第十五話 フラウトの三人 5/5
「なるほど」
「わかるだろう? 優秀なのは間違いないが、奇麗さっぱりと、たとえば同じ目的に向かって歩む仲間の一人としてこの場にこうやっていても、本当の腹を絶対に見せない人間だ。少なくともエスカ、お前の麾下(きか)に入れるにはあの人は危険すぎる。まあ、もっとも酒の相手としてはあれ以上の人材はいないかもしれんがな」
アキラは二度ほどアプリリアージェと飲み明かした事があった。二度とも先に意識を無くしたのはアキラの方だった。翌朝目を覚ますと何事も無かったかのようにいつもの輝くような笑顔で挨拶をしてくるダーク・アルヴを見て、アキラは三度目の勝負を挑むことの愚かしさを思い知っていた。
「妙だな」
アキラの話を一通り聞いたエスカは、真顔になって考え込んでいた。
「妙とは?」
リンゼルリッヒの問いかけにエスカはうなずいた。
「ああ。その女、かなり怪しいぞ」
「だからそう言っている」
「いや、そうじゃねえよ」
エスカの言葉に、アキラとリンゼルリッヒは顔を見合わせた。
そんな二人にエスカは言葉を継いだ。
「ひょっとしたら、全く逆なんじゃねえか?」
「逆、とは?」
「目的の為なら冷酷無比。微笑んで赤子も切り捨てるっていう評判……」
「うむ」
「主を助けようともせず、しかしそれを見て逡巡する……」
「それがどうした?」
「そこまで悪魔のように冷酷な女だって言われてるのに、助けようか助けまいか、迷うか?」
アキラにはエスカが言おうとしている事がもう一つ明確に見えなかった。
「その女、実は相当甘いんじゃねえか、って言ってるんだ。守らなければならないのに見捨てるかどうかを迷っていたんじゃなくて、見捨てなければならねえのに見捨てられないから迷ってたんじゃねえのか?」
「まさか……」
「まさかだとは思うが、そんなこっちゃ目的……使命、つまり風のエレメンタルを守るなんて、元々無理なんじゃねえかって話だよ」
「どういう意味だ?」
エスカはしかしアキラの問いかけには答えなかった。
「いや、ちょっと思いついただけだ。まあそれでもそこまでの頭脳があって実力も備わってるとなると、裏の仕事を任せるには適任じゃねえか? 今、俺のまわりにゃ憎まれ役がいねえんだよな」
「しかし、そもそも将軍とはいえ、たかが少将の立場で、中将に対して『俺に付いてこい』なんて言うのはけっこうおこがましいですな」
妙な緊張感が出てきた場を解きほぐすように、リンゼルリッヒはそう言ってエスカの言葉にからかいを入れた。
「そうだな。さらに言えばル=キリアには優先特階がある。つまり通常の部隊だと二階級上の人間と同等の立場だ。すなわちリリアは元帥という事になるな。リリの言うとおり、確かに少将の分際で元帥の立場にある人間に相当偉そうな口をきく事になるな」
アキラもそう言って追い打ちをかける。
「さらに言えば向こうは公爵。こっちは公式にはまだ男爵。爵位にも大きな開きが」
「うるせえよ。そんなもん気にするような相手じゃねえ……とオレは思う」
アキラとてエスカと同じ意見だった。だが、アプリリアージェがエスカの誘いに首を縦に振ることは無いという確信もあった。理屈ではなく直感でそう思うのだ。
アプリリアージェにはエルネスティーネの「護衛」とは別の目的があるという事までは、アキラも感じていた。エスカの今の言葉はおそらくその先をおぼろげながら見つけたのかもしれなかった。
もっともそれは不確かな推測を前提にした理屈での解釈だ。
直感というのは、アプリリアージェの真の目的とやらはエスカのそれと相容れぬものだという予想である。
言い換えるなら、万が一アプリリアージェがエスカの誘いを受けた場合、それは大きな危険を内側に抱えることになる。ニームの思惑が当初そうであったように、エスカがアプリリアージェの目的の為の駒にされてしまう可能性があるからだ。そしてアプリリアージェはニームとは違い、目的の為ならエスカを簡単に捨て駒にする事だろう。あの笑顔のままで。
エスカの腹心として、アキラはそれを許すわけには行かない。
「まあ、向こうさんがエレメンタル絡みだとすると、結局のところ俺とは相容れぬ存在だということはわかっているつもりだ」
アキラの心配は徒労のようだった。エスカとてそれくらいはわかっている事なのだ。
だが……
「とはいえ、一度は会っておきてえ相手だな。どっちにしろまともに戦うのはごめん被りたい相手なのは確かだ」
そもそも一対一での対峙は論外だった。
エスカはアキラも一目を置くほどの剣技の使い手ではある。だが、右目を失った今ではそれもせいぜい並の兵士程度に落ちている事であろう。そんなエスカが、瞬きする間もなく繰り出すあの雷の使い手を相手にして、まともな勝負になるとは思えなかった。たとえ右目に問題がなくてもエスカは普通の人間でしかない。アプリリアージェのような異能の者とはそもそも戦うべきではないのだ。
「で、奴さん達はエルミナにどのくらい滞在する予定なんだ?」
アキラが知る限り、アプリリアージェやエルデ一行のエルミナ行きの主たる目的は
それを聞いたエスカの結論は
「急いだ方が良さそうだ」
であった。
勿論自身がいきなり出向くのではない。
アキラが抱える「ある」わだかまりを晴らす事が第一の目的。そしてもう一つの目的がアプリリアージェに宛てたエスカの伝言を伝えることであった。
「一度酒を酌み交わしたい」
それがエスカがアキラに託した伝言の全文であった。
多くを語る必要は無いとエスカが判断した事がうかがい知れる。アプリリアージェほどの人物であれば、すでにエスカ・ペトルウシュカという存在を把握しているはずであった。
会見を申し込むエスカの意図や思惑をアプリリアージェなりに捉えた上で、賛同の余地があるならよし。ダメならダメでそれでよし、という事である。エスカがアプリリアージェに対して会いたいという意志を持っているのだと伝える事が重要なのだ。
そしてできればドライアドとシルフィードが本格的な戦争を始める前に会っておきたかったというところである。
シルフィード国王直轄のアルヴの戦士ならば、会見を承諾して相手を安心させ、酒宴の席についた丸腰のエスカを暗殺するなどという事は万が一にもあるまいという考えもあるに違いない。
だがエスカはアキラのそんな思惑を笑い飛ばすようにこう付け加えた。
「いや、本当に酒を飲みながら一度話をしてみたいだけだ。だから馬鹿な男の興味本位のわがままだとお前の口から付け加えてくれりゃいいさ」
こうしてアキラはエスカの命を受け、別れた直後にも関わらず、再びアプリリアージェ一行と合流する事になった。
酒宴のどさくさで決まった様に思えるが、アキラにとっては自分自身にきちんとけじめを付ける為のありがたい命である事は確かだった。
アキラがエルネスティーネに会うのは、その思いを伝えることではなかった。自信の正体を隠し通したままで別れたことが心残りだったのだ。
ミリアの部下としてならそれでも納得がいっていただろう。だがアキラはミリアではなくエスカの腹心となることを決めたのだ。つまり言うならばそれはアキラの矜持の問題であった。
エルネスティーネの凛々しい姿と透き通るようなまっすぐ理想を見つめる緑色の瞳を見てしまったアキラにとって、エスカの片腕を名乗る為には今のままではふさわしくないと感じていた。
アキラ・アモウル・エウテルペという名を持つ男として、そのままエルネスティーネ・カラティアと対峙したいと渇望したのである。
それが独りよがりな行為である事は、むろんわかっていた。だが自分がその生涯を賭ける事を決めた「仕事」に本格的に取りかかる前に、是非済ましておきたい儀式であった。
一つの大きな区切りを付ける為には、一つの大きな「けじめ」が欲しかったのだ。
自分自身の決心だけでは納得せず、相手の都合などまったくお構いなしに勝手にエルネスティーネをダシに使うところが度しがたいという事はアキラ自身、自覚はしていた。
どこまでエルネスティーネに甘えたら気が済むのだと自分で自分をなじりもした。
だがそれでもエルネスティーネの言葉という「形」が欲しかったのである。
自分がエルネスティーネであったとしたら、こんな男はハナから願い下げだろうとアキラは自嘲しつつも、もう一度会うという決心は変えなかった。
結果として、それがいくつかの悲劇の連鎖を生む事になるのも知らずに。
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