第二十話 イオスの隠れ屋敷 2/5

「今まで以上に全力でアキラを補佐する。それはいい。だがアキラの為に簡単に命を落とす事は許さん」

 エスカはそれだけ言うと表情を崩した。

「お前は夕べ、アキラにひどい事をされたのか?」

「え?  いえ……そんなことは断じてありません。むしろ」

 いきなり話題が元に戻って、ミヤルデはうろたえた。だが正直に答えてしまうところがミヤルデのまじめで一途なところである。

「むしろ?」

「大佐は……私がこれ以上望めぬほど、大切に扱って下さいました」

 その場の雰囲気とエスカの話術で、ミヤルデは自分が相当恥ずかしい事を口にしているのだという自覚が希薄になっていた。もしくは上官の質問に対して、素直に答えていれば恥ずかしさが紛れると思っているのかもしれない。

「だろうな。じゃあ聞くが、アキラが大事にしてる女が自分の命を粗末にするなんて、アキラが望むと思うか?」

「それは……私のような者が……」

「おっと待った。俺の腹心をなめんなよ、ミーヤ。アキラは知っての通りそれなりの遊び人だが、遊びじゃ絶対に部下には手を出さねえ。つまり、お前はアキラの特別な女になったんだよ。一夜限りだとか思ってるならひどい目に遭うぜ?」

「ペトルウシュカ将軍?」

「だから自分を卑下するな。それはアキラを侮辱する事になると肝に銘じとけ」

「あ……」

 エスカの言葉を噛みしめたミヤルデは、目頭が熱くなるのを感じていた。

 ぞんざいなエスカの言葉は、まっすぐに心に刺さった。だがそこから生まれるのは苦しさや悲しさを伴う痛みではなく、心が甘くうずくような痛みだった。

 言葉に詰まるミヤルデに、エスカは続けた。

「だからアキラを思いっきり補助してやれ。でも絶対に自分からは死ぬな。それから、許される時は全力で甘えてやれ。逆に甘やかしてやってもいい。そしていつか全部終わって、俺達がみんな生きていたら俺にお前達の子供の名前を付けさせろ。いいか、これは将軍命令だぜ?」

「肝に……銘じます」

 ミヤルデはそれだけ言うと、唇を噛んだ。

 再び涙が……今度は大量にあふれそうになっていたのだ。

「ばか、泣くやつがあるか」

 だが、ミヤルデのその抵抗は無駄に終わった。

「な、泣いてなどいません……」

 こらえきれず、目頭から熱いものが頬に伝うのを感じては居たが、ミヤルデは強弁した。

 エスカはそれに優しく微笑んで返すと、こんどは横にいるセージを睨んだ。

「お前はもう笑うな!」

 セージはそれを受けて、同様に唇を噛みながら笑いをこらえ、最敬礼した。

「き、肝に銘じます!」


「俺の大事な参謀をいじめるのはそれくらいにしてくれ」

 成り行きを見守っていたアキラは、そう言うとエスカの肩をポンと叩いた。

「よく言う」

 エスカは心外だと言わんばかりにアキラをにらみ付けた。

「お前が何も言ってやらないから、俺が代わりに言ってやったんだ。いいか?  これから先もそうだ。お前も肝に銘じとけ。何も言わずとも相手はわかってくれてるはずだなんて思ってたら大間違いだぜ?  お前が本気だって言うなら、ミーヤを不安にさせるな」

「う……うむ」

「そもそも相手がちゃんと側に居るんだ。顔も見えるし体も触る事ができる。現に今お前がちょっと手を伸ばせば抱きしめられるし、いくらでも心の内を言葉にしてぶつけられる。今のこの場での感情を共有できる。場合によっちゃけんかだってできる。その『今』に甘えるなって言ってるんだよ」

 エスカの言葉の裏側を知るアキラには、言葉に込められた強い思いが理解できた。

 アキラにとってニーム・タ=タンという女性は未知の人物ではある。だが、エスカ・ペトルウシュカという人間にそこまで言わせる存在だという事はよく理解できた。言い換えるなら、そこまでの思いを込めてアキラを叱咤したという事であろう。


「そうだな」

 アキラはうなずくと、エスカの腹のあたりに視線をやった。

「お前の言うとおりだ。だが、俺はお前と違ってあまり器用な物言いはできない」

「確かに修辞法の試験ではお前に負けた記憶は無いな」

 アキラはエスカの物言いに苦笑すると、自分の長い髪を後ろ手にざっとひとまとめにして片手で掴み、開いた方の手をエスカに差し出した。

「これは友として頼む。お前が後生大事にしている懐剣を貸してくれないか」

 アキラの申し出に対し、エスカは最初は妙な顔をしたが、何も言わずに懐から懐剣を取り出し、鞘から抜いた上で、アキラに手渡した。

 差し出された柄に、赤い四連野薔薇のクレストが見えた。

 アキラは黙礼してそれを受け取ると、顔をミヤルデに向けた。

「ミーヤ」

 呼びかけられたミヤルデは驚いたような顔をアキラに向けた。

「何があっても不安に思うな。レナンスとして誓おう。お前が信じる限り、私はお前のものだ。そしてお前はこれからずっと、私のものだ」

 それは聞きようによっては不公平な取り引きともとれた。ミヤルデは自分の意思とは関係なく、アキラのものでなくてはならない。だがアキラがミヤルデのものである条件は、アキラの言うことをミヤルデが信じている間だけだといおうのだ。

 だが、その場にいた誰もがそんな事は思わなかった。むしろアキラの最大限の優しさが込められている言葉だと思った。

 おそらくその時点でのアキラのミヤルデに対する思いはミヤルデのアキラに対するそれと比べても大きなものでは無かったであろう。

 長い間思いを胸に抱いていたミヤルデと、上官と部下という関係以上の感情を持ってはいたものの、それが特別な感情ではないまま、ミヤルデの気持ちをほんの数日前に知ったばかりのアキラでは違って当たり前である。

 ほんの少し前までは、アキラの気持ちはエルネスティーネというアルヴィンに向いていた。いや、いまだにそれはかわらないだろう。だがそれとは別にすぐ近くの大事なものに気づいたのもまた事実であり、真実であった。

 アキラはエスカにこれからの人生をかけたのだ。それはミリアからの一方的な「お払い箱」宣言に端を発するものとはいえ、それでもアキラはある意味でそれはミリアの最後の願いだったのではないかと信じていた。


 アキラはエスカの元へ来て、自分という存在を改めて顧みた。するとすぐ側に居たのは忠実で献身的な副官であり参謀である二人の部下だった。もともとミリアの命令で軍を離れて単独行動に出る際に迷わず選んだ補佐の二人である。

 その一人の強い感情を知り、その感情が素直にそして急激に心に染み渡ったとして、それに何の不思議があろう。

 いったん男と女という関係に自分たちを置き換えて見た時に、アキラはもうミヤルデを受け入れる事しか考えられなかったのだ。

 男女の関係を語る時、多くは何かの大きなきっかけを求めたがる。それは他人から見た際もそうであり、自分自身でもそれがあるものだと模索しがちであろう。人は往々にしてそこに至るまでの十分な理由を求めがちなのだ。

 だが「そうなってしまった」ことに理由を後付けするのではなく、その時の思いを素直に受け入れる方がいい。

 アキラはそんなミヤルデとの静かな「始まり」を大切にしたいと考えていたのかもしれない。

 だが、アキラは自分のそんな気持ちを相手に伝える事に長けてはいない。エスカはしかし、アキラのそんなところが気に入らなかったのであろう。だから敢えて二人に確認を求めたのだ。二人の視線を一つの同じ道に向けさせたと言うべきであろうか。それはエスカが単純に自分のわがままから出た文字通りの嫌味だったのかもしれない。

 だが結果としてその行為はアキラに一つのけじめを決心させる引き金となり、おそらくはアキラとミヤルデにとっては生涯忘れられぬ大きな出来事となった。


「どうするつもりだ?」

 懐剣を渡したものの、その意図を掴みかねていたエスカが訝しげにたずねた。アキラはそれには答えずエスカから受け取った懐剣をしっかりと握ると、それを後手に回し、掴んだ髪を一気に切り落とした。

「え?」

 ミヤルデやセージが思わず驚きの声を上げた。

 だがアキラは静かな表情でミヤルデに歩み寄り、手に持った髪の房を差し出した。

「何があっても私の気持ちが揺らぐと思うな。自分に自信をなくして不安になるな。もし不安になった時はこれを見て、私が誓いを立てた今日の日を思い出せ」

 静かではあるが、しっかりとした調子の言葉だった。そこにはミヤルデを思う熱が込められていた。

 ミヤルデもそれを感じたのであろう。差し出されたアキラの髪の房を不思議なものの様に眺めていたが、ようやくそれが意味するところを理解すると、今度はぼろぼろと涙を流して首を横に振った。

「もったいなくて……受け取れません」

 そして消え入りそうな声でそう言った。

「弱ったな」

 アキラは本当に困ったような顔をしてミヤルデを見つめた。

「夕べは私を受け入れてくれたのに、一夜明けるともう袖にされるとは。私はいったいこの先どうすればいいのだ」

「そ、そんな事はありませんっ」

 アキラの芝居がかった寂しそうな物言いに、ミヤルデは即座に食いついた。

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