「俺の妻の持ち物でな。そこに書かれてるのはルーンを発動させる為の精霊陣だそうだ」

「精霊陣?」

「心配するな、ニームにしか使えねえよ。危険なものじゃねえ。……たぶん」

「たぶんって……」

「でも……」

 ミヤルデはそれを受け取るのをためらった。エスカとニームの事は彼女も当然ながら知っていた。だからそんな大切なものを受け取る訳にはいかないと思ったのだ。

「あのな」

 エスカはため息をついた。

「アキラの髪はお前にとって大切なものじゃねえのか?」

 ミヤルデはもちろん首を横に振った。

「だったら大切な髪は大切な結布で縛っとけ。それとも何か?  お前はどうでもいいその辺の紐の切れ端の方が似合うとでも言うのか?」

 ミヤルデは再びかぶりを振った。

「あと、つまりアレだ、俺は我が儘だからな。二人の事を前から知ってる俺としては、だ。お前らばかりで盛り上がってるとつまんねえんだよ。だから一枚噛ませろ。俺も無関係じゃねえってあとでお前らにちょっかい出せる口実を作らせろってこった」

 そう言ってさらに突き出された結布を、ミヤルデはおそるおそる受け取った。そして最敬礼ではなく、深い、本当に深いお辞儀をした。

 アキラはミヤルデに小さくうなずくとすっきりした顔でエスカをみやり、預かった懐剣を差しだした。

「この懐剣で髪を切った瞬間、お前はもう関わってるわけだがな」

 エスカは差し出された懐剣に手を出そうとはせず、首を横に振った。

「それはお前が持っていろ」

「いや、これは……」

「また同じ台詞を言わせるつもりか?  知ってるだろ?  俺はめんどくさいのは大嫌いなんだよ」

 アキラは改めて差しだした懐剣の柄にあしらわれた赤い四連野薔薇のクレストを見つめた。由来はわからないがエスカが常に身につけている懐剣だという事は当然ながら知っていた。

「それはただの懐剣じゃねえぜ」

 エスカはそう言うとニヤリと笑った。

「聞いて驚け。そいつは絶対に刃こぼれしねえんだ。それどころかゲンノウを思い切り叩きつけても傷一つつかん。どうだ?  いい護身剣になるだろう?」

 アキラはもちろん怪訝な顔でエスカを見た。冗談だと思ったのだ。問題はそんな冗談をこの場で言う意味であった。

「冗談だと思うなら、その橋桁にかかってる鎖でも切って見ろ」

「いや……」

 エスカがそう言う言い方をするという事は冗談ではない事をアキラは知っていた。

「ひょっとすると妖剣……というやつか?」

「ちょっと違うな。いや、結果というか、現象的にはそうなるか。ニームが『不滅』とか言うルーン……いや、精霊陣か?  まあそんなヤツをかけてある。術者自身が解除するか、もしくは死ぬまでその効果は続くらしい」

「そんなルーンが……」

「存在するなんて信じられない……か?  いやあ、実は俺もまったく信じられん」

 エスカはそう言って今度はおかしそうに声を上げて笑った。

「信じられんが、事実そうなんだからどうしようもねえってことさ。そんな時はぐだぐだ考えずに受け入れればいいんだ。何しろ考えても答えなんて出ねえんだから時間の無駄ってもんだ」

「ふむ」

「どうだ?  すげえだろ、俺のニームは」

 大賢者……

 アキラはエスカの後ろに控えているリンゼルリッヒに目をやった。するとまるでそれを待っていたかのようにリンゼルリッヒはほんの少しだけ口元に微笑を浮かべると、こくりとうなずいてみせた。

 事実だと、アキラは飲み込むことにした。

「それが本当なら、奥方はお前の為にこの懐剣に術をかけたのだろう?  ならばなおさらだ。そんな大事なものを預かるわけにはいかん」

 固辞するアキラにエスカは言った。

「お前に託す懐剣だ。大事でないものを渡せると思うか?」

「それは」

 言葉遊びだと思ったが、口には出さなかった。たった今自分が行った行為を自分で言い捨てるようなものだからだ。

「それに『やる』とは言ってない。ニームの思いがこもった大事な剣だからな。絶対に返せ」

 そこまで言われて断る事はアキラには出来なかった。言葉遊びは、時に強い思いを命に焼き込む事がある。それはその言葉が本物であるからだ。そしてエスカの言葉遊びは文字通り命に直結した意味があった。

 生きて帰れという事である。

 エスカはあくまでもアプリリアージェ達の元へ行くアキラの心配をしているのだ。

「知らんのか?  俺は強欲なんだ。俺のものはたとえ鼻毛一本でさえ誰にもやらん」

「知ってるさ」

 アキラはそう言うとエスカが差しだした鞘を受け取り、懐剣をそれに収めた。

「よし、じゃあ行ってこい」

「ああ、用事が済んだらすぐに帰る」

 戻る、ではなく帰るという言葉を、アキラは敢えて使った。それも言葉遊びだ。だが、思いが伝わる言葉遊びである。


 アキラはエスカが差し出した右手を強く握ると、用意してあった立派な体躯の馬にまたがった。そしてもう振り返ることはせず、早駆けでその場を後にした。それを見たミヤルデとセージもそれに倣い、だがこちらは二人とも一顧の後、略敬をしてアキラの後を追った。


「行っちまったな」

 三人の姿が小さくなるまで無言で見送っていたエスカが、ぽつりと言葉を漏らした。

「事情をある程度知っている私にして、どうにもよくわからんのですが」

 エスカのすぐ隣で独り言に答える人物があった。

「と言うと?」

「エウテルペ大佐は、思い人に告白に行くのではないのですか?  なのに大尉と契りを結び、ましてや同道させるというのは……」

「ああ。そう言う理解はちょっと違うな、国王」

 エスカは隣の人物に顔を向けるとニヤリと笑った。

 国王と呼ばれたデュナンは首を傾げて見せた。

 歳の頃はデュナンとしては五十歳代であろうか。初老というにはやや若く、目の輝きに力がある。肩幅が広くがっちりとした体格から、武の方面には覚えがありそうだった。

「ほう?」

「あいつは『けじめ』をつけに行っただけだ。惚れた腫れたという話じゃない」

「ふむ」

「あいつとはつきあいが長いからわかっちゃいるものの、やっぱりレナンスってのはアルヴとはまた違う種類のめんどくささがあるな」

「アルヴの血が流れている私としてはその話は興味深いですな」

 フラウト王国の国王、リムル二世はデュアルである。外見はデュナンそのものだが、母親の父がアルヴであるという。

「アキラは俺たちと共に本気で戦う決心をした。そうなるとあいつとしては今までだましてきた自分を清算したいと思ったようでな」


 アキラはアプリリアージェ達に自らの正体を告げ詫びた上で、エスカの持つ志を伝え、同士としての参画を問うてみたいとエスカに申し出たのだ。

 エスカの視点ではアプリリアージェ一行であったが、アキラの中ではエルネスティーネ一行であった。交渉の相手はエルネスティーネなのだ。

 女王としてのエルネスティーネを認めたアキラにとって、それは当然の行動だったのだ。その上でもちろん敵に回したくはないアプリリアージェを仲間に引き入れる事はできぬまでも、こちらの志を伝えた上でそこに同調してもらえる部分が生まれれば、それはそれでいいと考えていた。

 当初、この申し出にエスカは難色を示した。

 その場で殺される可能性が高いと思われたからだ。

 それまで持っていた情報とはかなり違うアプリリアージェという人物をアキラの口から聞き知ったとはいえ、「冷血で残虐な司令官」という先入観は簡単に拭えない。

 だが結局、自分が信じるアキラの意思を「信じる」事にした。

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