第二十話 イオスの隠れ屋敷 4/5

「どちらにしろ、そう簡単に大佐がやられるとは思えませんが……」

「いや、アチラさんがその気になったらアキラといえど簡単にやられるだろうよ。そもそも向こうには高位ルーナー、それも大賢者や賢者がゴロゴロいるんだぜ。過去最高に楽観的な気分で考えても話にもなるまいよ。おそらくアキラは最大の武器である剣を抜く事すらできずに終わる。そうだろ?」

 エスカはそう言うと後ろに控えているリンゼルリッヒにそう問いかけた。

「御意。大佐のお話ですと、認証文だけでルーンを使う者がいるそうですし、そうなると大賢者のニーム様と戦うようなものでしょうからね」

「つまり?」

「ニーム様の言葉をお借りするなら、三つ数える間もなく全てが終わると言う事です」

「ううむ」

 リムル二世はニームを知らない。だから引き合いに出されても想像すらできないのだが、リンゼルリッヒが言っている事に間違いは無いのだろうと考えた。

三聖蒼穹の台の館に呼ばれた連中か……」

 再びエスカがぽつりと言う。

「気になりますかな?」

「いや」

 エスカはリムル二世の問いにニヤリと笑いかけると、きびすを返した。

「俺たちの敵は三聖じゃねえ。そっちはアキラの報告を待つとして、今の俺たちは自分達がやるべき事をするだけだ」

「ごもっとも」

 朝日に輝く金髪を翻して、エスカは大股で城塞にある門へと向かった。



********************



 ほぼ同じ時期、アプリリアージェ達とも、もちろんアキラ達とも違う目的を持つ一行がエルミナを目的地と定め、そこへ向かおうとしていた。

 勿論、必要に迫られてエルミナを目的地にしているわけである。

 経緯を説明する代わりに、一行がエルミナ行きを決めた場面まで、少し時間を戻すことにしよう。


「これは、どういう事だ?」

 乳白色の精杖を手にした小柄な少女が唸るような声でつぶやいた。

 少女の眼前には、谷が広がっていた。そこはかつて集落があった谷であった。

 間違いようがない。

 その谷は少女が生まれ、そして育った場所だったのだから。

 だが、眼前の風景はその記憶を完全に否定していた。

 少なくとも現在、そこにあったのは大量の土砂、そして倒れ、あるいは折れた木々の残骸であった。

「大規模な土砂崩れのようですね」

 デュナンの女が言うとおり、山肌が完全に削り取られた跡が無数にあった。崩れた山は一つや二つではない。谷側の斜面は見渡す限り、むき出しの土と岩であった。

「これはどう見てもごく最近だな」

 付近を調べていたアルヴィンの少女は、二人のデュナンに合流するとそう告げた。

 土砂に埋まっている木々はまだ青葉をつけた枝を宿していたし、崩落したと思しき山肌には雑草が芽吹く気配すらなかった。

「何があったというのだ?」

 誰に向けたものかはわからない。小柄なデュナンの少女は谷の変わり果てた姿に向かって叫んだ。

 谷に木霊(こだま)し、繰り返されるデュナンの少女の声に、その場の二人は、それに対する答えを持たなかった。

「結界が存在しなかったから、おかしいとは思ったのだ」

 少女はそう言うと唇を噛み、視線を自分の足下に移した。

「崩れた山肌など、私はついぞこの谷では目にしたことがなかったから、妙だな、と思ったのだ」

 そう言って肩を震わせる少女の背中を、もう一人のデュナンの女がそっと抱いた。

「お辛いでしょうが、長居は無用です、ニーム様」

 呼びかけたのはジナイーダ・イルフラン。ニーム・タ=タンの供として同道する正教会の末席賢者であった。

 

 ニーム達一行は「金の三つ編み」ことシーレン・メイベルに導かれ、エッダの王宮の地下室から「隠し通路」を通り、いったんハイデルーヴェンの地を踏んだ。

「隠し通路」からハイデルーヴェンへは、途中にある妙な「行き止まり」からシーレンの言う「近道」を通って半日程度で辿り着いた。

 もちろんシルフィード大陸のエッダから徒歩で半日歩いたとしてもサラマンダ大陸に位置するハイデルーヴェンへ到達するわけがない。

「近道」とはつまり転送装置のようなものであるらしかった。「らしい」というのは強化系ルーンや精霊陣に精通したニームにも解析不能なものだったからだ。

 シーレンに尋ねても「私にそんな事がわかると思うか?」と問い返されただけである。「そこ」へ行けば「近道」になると伝えられていただけなのだ。

 もっともニームには何となくその「からくり」が推理できてはいた。いや、ニームとてからくりや仕組み、概念がわかっていたわけではない。

 ただ、そのからくりが「あの男」 つまりミリア・ペトルウシュカの能力の一つに違いないと想像していたに過ぎない。

 なぜならそこ、つまりハイデルーヴェン城へ行けと命じたのは他ならぬミリアなのだ。彼が用意した「道筋」だと考えるのは極めて素直な推理と言えるだろう。

 しかしそこでニーム達が見たものはかつてハイデルーヴェン城と呼ばれていたもの、つまりエルデが吹き飛ばした跡の廃墟、いや残骸であった。

「そこへ行けば《深紅の綺羅(しんこうのきら)》の手がかりがつかめる」と教えられた場所は、既に存在していなかった。

 ハイデルーヴェン城の消滅はミリアの想定外の出来事であった。その証拠に案内人であるシーレン自身が変わり果てた城跡を見て、途方に暮れていたのだ。


 たちまちにして目的を見失ったニームは、すぐに次の行動をおこした。すなわち情報収集の為にいったん「タ=タンの里」へ帰る事を決めたのである。

《深紅の綺羅》の手がかりとなるものが在るとすれば、守護であるタ=タン一族の里がもっとも可能性が高いと考えたのである。とはいえ、行ったからといって画期的な発見があるとは考えてはいなかった。だが新たな目で探す事に意味はあると思ったのである。

 先代の《天色の楔》である姉の他界でタ=タンの直系はすでにニームのみとなっていたが、里にはまだ複数の傍系が健在で、谷全体の人口は千人をゆうに超えていたはずだった。

 しかし目の前のありさまは、里が全滅したなどという生ぬるいものではなかった。集落どころか、付近一帯が完全に地形変化を遂げ、かつて谷だった場所の一部は今や隆起して丘を成しており、谷という呼称そのものがもはや不適当な状態になっていた。

 いったいどれくらい掘ればかつての「里」にたどり着くのか……ニームにはそれすらもわからぬ状態であった。


 谷と、そして丘を見つめるニームの胸には、おそらく多くの知人の顔が去来していたに違いない。

 ジナイーダの心情としてはしばらくそのままそっとしておいてやりたい気持ちもあった。しかしシーレンが言うように土砂崩れは「直前」の出来事のように思われた。

 地震か、あるいは局地的な大雨か、もしくは何者かによる「人為的」な破壊なのか……どちらにしろここに長居は無用だと防衛本能が警鐘を鳴らしていた。

「長居は無用だ、タ=タンの娘」

 ジナイーダの気持ちを代弁するかのように、シーレンが冷たくそう言った。

「泣くなとは言わない。泣きたければ安全な場所まで移動してから存分に泣けばいい」

 ニームはシーレンの言葉を受け、何も言わずに袖で涙を拭くような仕草をすると、少しだけ待ってくれと言って辺りを見渡した。

 何かを探していたニームだが、地面が平らなところを見つけると、そこへ駆けより、いきなり精杖で精霊陣を描き始めた。

「何をするつもりだ?」

 険しい声色で尋ねるシーレンに、ニームは素直に答えた。

「手ぶらで帰ってなるものか。《深紅の綺羅》の気配を探る」

 シーレンとジナイーダは顔を見合わせた。

「もともとここはエーテルが異様に濃い土地なのだ。だからこそタ=タンはここに里を構えた。この土地の力を借りれば、感知力は大幅に上がる」

「ふむ」

「……かもしれん」

「曖昧だな」

「試したことがないのだ。確約はできぬ」

 呆れたように問うシーレンにニームはそれだけ答えると、あとは黙々と精霊陣の作成に没頭した。

 とは言え地面に杖の先で描く陣である。精緻なものは望めない。だがニームは細かい書き込みよりも、図形の精巧さに注力していた。

 書き上げた陣は大きなもので、小さな教会がすっぽり入る程の規模があった。

 そこに杖と土で描けるギリギリの小ささの図形を描き込む事により、線の荒さを図形の規模の大きさで補い、見事な陣を描ききった。

 冷ややかに眺めていたシーレンも、描き出される図形のその美しさに途中から声を失い、ただただニームの作業に見入っていた。


「よし」

 完成するとニームは陣の中央に立った。そして小さなナイフを取り出すと、指先にそれを滑らせ、足下へ血を滴らせた。

 そしてそのまま精杖セ=レステを構えて、短いルーンを唱えた。

 いわゆる感知ルーンの一種である。

 ジナイーダにはそれくらいしかわからなかった。

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