第七話 落花の泉 4/4
グラニィは抜剣したままでゆっくりと、しかし周りに他の気配がないのかを確認しつつ注意深く声のする真後ろを顧みた。
「あなたは!」
オオソケイの幹にもたれてこちらを見つめる青年の姿を見て、グラニィは思わずそう声を上げた。
「おや。これは少々驚いたね。その表情……大尉はボクを知っているって事だよね? だったら実に光栄だね」
長めの茶色い髪を持ち、眼鏡をかけた青年がそこにいた。
グラニィは眼鏡の奥で輝く金色の瞳に見覚えがあったのではない。青年がこれ見よがしに纏っている真っ赤な色のシャツ、そこに大きく染め抜かれた白い四連野薔薇のクレストを知っていたのだ。そのクレストが何を意味するのかがわかれば、それを纏う青年の特徴と自らの持つ情報、記憶……それらを照らし合わせれば、その青年の正体は明らかであった。
だがそれは、同時にあり得ない事でもあったのだ。
「まさか、ペトルウシュカ公ミリア様」
金の瞳を持つ眼鏡をかけた青年はグラニィの呼びかけを聞くとニヤリとして両手を広げた。その手には当然ながら剣も槍も精杖もない。だが武器は手にしておらずとも目の前にいる青年が丸腰でないのは明らかであった。
「正解だ。でも大尉はきっとこう思っているはずだね。『エスタリアのバカ殿は、確かエイビタルの山荘に幽閉されているはずではないのか? 』 ってね。違うかい?」
それはまさにグラニィが「あり得ない」と思っていた根拠であった。
「大尉にとって確かな物はどっちだい? 自分で確かめたわけでもないその情報の中に存在しているボクと、今こうして目の前にいるボクと」
やや人を食ったような微笑と、およそ緊張感とは無縁な脱力した雰囲気の立ち姿。単に肩に力が入っていないといったものではない。手に持った剣でグラニィが襲いかかれば、間違いなく致命傷を与えられると確信できる、いわば隙だらけの状況で、しかしグラニィの抜き身の剣を見ても不敵な物言いに変化はない。
大物か、噂通りの単なるバカ殿か……。
いや、冷静になって考えるまでもない。ここにこうやって居る人物が単なるバカ殿であるはずがなかった。そういう意味ではグラニィが持っているミリアの情報は間違いだらけであろうと思われた。
「ミリアってのは穀潰しのバカ殿だと聞いていたけど、単なる穀潰しじゃないかもしれない……なんて今は思ってるのかな?」
グラニィはこの場の主導権が完全にミリアにある事を感じていた。ならばそれを崩してやる。そう考えるのが「敵」と対した軍人の正しい心持ちであろう。グラニィはしかしその「敵」という言葉に違和感を覚える自分を見つけ出した。
敵なのだろうか?
客観的に見れば単純に後ろから声をかけられただけだ。軍人に後ろから声をかけてはならぬと言う法律はツゥレフにも、もちろんドライアドにもない。
とはいえパンナイズに「何かした」のもまた事実である。
そもそも独立国として充分にやっていけるとも言われている「白の国」エスタリアの領主が辺境の閑職にある左遷軍人にいったい何の用があるというのだろう?
グラニィの心の中は様々な疑問で埋め尽くされようとしていた。
「悪いけど、ボクは大尉の質問の全てに対して、懇切丁寧に答えている時間は無いんだ」
まるで心の中を見透かしたかのようにミリアがそう言った。
「では何の用です? 女を使ってこんなところに誘い込むとは公爵様とも思えぬ所行ですな」
徴発的な言葉を敢えて使って、グラニィはミリアの反応を見ようとした。
「人聞きが悪いなあ。ボクはここでスノウと話をしようとしていただけだよ。そこへ大尉がいきなり現れたんじゃないか。まあ、もっとも今夜あたりにボクの方から伺おうかと思っていたから手間は省けたわけだけどね」
「スノウ?」
「いやあ、どうしても大尉の事を知りたいっていうもんだからね。少し前から奉公人として屋敷で働いてる背が高いデュアルの娘さ。そもそも大尉はスノウを追いかけて来たんだろう?」
グラニィはその一言で合点がいった。
仕組まれていたのである。
女は公爵配下の諜報員で、グラニィの事を探っていたのだ。
だが、探ると言っても特に変わった事があろうはずもない辺境の業務。いったいそこまでして何を調べるというのだろうか。
「スノウは自分の目で確かめないと納得しない子でね。しかもすこぶる付きの強情で、ボクも彼女には敵わない。どうしてもグラニィ・ゲイツという人物を近くで見たいなんていうものだから、使用人の空きを作ったり、そこへよそ者をねじ込んだりとそれなりに苦労はさせてもらったんだけど、まあそんな話はいいや。でもさすがだね。身銭を切ってわざわざ毎日最新の世界情勢を運ばせてるとは思わなかったよ」
ミリアの言葉に反応してグラニィの眉が少し上がった。
「知っているよ。毎朝早朝に散歩しているのは、依頼した最新の世界情勢を受け取る為だってことはね。でも、今日は情報がなかっただろう?」
ミリアはそう言って隠しから小さな書類筒を取り出すと、その蓋を開けて中に入った紙を取り出した。
「海岸近くの林にある木のウロを連絡場所に使うのはちょっと不用心じゃないかな?」
グラニィは努めて平静を保とうとした。
そうでなければ今ここで公爵に対して怒鳴ってしまいそうだったからだ。
軍属ではないが、公爵ともなればいわばグラニィのような軍人が忠誠を誓う国の重鎮の一人といっていい。そんな立場にある人間に滅多な言葉を投げつけるわけには行かなかった。
「あ。怒ってるよね? 勝手に人様のものを持ち出したのは謝るよ。ボク自身、悪い事をしているってのは大丈夫、自覚してるよ。だからこれは確信犯というやつだね。それからボクの身分に気を遣って罵声を浴びせるのをガマンしているようだけど、剣を抜き身のまま手にした状態でにらみ付けてる時点で、もうそんな事はどうでもいいんじゃないのかな? あ、言っておくけど怒鳴ってくれって言ってるわけじゃないよ。ボクだって怒鳴られるのは嫌だからね」
「いい加減にしろ、ミリア」
そこへ突然女の声がした。
同時にこの場の空気とは異質の香りがふわりと鼻をくすぐった。無意識に記憶を辿る……。
(モクセイの香り? )
グラニィの知識が正しければ、その森に、いやツゥレフには自生する木犀はない。とすればそれは声の主が纏う香りなのであろう。
グラニィは声よりもむしろモクセイの香りに虚を突かれた形でミリアにぶつける言葉を飲み込んでしまった。そしてゆっくりと声のする方へ顔を向けた。
視線の先。そこには背の高い少女が立っていた。
グラニィは一目でその少女を特定できた。髪は金と赤の見事な斑をなすモテアで、まさにグラニィとパンナイズが後を追った少女であったからだ。
なるほど、パンナイズの言うとおり少女は木刃の槍を手にしていた。グラニィの見立てでもそれはどう見ても殺傷能力などはなさそうであった。
だが、その少女はその木刃を掲げると、無造作に空を切った。
「花を……」
動作と同時に少女が口にした言葉を、グラニィは聞き取れなかった。
槍を振る動作にいったい何の意味があるのかグラニィにはわからなかったが、今まで以上に辺りに気を配った。
そこへ突然小さな白ものが降り注いだ。
勿論雪ではない。
「これは、オオソケイの花か」
掌に降り注いだ花が、無骨な指の間からこぼれる様を見て、グラニィがつぶやいた。
無数の白い花の突然の落花は、始まりと同様に唐突に止んだ。オオソケイの落花と少女の槍の動作との関連性に思い至ったグラニィが顔を上げ少女を見るのと同時に、その木刃を持つモテアの少女が再び口を開いた。
「あなたはなぜいつも肝心の話をする前に相手を怒らせるの? ただでさえ迷惑をかけているのだから、つまらないからかいでこの人を困らせないで」
言葉の内容は厳しい叱責であったが、その言葉にはあまり抑揚がなかった。本気で怒っているようには聞こえないのだ。
だが、ミリア・ペトルウシュカには効果があったようだった。
少女の言葉を受け、ミリアは初めて慌てたそぶりを見せたのだ。
「わかったわかった。そう睨むな」
ミリアは両手を少女に突きだしてそう言って謝った。しかしグラニィは、ぼんやりとした表情の少女がミリアを睨んでいるとはどうしても思えなかった。
「さてさて。スノウに叱られた事だし、単刀直入に尋ねるよ。君は今からどちらかを選ばなきゃならない。グラニィ・ゲイツ」
「選ぶ?」
ミリアはうなずいた。
「ボクと一緒に殺戮の限りを尽くすか、ボクの敵となって死ぬか」
「なんだと?」
「どちらにしろ、君に楽はさせないよ」
ミリアの表情は微笑のまま変わらない。
だが、その金色の瞳に宿る光は、口にした今の言葉が冗談ではないと語っていた。
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