第十五話 フラウトの三人 4/5
その部屋では上も下もなかった。
それはもはやただの酔っ払いが三人で騒いでいるだけの状態であった。
だが、ただの酔っ払いでないのはまだ呂律がしっかりしており、目も据わってはいなかった事でそれとわかる。
さらに冗談交じりではあったが、彼らの話題はどれも重要なものだった。
それこそがエスカ流の最高意思決定会議のやり方なのだ。いつも酒が入って騒ぎになるわけではない。要はお互いに腹を割った忌憚のない意見と感情をぶつけ合えればいいのである。酒がある時もあれば、ない時もある。
例えばエスカはニームとは寝室で肌を合わせながらそれを行い、それ以外の者達とはたとえどこであってもそれなりにくつろげる場所をエスカ自身が作り上げた上で行っているわけである。
「だったらアキラ、どっちにしろお前は惚れたネスティ嬢のところに舞い戻り、その瞳髪黒色の坊やと対決するしかない」
「同感ですなあ。できれば同道してアキラ殿の振られっぷりを見てみたいものですな。いい肴になりますぞ。しかも一生使えます」
「確かに。いや、本人が死んだ後もネタに出来そうじゃねえか?」
「エスカ様もいいかげん腹黒いですなあ」
「リリの人の悪さにゃあ敵わねえよ」
「いい加減にしろ。いい大人が本気で惚れた女の話をしてるんだぞ。酒の肴にするんじゃない。そもそも俺が負ける事が前提になっているのが気に入らん」
「勝てねえよ。俺の薔薇のクレストに誓って断言する」
「本当の事を言っては、身も蓋もないですな。さすがに私はアキラ殿に同情しますよ」
「同情もいらんし、断言されても困る」
「だったらグダグダ言ってないで会ってこい。思春期の少年じゃねえんだから、そんなことでうじうじされちゃこっちもたまらねえからな。何なら俺が付いていってやってもいいぜ」
「バカを言うな」
「適当な事を言ってるわけじゃねえ。俺も是非会ってみたくなった」
「ネスティにか? 言っておくがお前の側室よりは美しいぞ」
「ほう。ニームを見たこともないくせによく言う。こっちはネスティとやらの『そっくりさん』をエッダでじっくり見てきたんだ。だからお前よりよほど公平に比較できる。要するにどう考えても俺の女の方が美人で可愛らしい。リリもそう思うだろ」
水を向けられたリンゼルリッヒはこれ見よがしなため息をついた。
「まったくあなた方は、マーリン正教会の大賢者とシルフィード王国の本当の女王を捕まえて『俺の女』自慢ですか? まあエスカ様は実際にそうだからまだしも、アキラ殿にいたってはどう考えても片思いの相手を自慢しているわけで、常識人の私としては比較以前の問題というか、片腹痛いというかなんというか」
「そんなこたぁどうでもいいから、どっちが美人で可愛いか、この思春期青年にバシっと言ってやれ、バシっと」
エスカにしろリンゼルリッヒにしろ、今のエルネスティーネと会った事は無い。しかしエスカの言うとおり、彼らはほんの数週間前にエッダでエルネスティーネとうり二つのイエナ三世の「遷都宣言」を直に聞いていた。エルネスティーネの姿を知っていると言っても過言ではないだろう。
しかし「あばたもえくぼ」状態に陥っているエスカの判断が、たとえ正しかったとしてもアキラが素直にそれをみとめるはずがない。よって公平な比較ができる、つまりつまらない口げんかに終止符を打てるのはリンゼルリッヒだけだという判断であった。
こういうところもエスカらしいといえばエスカらしいところである。
「金髪緑眼のイエナ三世はそれは凛々しく美しいお方でした」
リンゼルリッヒもばかばかしいとは思いながらエスカの、そしてアキラの意を汲んだ形で、思った事をそのまま口にする事にした。
「あの長い髪がふわりと広がった際に醸し出される凛とした実に高貴な趣など、私だけでなく女のジーナですらうっとりと見とれるほどの華やかな美しさに満ちあふれておりました」
それなりに酔っているアキラはリンゼルリッヒの言葉にうんうんとうなずいて見せた。
「片やあの華やかさとは比べるべくもございませんが、我らが大賢者ニーム様の笑顔と来たら、この世のものとは思えぬほどの愛くるしさです。普段の『私は何事にも動じないぞ』と言わんばかりの強情そうなお顔が、こう……クシャっと崩れて砂糖菓子のようにとろんととろける際の胸が弾むときめきはそうそうお目にかかれません。あの格差がなんと申しますか、たまりませんねえ」
今度はエスカが深くうなずいた。
「まあ、どちらが美人かと問われたら、イエナ三世に年齢分の利があると言わざるを得ません」
「ホラ見ろ、エスカ」
「しかし!」
勝ち誇ったアキラに、しかしリンゼルリッヒは待ったをかけた。
「これはひいき目も多少入っている事を正直に申し上げつつ、敢えて言わせていただきますと、二年後のニーム様はおそらくその麗人イエナ三世陛下をも凌駕する佳人になっている事はまず間違いありません。さらに言えば可愛らしさではニーム様は誰にも負けません。特にエスカ様の冗談に拗ねてふくれっ面をされている時のニーム様の可愛らしさには、ジーナともども何度身もだえしたことか。ニーム様が我が娘であれば、もう死んでもいいとさえ言い合っていたくらいで……」
「ホラ見ろ、俺の勝ちだ」
「何を言う、美しさでは勝っているとリリも言ってただろう?」
「はいはい、お二人とも、バカはそのへんにしておきなさい。そもそもご婦人を見かけだけで比較評価するなど、下衆のやることですぞ」
今までさんざん「お二人」の外見評価をしていたリンゼルリッヒが、いけしゃあしゃあとそう言ったが、誰もそこには言及しなかった。
「どうせ俺は下衆だよ」
「では我々は下衆の手下ということに……今は亡き両親が自分の息子が下衆に言いように使われていると知ったらさぞや悲しみましょう」
「お前の両親に泣かれたんじゃ寝覚めが悪いな。んじゃ、下衆っぽいっていう事でどうだ?」
「ばかな事を言ってるんじゃない、エスカ」
「そうそう。そのバカな話だ。俺が会いたいのはガキじゃなくて年増の方だ」
「年増? ティアナは年増と言うほどではないが?」
「シレっと流すんじゃねえよ。俺が興味あるのは白面の悪魔だ」
「彼女は白面の悪魔という二つ名は返上したそうだ。件の白面は焼いて捨てたと言っていた。それに年増だと思って高をくくってると実際に会ったら腰を抜かすぞ。見た目だけならネスティより断然幼く見える」
「冗談だろ? あの白面の悪魔なんだろ?」
「今は《笑う死に神》だそうだ。言っておくが、本当にいつも笑っているんだぞ」
「ほう」
アキラには、そう言うエスカの目が輝いたように見えた。
「ますます会いたくなった。是非とも欲しいな」
「あの人はムリだ。諦めろ」
「お前がいいように手玉に取られた相手なんだろ? 素直に考えて、相当すごい相手じゃねえか? だったら俺としてはそうそう諦めきれるわけがない」
「言いたい事はわかるが、あの人は特別だ。けっこう長く一緒に居ても結局何を考えているのかわからぬ不気味な人間だぞ? しかもいざとなると主を守るどころか、自身の保身を優先する可能性が高い」
アキラは思わず本音……アプリリアージェに対する心の奥に仕舞っていた疑惑が口をついた。そしてエスカはさすがにその言葉を聞き逃さなかった。
「ほう。詳しく話してくれ」
アキラはため息をつくと一拍おいてからヴェリーユでエルネスティーネ達が副堂頭に捕らわれて絶体絶命になった時の事を再度話した。一回目の説明は終わっていたが、その時にはアプリリアージェの事は割愛していたのだ。
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