第十九話 拒絶する者 1/3

 人と人の関係というものは想像以上にもろいものだ。

 エイルとエルデ。

 この場合、正確には人と亜神と呼ぶべきなのだろうが、どちらにしろ食料庫の一件で二人の関係がこれまでとは劇的に変化したのは確かである。

 

 一行を乗せた船は早朝にエルミナ港に到着した。

 エルミナはウンディーネ連邦共和国に所属する自治国家であるが、王侯貴族が支配する国ではない。有力な商人が議会をつくり、そこで選ばれた「総領」と呼ばれる立場の者が代表となっていた。

 エルミナはもともとドライアドの政策により商業港として計画された港湾国家で、その後は通行税が安く、開かれた市場として発展していた。

 ヴォールと違うのは自営の為の軍隊組織である。

 治安維持軍をドライアド・シルフィード両軍に委任している形のヴォールに対し、エルミナはドライアドと調印を交わし、正真正銘のドライアド軍を治安維持の為の軍隊としていた。

 もちろん契約上は「雇っていた」事になるが、ドライアド側からみればエルミナは維持費の安い軍事拠点と言ったところである。

 もちろん背景には様々な歴史がある。

 もともとドライアド系の貴族が支配していた領地であったが、紆余曲折があり、支配権は頻繁に変わった。そのうち海運で富を蓄えたドライアドの商人達が力を蓄えていき、結局として貴族支配は金の力で終焉を迎える事になった。

 ただし、為政者が変わっても、もともとドライアドの人間により作られ、維持されてきた国という事になる。それだけにドライアド王国との関係が深い町である。

 エルミナに限らず、そういった成り立ちを持つ都市国家はウンディーネには多い。勿論、エルミナとは反対にシルフィード寄りの国家もあるという事になる。

 どちらにしろ自らの庇護について自国「ウンディーネ連邦共和国」ではなくドライアド王国に重きを置いた国、それがエルミナである。

 とはいえエルミナは自由港である。

 ドライアド軍の姿は散見されるが、妙に監視や取り締まりが厳しいわけではない。

 だからこそアプリリアージェ達は指定されたエルミナに素直に向かう事にしたのである。

 もちろんイオスこと《蒼穹の台(そうきゅうのうてな)》も、だからこそエルミナを指定したのだろうと思われた。


 一行は、着岸後すぐにイオスの指定した屋敷に向かう事にした。

 ベックは船内で朝食をとる事を強く提案したが、アプリリアージェの鶴の一声で移動が最優先とされた。

「わざわざ未明を狙って、静かに着岸した意味がわからないとはな……」

 不満顔のベックに、ファルケンハインはそう言って肩を叩いた。

「わかっちゃいるけど、せっかく用意してたんだからサクっと食べればいいじゃないか」

 納得しかねるとばかりにぶつぶつと文句を言うベックだったが、ある人物に視線をチラリと向けるとため息をついて肩をすくめ、一行の後を追った。

 ベックの視線の先は、エルデだった。

 エルデはラウとファーンを従えて、一行とは少し離れて歩いていた。

 そこはエイルから一番遠い位置にある事はベックにもすぐにわかった。


 ベックの知る限り「あの時」から、エイルとエルデは一言も言葉を交わしていない。

 少なくともベックは二人が会話をしているところを見ていないし、誰に聞いても同様であった。

 そのエイルの側には、ぴったりとエルネスティーネが寄り添っている。

 ベックが気になるのは、そんなエイルとエルネスティーネの様子をエルデが時々ぼうっと見つめている事だった。

 だがエイルが視線を動かすと、慌ててあらぬ方を見るのだ。

 かたくななまでに視線を合わせようとはしないエルデの表情はずっと暗く、必要以外の言葉を、いや自分からは一切しゃべる事がなかった。

 しかもエルデの特徴でもある古語が影を潜め、なぜか普通の南方語になっていた。

 以前のエルデを知る者にとってそれはエルデであってエルデではなかった。

 むしろ二人の賢者を従えた様はすっかり正教会の人間のようであった。


 ただ、同じ正教会の人間であるエウレイ・エウトレイカこと大賢者銀の篝(しろがねのかがり)とも距離を置いているようで、二人が会話を交わすところを、これまたベックは見たことがない。

 エウレイはエルデの命令には逆らえぬ立場であり、いったんエルデが「私に近寄るな」と言えば、呼ばれるまで側に近づく事はできないのだ。

 それとはまた違う意味でエウレイはアプリリアージェにはあまり近づこうとはしなかった。

 こちらはアプリリアージェが拒絶しているのではなく、むしろエウレイがアプリリアージェをあからさまに避けるような態度をとっていた。

 エルデとエイルの関係と違い、ベックにはその意味がわからなかった。だがベックにとって一行でもっとも気心が知れた人間はハロウィン、つまりエウレイであり、相手の正体が知れた後でもその気持ちに変化はなかったから、彼としてはエウレイの近くにいることが多かった。


「なあ」

 薄明かりの中を目的の屋敷まで移動しながら、ベックはエウレイに声をかけた。

「どうした?」

「あいつら、あのままでいいのか?」

 あいつらとはもちろんエルデとエイルのことを指していた。そしてあの事件があった翌朝から、二人は言葉を一言も交わしていない事が「あのまま」と言う意味であった。

 事件の翌朝の事を、ベックはよく覚えていた。

 食事の準備全般を買って出たベックは、同じく食事係に手を上げたファーンを助手に簡単な朝食を整え、一行を食堂に招き入れると、その食事風景を眺めていた。

 アプリリアージェの命令で一同は全員同じ時間に食卓を囲む事になっていた。例外はなし。たとえそれが前日、傷害事件を起こした当事者同士であっても。

 要するにアプリリアージェの命令は、エイルとエルデを同じ時間、同じ場所に同席させる事が目的だと言えた。

 事の顛末を詳細に聞いたアプリリアージェが最初に打った手がそれであった。

 油断が失敗を生み、それが誤解の温床となり、互いが互いを深く傷つけてしまったのだ。双方が相手に対して積極的に接触を持とうとするとは思えなかったのだろう。

 アプリリアージェは一行の中でおそらく二人のことを一番よく知る人物である。少なくともベックはそう思っていたし、それは他の皆も同じであったろう。

 そのアプリリアージェが一番危惧した事が片方、もしくは両方が互いに接触する機会を放棄することだった。

 そしてさっそくアプリリアージェの心配が大当たりだったことにベック達は気付くことになる。

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