第十一話 亜神の苦悩 3/3
「なあ? 殺さへんかったら……命まで奪わへんかったら、何をしてもええかな?」
「え?」
ちゃんとした声にならず、ほとんどがのどの奥でつっかえた。
「あの青緑女がおらへんようになって《深紅の綺羅》も、もうその肉体は存在せえへん。つまり……発作を抑える薬が切れたら、ゾフィーにはもう後がないっちゅう事や」
それは否定できない言葉だ。うなずくしかない事実。
エルデはエイルの肯定しか求めてはいないのだろう。意見を聞くと言いつつ、選択肢はおそらく用意してはいないに違いない。
だったらなぜ?
だが、意外なことにその口に出さぬ問いかけに、エルデはあっさりと答えて見せた。
「ウチはやりとうない。でも、アンタが『やってもええよ』って言うてくれたら、アンタのせいにできる。いいわけができる」
エイルと二人だけでこの話を切り出したエルデの意図が、エイルにはようやくわかった。
やることは決まっているのだ。エルデは最初からそのつもりだったからこそ、ゾフィーを連れてきたのだ。人の多いヴォールは都合もいい。
だが、自分の能力が人の道に悖(もと)ることはエルデにも痛いほどわかっていたに違いない。一人の、それも関わってしまったからという理由の「特定の個体」にだけとんでもない方法で治癒を行う。つまり自己満足の為に勝手に人の命に手を出そうというのだ。
ニアレー麻薬に毒された人間はゾフィーだけではない。全員を見つけ出して、その治療の為に多くの人間の命の力を分けて欲しいと呼びかけ、賛同をもらった者から力をもらうと言うのであれば、エルデの行為はさすがは正教会の賢者。まさにマーリンの思し召し、功徳であるなどと称えられてもおかしくはない。
だが、現実問題としてそんなことはできない。やりたいができない。それはエイルもわかっていた。
だから知り合った一人の少女だけを助けるという行為にはどうやっても背徳感が伴うのだ。そしてそれは人としては当然の感情であった。
おそらくゾフィーは時間を争う状態にあるはずだった。それがいつかはわからないが、発作が起こればもうそれを鎮める方法はない。あるとすればゾフィーの活動を停止させることだけなのだ。
いや、それは本人が望んでいる事かもしれなかった。発作が起こればゾフィーはもう人間ではなくなる可能性が高かった。理性はなく、思考もなく、痛みと苦しみに耐えかねて、ただ周りに力をまき散らす存在になる。そしてその力はエルデの言う青緑女……キセン・プロットによって無理矢理増幅されたルーンの、いやエーテルの力である。
そうなればたとえエイルとエルデがゾフィーをそのままにしていたとしても、周りがその生存を認めようとはしないだろう。
そうなったゾフィーを守ると言うことは、言ってみれば周りを敵に回すという事と同義なのだ。
だが、エイルのその考えをエルデは否定した。
「言うとくけど、世間とか周りの人間とかはどうでもええねん」
「え?」
「ウチはアンタに許して欲しい。それだけや。アンタがあかんって言うたらウチはゾフィーに仮死ルーンをかけて、治癒方法が見つかるまで『時のゆりかご』に封印する」
やはりエイルに選択肢はなかった。
それどころかエルデはエイルを脅していた。どう考えても脅迫だった。
だが、やりたくてやっているわけでないことも、もうわかっていた。
「おまえさ」
「なんや?」
「なんでいつもいつも経過をオレに話さないんだ?」
「経過?」
「おまえ、その答えを出すのに相当苦しんだんだろ? だったら苦しんでる時にオレに言えよ! 聞けよ! 相談しろよ!」
「エイル……」
「苦しんで苦しんで出した答えを、オレにただ押しつけるんじゃなくてさ」
「そんなら聞くけど、アンタに相談したら、違う答えが出るんか? すばらしい思いつきが浮かぶんか?」
「そんなのやってみなきゃわからないだろ? できない可能性は高いさ。でも、相談してくれたら、おまえと一緒に苦しんでやれるだろ?」
「え?」
「え? じゃねえよ。人間とか亜神とか関係ない。一緒に悩んでやれるのが……その、仲間だろ?」
エイルの言葉を聞いたエルデの顔が微妙に崩れた。
だがそれはすぐに微笑に変わった。ただし、その微笑が喜びではなく、むしろ寂しさに傾ぐ表情であることにエイルは気づいた。
「仲間か……そうやな。アンタはそういう人間やった」
「え?」
「まったく、お笑いや。ウチはいったい何を期待してたんやろな」
「エルデ……」
「わかった。ウチが悪かった。堪忍や。でも、今回は答えて欲しい」
エルデの苦笑の意味がいったい何だったのか、それはわからない。なぜならエイル本人がなぜとっさに「仲間」という言葉を使ったのかがわからなかったからだ。だが、他に適当な言葉がみつからなかったのだ。
それを知ってか知らずか、エルデはエイルの言葉を遮り同じ質問を繰り返した。そして重ねて問うた。
「許してくれるか?」
エルデがこういう時にきわめて卑怯な手を使うのは、今に始まったことではない。エイルはもう慣れているし、長いつきあいではないにせよ、アプリリアージェはそんなエルデとのつきあい方を確立させていて、互角以上に渡り合っていた。
だがエイルはそれでも、今のままでいいと思っていた。
それだけエルデが自分のことを深く知っているからこそ、こうやって答えを期待してくれているからこその行為なのだということが、もうわかっていたからだ。
たとえその答えがエイルが決めるような内容ではなくても、だ。
「相変わらずズルいな、お前」
「自分の気持ちにまっすぐで、何にも飾らへん綺麗でまぶしい言葉だけを投げかけてくれるネスティの方が、そらええやろな。どうせウチはこういう性格や」
「いや、なんでここでネスティが出てくるんだよ」
「出るわっ!」
「だから何でだよ!」
「今でもあの光景が……その、チラついてるし……」
一瞬高まったエルデの興奮が、自分が口にした言葉とともにみるみる沈んでいくのがわかった。話の途中でうつむいてしまうエルデを、エイルは珍しいものを見ているような気分で眺めていた。
が、すぐに自分自身もおそらくはエルデと同じシーンを想起して同様に下を向くことになった。
「あ、あれは……その」
「あんなかわいらしい女の子に迫られたら、男やったら誰でもああなる、って言うんやろ? はいはい、仕方ない仕方ない」
「……すまん」
からかうことによってエイルの単純な怒りを誘うつもりだったのだろう。しかしエイルはそんな気分にはならなかった。「あのこと」についてはエルデと話をしたいと思っていたのだ。
だが、最初に出た言葉が謝罪の言葉だったことに一番驚いたのはエイル自身だった。
「な、なんでアンタがウチに謝らなあかんのん?」
エルデの言うとおりである。
しかし、それでもエイルはとっさに謝りたいと思ったのだ。
「あの時はたぶん、ルーンをかけられたんだと思う」
だが、次に出たのはそんな見え透いた嘘だった。
「えええええ?」
「オレだって自分が信じられないんだよ。ルーンにでもかかったと思わせてくれよ」
「そ、それはネスティがお前にルーンをかけたっちゅう事か?」
「オレはわかったんだ」
「何をや?」
「お、女の子はああいう時は、みんなルーナーになるんだよ。体がいうことをきかなくなって、吸い寄せられるように……それで後はもうネスティの体のことしか考えられなくなって……」
「か、体って……」
「あ、いや、何を言わせるんだよっ」
「アンタが勝手に恥ずかしいこと口にしてるんやろっ、聞かされるこっちの身にもなってみーや!」
一見いつもの言い争いのような状態になった。
違うのはエイルもエルデも顔が真っ赤で、エルデはその美しい大きな目に涙をためていた事だろう。
それに気づいたエイルは言葉を失った。
自分が口にしている言葉はすべて言い訳であることは当然わかっていた。だがそれでも言い訳がしたかった。そしてその後になって、言い訳をする事がこれほど恥ずかしい事なのだと思い知った。
そして自分の言い訳であのエルデが目に涙を浮かべている事を知って、打ちのめされたような気分になった。
だから、もう言葉は出なかった。
「一つだけ、聞きたいんやけど」
ややあってエルデが口を開いた。
エルデはあふれそうな涙を指先でぬぐうと、ばつが悪そうに鼻声混じりで尋ねた。
「誰でもよかったんか?」
「え?」
エルデの質問はエイルにとっては唐突なものだった。意図をくみかねたが、その目は真剣にエイルの答えを待ってるかのように大きく見開かれていた。ただでさえ黒目勝ちの大きな目をもつエルデである。そうやって見据えられると気圧(けお)されて言葉がでない。いや、思考が働くなるのだ。
だがエイルはここが正念場だと感じていた。
もう言い訳も嘘も言えない。そんなことをしたらエルデとの間に埋められない大きな溝ができてしまう……なぜかそう思えてならなかった。
「いや……」
エイルは弱々しく首を振った。
「誰でもいい訳ないじゃない。そこまでケダモノじゃない……と思う」
「ネスティやったから、か?」
エイルはうなずいた。
「たぶん」
「たぶん?」
エイルのその答えはエルデには想定外のものだったのだろう。片方の眉だけがぴくりとつり上がった。
「いい加減な答えかもしれないけど、あれがティアナやリリアさんなら絶対あんなことにはなってない……と思う」
「なるほど、年増はアカンのか」
「いやいやいやいや」
エルデの言葉をエイルは即座に否定すると思わず扉を振り返った。それに釣られるようにエルデも扉に目をやり、そして少し目を細めた。
「何をおびえてるんや? 心配せえへんでも近くには誰もおらへん」
「いや……そういうわけじゃないけど。って、お前な、ティアナもリリアさんも全然年増じゃないだろ?」
「年齢はずいぶん上やろ?」
「それを言うなら、お前は三千歳だろ?」
「う、ウチはそういうんとちゃうやろ!」
「わかったわかった。だからオレもそういうんじゃないって事だから。三千歳でも四千歳でもお前はお前だろ」
「え?」
「え? じゃない。ティアナはともかく、そもそも見た目はネスティよりリリアさんの方が子供みたいじゃないか」
「確かに、最近はネスティの方が断然オトナっぽく見えるな」
「だから、何というか、好意の種類が違うんだと思う」
「それって……」
「……」
「そ、そうか」
エルデはでかかった言葉を無理矢理飲み込んだようで、エイルから視線を外した。
「そう言う事やったら、アレやな」
「アレ?」
「ほ、ほら。ウチがここでネスティのマネしていたずらでアンタを誘惑しても、アンタがケダモノになることはないっちゅう事やな。安心したわ。あは……あははは」
「え?」
「え? って、え?」
「まさか、ここに連れてきたのは誘惑する……つもりだった?」
「え? いや、まさか……ウチなんか」
「だ、だよな。そ、そりゃよかった。あははは」
「あははは」
「あははは。心臓に悪い冗談はやめてくれ。もしそうなってたら、たぶん冗談ですまなくなるところだったぞ」
エイルのその言葉はエルデの笑いを止めた。
「え?」
エルデのその表情を見たエイルは、少し間を置いてから自分が思わず口にした言葉の意味を理解した。
「……いや」
「エイル……それって」
自分に向かって一歩近づいてきたエルデの黒い瞳を見て、エイルはめまいを覚えた。平衡感覚を失いそうになるところを、察知したエルデが慌てて手を伸ばし、その肩を支えた。
「すまん……」
瞬時に覚醒したエイルだが、エルデにかけようとした声を途中で飲み込んだ。礼を言おうとした相手の様子がおかしかったからだ。
「おい、どうした?」
エイルが声をかけるのと同時に、エルデの力が抜けていくのがわかった。
エイルを見つめていたはずのエルデの黒い瞳の焦点がおかしかった。それはエイルの後方に向けられていて、そして生気が無かった。
「おいっ」
エルデがその場に崩れ落ちようとするのを抱きかかえるようにしてかろうじて防いだエイルは、動悸が跳ね上がるのを自覚していた。
抱きかかえたエルデの体に体温を感じられなかったからだ。
「おい、答えろ! エルデ!」
大声になっていた。
エルデの瞳はいつの間にか閉じられていて、いつも血色がいいはずの柔らかそうな薄めの唇は青紫色に変わっていた。
「誰か!」
エイルはエルデの体を細心の注意で床に横たえながら、扉の向こう側へ向かって叫んでいた。
「ファーンっ!」
エルデは声が漏れないようなルーンを部屋に対してかけていた可能性があった。エイルは念のために扉を開け、廊下に向かってもう一度叫び、仲間を呼んだ。
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