第十五話 フラウトの三人 3/5

 アキラは既に多くの賢者と出会っていた。ハロウィンの正体が大賢者であった事にも驚愕したが、ルーナーの法則から外れた、曰く付きのハイレーン、エルデ・ヴァイスの正体には文字通り肝を冷やした。

 どちらにしろリンゼルリッヒは彼らと比べても口調が妙に俗っぽすぎると思っていた。強いて言えばエルデに近いと言えなくもないが、それにしても浮き世にどっぷりつかりすぎていて、教会関係者の匂いがしないのだ。

 第一印象は悪くはなかった。少なくとも口を開くまでは、であるが……。

 エスカとの久々の対面の場にいたリンゼルリッヒを見て、エスカの新しい参謀なのだと直感した。いの一番に紹介するほどの人物である。エスカとしてはアキラにまず引き合わせ、幕僚となるお互いの信頼関係を築こうとしたのであろうが、口を開いたリンゼルリッヒは、もうその時点でアキラには砕けすぎているように思えた。

 エスカとのやりとりは旧知の友人のようであり、アキラをして思わずそこに疎外感を持ったほどである。

 だがニーム・タ=タン付きの賢者である事を紹介され、エスカの元に至る経緯を聞くに従い、アキラは別の目でリンゼルリッヒを見るようになった。

 エスカの元に居てエスカを守る為の、明確で揺るぎない目的とその先の目標がリンゼルリッヒにはある事を知ったからである。

 もとより賢者の言葉に二心はない事をアキラは知っていた。ラウやファーンを見れば、その一途さがわかる。エウレイのルネに対する行動にいたっては、痛々しくて胸が詰まるほどだった。

「エスカ様を、この口の悪さに似合うだけの偉そうな人物に仕立て上げてやりましょうよ」

 自己紹介の後、リンゼルリッヒがアキラに向かって告げた言葉がそれである。腰にためた剣を抜き、刃の方を持ち、柄を差し出しながら。

 言葉とは裏腹に「あなたに対して二心はない」という誓いの作法は優雅で美しかった。アキラはためらう事なくその剣の柄を掴み、同じく反転させて刃を持って柄をリンゼルリッヒに向け返した。「承諾」の作法である。


「それとも、末席だと賢者も口が悪くなるのか?」

 アキラはその時のリンゼルリッヒの「エスカを偉そうな人物に仕立て上げる」という言葉が気に入っていた。「偉い人物」や「偉大なる人」などではなく「偉そうな人物」という言い回しがエスカに実に似合うと思ったのだ。

 つまり、気が合いそうな予感があった。

「いやあ。この人と話をしているとすっかり行儀の悪い言葉がうつってしまって」

「感染した、か」

「何しろ相当にたちの悪い病原菌ですし」

「うむ」

 二人のやりとりを聞いていたエスカが、こらえきれずに会話に加わる。

「お前ら、ものすごくむかつくんだが」

「だが、事実だ」

「待て。誰が病原菌だ」

 三人はまるで酒場の仲のいい常連客のように笑い合いながらグラスを重ねていった。


「だが、やっかいだな」

 エスカが思い出したようにぽつりとそう言った。

 アキラはずっと右目を閉じたままのエスカの顔を改めて見つめた。

 シルフィードのハイレーンの力により、外傷だけは綺麗に治っていた。エスカはその後の治療で右目を閉じたままの状態で固定してもらったのだと説明した。

 眼帯をしない理由を尋ねると「そんな顔を見たら、ニームが悲しむだろ?」と当たり前のような顔でそう言った。

 正教会の大賢者の一人だという《天色の楔》ことニーム・タ=タンについては、あらかじめ一通り説明を聞いていたアキラだが、会った事もない人物、しかもそもそもエスカを自分の目的の為に利用しようとしたルーナーをまだ完全には信用しかねていた。

 だが、そのエスカの一言を聞いてアキラは降参する事にした。

 少なくともエスカ・ペトルウシュカという男はニーム・タ=タンという女に心底惚れて惚れて惚れ抜いているのだという事がわかったのだ。エスカの中での優先順位が尋常では無いのがひしひしと伝わる。

 エスカ・ペトルウシュカという人物にそこまで言わせる女が出てくるとはアキラは正直に言って思っていなかった。正妻を含む自分に関わる全ての女は表面上は人もうらやむ仲を取り繕うとしても、心の中では有効な道具として扱うだろうと信じていたからだ。

 だからエスカがそこまで夢中になる、ニームという名の成人になったばかりだという少女を、アキラは尊重しようと決めたのだ。


 エスカとニームの関係を聞いて、アキラは自分が知るもう一人の大賢者、エウレイ・エウトレイカとその大賢者が自らの正体を隠蔽して守り抜こうとしたルネの関係を思い出していた。二人はある意味で普通の人間など及ばぬほど深く情を交わしていたのだろうと思えた。

 エウレイの年齢は不詳だが、様々な話を総合すると大賢者の座について長く、つまりは相当な年齢にあることは確かであった。翻って同じ大賢者であるニームは座について数年。実年齢も本当に成人を迎えたばかりだという。両者はかなり立ち位置が違うが、それでも双方の思いは強く純粋なものであろうと思えた。

 エスカの言葉はアキラにそこまで思索させるほどの効果があった。


「何がやっかいなんだ?」

 そんな事を考えながらアキラはぼんやりとエスカのつぶやきに反応した。

「おいおい、そんな人ごとみたいな態度をとってる場合じゃねえぞ」

「え?」

「お前の事だよ、アキラ」

「何の話だ?」

「お前がその女っぷりに惚れたっていうアルヴィンの娘の事だよ。風のエレメンタル、いや一国の王女、いやいや本当の女王か……って、ややこしいな、その嬢ちゃん」

「確かにややこしい子ですね。あと、相当な高嶺の花」

 リンゼルリッヒがエスカの言葉に乗る。同じ思いを持っているという事だろう。いや、興味かもしれない。

「三聖の娘で立場が新教会の大賢者、ドライアド王国においては特急バードで軍では大佐待遇っていう娘は高嶺の花でもややこしい子でもないのか?」

 アキラはそう反論してみたものの、

「いや、俺とニームはもう単純に男と女の関係だ。指をくわえて見てただけのお前と一緒にしてくれるなよ」

「いや、エスカよ。お前はベタ惚れにも程がある。聞いているこっちが赤面しそうだ。それに指をくわえて見てるだけと言われるとさすがにむっとする。レナンスとして!」

「じゃあ、その瞳髪黒色の剣士君とやらと女王様を賭けて勝負でもすっか?  なんなら俺が無理矢理お膳立てしてやってもいいぜ」

「ふん。あんな男のどこがいいのか俺にはわからん」

「お、出たね、本音」

「出ましたね、見苦しい男の愚痴が。しかも古今東西、歴史的に見てもその台詞こそ負け犬の遠吠えとしか……」

「うるさい」

「まあ、話を聞いてる限りじゃ、どう見てもお前の負けだ。何しろ嬢ちゃんの方がぞっこん過ぎる。それでも強引に引っさらって無理矢理押し倒して既成事実でも作っちまえば、さっきの話じゃねえけど情がわいて、そのうち懇ろに……なんて事もあるかもしれんが、そんな事したら」

「デュナンならまだしも、アルヴやアルヴィンにそんな事をしたら、俺はキスの最中に舌か唇を噛み切られるか髪の毛を全部むしり取られるか、寝てる間に首をかかれるか……どっちにしろ五体満足じゃいられないだろうな」

「何だ。よくわかってるんじゃねえか。だったらもう綺麗さっぱりあきらめろ。そんでもって中尉とまぐわえ」

 エスカのその言葉には、アキラではなくリンゼルリッヒが先に反応した。

「相変わらずエスカ様の言葉は下品で身も蓋もないですな。もはや清々しさすら感じます」

 そう言って大げさに肩をすくめる。

「上品に言おうが下品に言おうが、やってる事は一緒だろ?  俺もニームとまぐわって、さらに真っ逆さまに溺れたわけだしな」

「そんな言葉、ニーム様の前で言わんで下さいよ。あの方は耐性がないまっさらなお嬢様みたいなものなんですから。おそらく鼻血で大量失血するか、脳の血管が破裂して、どっちにしろ死んじゃいます」

「それは困る。俺の最期はあいつに看取られてって決めてるんだ」

「死ぬ話などするな、縁起でも無い」

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