第十二話 溶け始めた記憶 1/3
(ここはどこやろ?)
思わず息を潜めて辺りを見回す。
見た事もない部屋だった。
いや……。
見た事はあった。
少し前に「見た」事がある部屋だ。
(また意識を無くしたんか)
「私」はそう自覚する。
その時に見た事がある部屋だった。
そしてそれは「私」が知らない部屋。
そこは部屋というよりもどうやら住居の一部のようだ。
住居はそれなりに広い。
「私」がいる空間は、土間と居住部分が一室の中に混在していた。住居部分は土間より大人の膝くらい高い位置に作られており、履き物を脱いで上がるようになっている。椅子はない。直接床に座る生活習慣の文化圏のようだった。
壁に目をやると、住居の構造がなんとなくわかる。骨格が木で作られた住居だ。
構造的にはジャミールの里のものに近いといえる。だがジャミールの住宅構造と違うのは、木で家の外壁と内壁を構成するジャミールに対して、この住居は柱と柱の間を土を主成分としたもので覆う構造になっている点だ。
天井もさほど高くはない。アルヴなら少し手を伸ばせば手がつくだろう。つまり、屋根裏があるとみていい。
現時点で視界の範囲にあるのはそれが全てだった。この家屋の入り口とおぼしき部分から続く土間。そこから靴を脱いで上がる居住空間である座敷。
座敷部分の床は板作りで、比較的広い。おそらく二十人くらいが座って飲み食いができる程度の広さがある。
座敷は一方が土壁で、他の三方は開けている。土壁の対面が土間に続き、左右には廊下があり、それぞれ奥にある扉の前で途絶えていた。当然ながら扉を開ければ別の場所に続いているのだろう。
座敷の所々には大人が寝転べる程度の広さの長方形の敷物が置かれてあった。細い草か植物を編み込んで固めて作られているように見えるが、それも未知の敷物だ。
上がり口の反対側には明確な上座が存在していて、そこにはその敷物が三段重ねになっていた。
ここまでは、以前意識を失ったときに見たものと全く同じだった。
部屋や土間に置かれた調度が微妙に違う気がするのは、時間経過があるからであろうか。
いや、それは些末な事だ。
今回決定的に違うのは、その部屋に人間がいたことだった。
件の上座に一人の男が寝転んでいた。
正確に言えば一人と一匹と言うべきか。
男の側に黒猫が一匹、丸まって気持ちよさそうに眠っていた。
たいしてその横で寝転ぶ男は眠ってはいない。起きて、なにやら手紙のようなものを眺めていた。見た事もない民族衣装を纏っていた。
いわゆる上下一体となった袷(あわせ)型の衣装で、左側を上にして閉じ、帯で巻いて襟を整えて着るものだ。
茶色を基調として縁取りに黄色っぽい色をつかった大胆な意匠の服は、光沢のある生地で作られていた。綺麗に整った襟の形、体の動きに沿ってできるしわを見ても、それが良い仕立ての装束である事がわかる。
その座敷の際奥とも言える土壁の側、つまり上座でくつろぐ姿から、おそらくこの屋敷の主人なのであろう。
(まさか、瞳髪黒色?)
私はその男の顔を見て息をのんだ。
それはまさにピクシィであった。
黒い髪と黒い瞳。滅びたと言われているピクシィそのものの外見だ。
短目に刈り込まれたやや癖のある髪。
日に焼けて浅黒い肌。
広げた手紙の文字を追っているのであろう瞳は黒く、しっかりした顎にその人物の意志の強さがうかがえる。
ピクシィと言う種族の事はよく知らない為に年齢はよくわからないが、同じピクシィであるエイルより年上に見える事は確かだった。
いわゆる面構えは自信に満ちており、不適といっていい落ち着きがある。
だが……。
目の前の男の表情は険しかった。
広げている文書に綴られている内容は彼のお気に召すものではないのであろう。
(誰やろう?)
知らぬ人間だ。
だからいくら考えてもその男の人物特定などできるわけがない。
目をこらしてもう一度よく観察しようとした時に、視界が闇に閉ざされた。
(ここはどこや?)
突然、視界が開けた。
同じ部屋だ。
だが、またもやさっきとは時間軸が違うようだった。
部屋が全体的に暗い。
二つのランプの炎をよりどころとした、頼りない灯りが作る「陽」の力が及ばず、「陰」の揺らぎに支配されているようだった。
つまり、夜。
そして外では雨が降っている様子だった。静かな部屋に、時折屋根を払うようなザッという音が侵入する。
「私」は視点を移動させて部屋中を見回す。
どうやら座敷にいるのは、例の上座に座るピクシィの男一人だけのようだった。
男は上座であぐらをかいて座っていた。寛いでいるわけでないことは、腕を組んでいる姿を見ればわかった。
何か考え事をしているのだろう。頭はやや伏せ気味で、その目は軽く閉じられていた。勿論、その男が眠ってはいないという確信があった。
男が纏うエーテルが私には見えるからだ。
強いエーテルだった。そしてその均一な波動の動きを見れば、その途方もなく強力なエーテルを男が完全に制御できていることがわかった。
(こいつ、いったい何者なんやろう?)
そこまでエーテルが強いフェアリーを「私」は知らない。
見た事がない。
炎のエレメンタルである「あいつ」よりも遙かに強大だった。
いや、強弱の問題ではない。エレメンタルとはいえ、そもそも「あいつ」は纏うエーテルがあまりにも不安定だ。
焚き火でいう熾(おき)と、火山の噴火が同じ時間・場所に同居しているような状態が「あいつ」の現状だ。「私」が気をつけていなければ、いつか間違いなく大変な事になる。
大きな心の揺らぎが力を暴走させるからだ。そして「あいつ」は感情の起伏が大きい。大きすぎる。
ただ、一つだけ安心だったのは、正方向の感情の振れに対してその力が同調しなかった事だ。
それがわかったのは幸運だった。
結果論だとわかっていても、ネスティのおかげなのは間違いない。
「私」にはできない事だ。
でも、素直に感謝ができない。
「亜神」として……いや、四聖としてはありがたい事にちがいない。でも、わだかまりの方が大きい。
今でも思い出すと胸がずきんとする。
だから思い出さないようにしなければ。
「私」まで不安定になってしまうと、仲間を危険な状況に晒してしまう。
「私」が本能に飲み込まれたら、取り返しがつかない事になるのだから。
(それにしても、この男……)
改めて上座で黙想する男を見つめる。
この男は「あいつ」を一蹴するほどの強いエーテルを、均一かつ最小の状態で綺麗に一皮だけ纏っているような感じだ。
時々揺らぎが入るのは、黙想中に男が何か思い悩んでいるからだろう。
もしくは何かを迷っているのか。
「いらっしゃいますか?」
出し抜けに声がした。
住居の外からだ。
入り口にあたる扉の、すぐ向こう側に誰かがいる。勿論訪問者であろう。
声は小さいが、女の声ははっきりとわかった。
それは雨の音に負けずに、鮮明に耳に届いた。
「私」にはわかる。
あれはルーンを使った「声」だ。
ふわっとして耳に心地よい声だった。
いや、耳では無く心に染みる声だ。
とても懐かしい……?
そうだ。
それは、なぜかとても懐かしい声のような気がした。
柔らかくぼんやりとしたものではなく、声には力があり、芯がある
心地よい音が聞く者の耳をすっとすり抜けた後で、言葉だけは頭の中にちゃんと残る。
そんな優しい声だった。
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