第十九話 拒絶する者 2/3
とは言え修復の兆しはあった。
エルデが食堂に顔を見せた時、先に食卓についていたエイルが声をかけたのだ。
だがエルデはエイルの声を、いやエイルを完全に無視した。そうなるとエルデに対して大きな引け目を感じているエイルはそれ以上強く出る事ができなくなった。
長く連れ添った……いや、一つの体を共有するのは連れ添う以上の関係にちがいない……相手に対して「化け物」と言ってしまったのだ。
悪い事にエルデは本当に人間ではない。その言葉は人にとっては真理であり、だからこそエルデにとってはどんなルーンを使っても消せない傷を残す言葉になったに違いない。
エルデの態度を見かねたエルネスティーネが、おもんばかって婉曲な批難をしたが、エルデはそれにも全く反応しようとはしなかった。
だが、まったく言葉をしゃべらないわけではない。
エイルに直接関係の無い話題であれば、そして相手がエイル以外であれば、それがたとえエルネスティーネであってもエルデは素直に答えていたし、自ら進んで場の雰囲気を悪くしようとする意図はないようだった。
そう。しゃべってはいた。
ただし南方語で。
結局のところそれは今のエルデが「素顔の」エルデではない事を自ら告げているようなものだった。
食事が終わるとエルデは自室に閉じこもり、基本的に誰とも会おうとはしなかった。
昼食や夕食の時間になると素直に食堂にはやってくる。だが、あからさまにエイルからは離れた場所に席を取り、頃合いを見て場を辞した。
エイルと言えば、こちらも似たようなもので食事中はエルデの顔を見ようとしなかった。
だが、食事以外の時はその動きを追う。視線は交わらないままエルデが姿を消すと、肩を落として頭を抱える事もあった。
夕食後。
ベックは片付けをしながらその事について、アプリリアージェに愚痴をこぼした。
アプリリアージェはいつものように夕食後はテーブルについたままでワインを開けていた。適当なところでアプリリアージェからグラスを取り上げる役目としてファルケンハインが、そのファルケンハインの隣にはティアナが座っていて、少し離れたところにエウレイが同じようにワイングラスを傾けていた。
「意外にあなたはお節介なんですね」
愚痴をこぼされたアプリリアージェはそう答えた。
ベックはこれには虚を突かれた。
慌てて否定しようとして、しかしそれを途中でやめた。
「そうかもな」
アプリリアージェは目を細めてそんなベックを見つめた。
「あなたはあの二人の事がそれだけ好きだという事ですよ」
「かもな」
「だったら行動を観察するだけではなくて、その意味を考えてあげるべきでしょうね」
「意味?」
アプリリアージェはうなずくと、食事の後片付けを手伝う為にその場にいたもう一人の仲間、エルネスティーネに水を向けた。
エルネスティーネはアルヴ族では珍しく酒をほとんど受け付けない体質のようで、皆と同じようにワインは飲まない。その代わりベックが仕入れた一番上等な紅茶をめざとく見つけて、それを淹れた後、そのままエイルの部屋へ行くのが常であった。
「あなたも食事中はエルデの顔を見ませんね、ネスティ?」
ベックはハッとしてエルネスティーネの顔を見た。それはベックが持っていたわだかまりをぶつけるべき本来の相手であった。
ベックがまだ何も言及しないうちに、アプリリアージェはズバリとその相手に声をかけた。つまりベックが何を言いたいのかをアプリリアージェは理解していたということである。
アプリリアージェに声をかけられた当のエルネスティーネは片付けの手を止めると、食堂に居る面々を改めて確認するように一通り見回してから答えた。
「エルデが食事をする様子を、エイルがまともに見られるわけがありません。私も、エイルほどではないですが、見るのは辛いです」
それだけを言うと、くるりと背中を見せてすぐに片付けに戻った。それ以上は何も言わないと、その背中が告げていた。
アプリリアージェは眉一つ動かさずに微笑したままの顔をベックに戻した。
「あなたはこう思ったかも知れません。最近のネスティの性格を考えると、もう少しエルデに対して食いつくのではないか。でもそれは朝食の時の最初の一度だけで、その後はエイル同様ネスティはほとんどエルデにかまわない。そこにも違和感がある。そして少しじれったい気分をもてあましている……違いますか?」
「確かに」
言われてみて実感する。まったくもってその通りだった。少しイライラするのは、動くはずだと思っていた人間が動かない事に対するじれったい気持ちがあるからだろう。
「それを踏まえて、エイルが食事中にエルデを見られない理由がある……ここまで言ってもわかりませんか?」
ベックは気を失っていた時の出来事をその後に詳しく聞かされていた。アプリリアージェはその事を言っていたのだ。
「あ!」
「気がついたようですね」
ベックの顔色が変化したのを見てアプリリアージェは視線をワイングラスに戻した。
「エイル君とエルデは、一つの体を共有している時に多くの感覚を失っていた事はもう知ってますね?」
ベックはうなずいた。
「あなたは見ていないからわからないでしょうけど、自分の体で、再び味覚を得たエルデは本当に嬉しそうでしたよ。ヴェリーユのホテルでエイル君が作る料理を待っている時のあの子供のような表情のエルデを見せてあげたいものです」
「教会の地下で……」
ベックは思い出していた。
「食事時になるとあいつは本当に何でも美味そうな顔をして食べてたな。だからたぶん、想像がつく」
そうですか、とアプリリアージェは小さくつぶやくと、それ以上はもう何も言わなかった。
ベックにはもう十分だった。
エルデが再び味覚を失っていた事が、エイルとエルネスティーネがとった態度の要因の一つ、それも大きな要因である事がようやくわかった。
経験した事はないものの、味のない食事がどれだけつまらないものかは想像できる。そしてその辛さをいやと言うほど知っているエイルだから、見ていられないのだ。
自分の舌は様々な味を感じているからこそ、余計に苦しいに違いない。
だが、そこでベックは別の感情がわき上がるのを感じた。
それは怒りという種類の感情だった。
だが単純な怒りではない。
強い憤りではなく、もう少し違和感と恐怖を混ぜて薄くしたような妙な気分だった。
そしてそれはアプリリアージェに向けられたものだった。
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