第八話 薔薇の花嫁 1/4

 通年温暖なエッダの気候に比べると、ノッダには明確な四季がある。

 黒の一月、ノッダは本格的な冬を迎え、王宮にある国王執務室の窓から見える景色は白に覆われる日が多くなっていた。


「そうですか」

 イエナ三世はシュクルの報告に対し、気のない言葉を返した。

「驚かれないのですね」

 シュクル・スリーズは意外そうな声でそう言った。

 彼がたった今イエナ三世に報告した情報は「そうですか」で片付けるような類のものではないはずであった。少なくともシュクルの価値観ではそうであったし、おそらくファランドールの人間であれば、ほぼ全ての人間が驚きの声を上げるか、まったく声が出せないか……どちらにしろ驚愕してしかるべきはずだったのだ。

 だがシュクルはすぐにその訳を理解した。

 イエナ三世だけではないのだ。その場にいた人間は全員、多少驚いた表情はしたものの、誰も驚愕と呼べる程の反応を見せなかったからである。

「なるほど。納得し難いながら、これも既に織り込み済みの事態だということですか」

 シュクルのため息混じりのその言葉には軽い非難が込められていた。このところの情勢の変化をイエナ三世始めとする重鎮はことごとく予想済みで、情報のとりまとめ役である自分の存在意義に疑問を感じていたところであったからだ。


 事実、シュクルは何も知らされていなかった。

 トルマ・カイエンの命令で単身ノッダ入りしたシュクルは、そのまま女王付きの情報庁長官という役職に任命され、佐官の地位を得ていた。つまり少佐に昇進していたのである。

 そこまではいい。シュクルはもらえる物はもらう主義であった。エッダに家族を残したまま混乱のどさくさに紛れてノッダヘ入り込むだけでも相応の危険があった。その対価としての昇進はシュクルにとっても納得以上の待遇であった。

 問題は情報庁長官という立場に対する「扱い」であった。今のところシュクルはそれが大いに気に入らなかったのだ。

 シュクルの言葉を借りれば、イエナ三世は「極めて重要な秘密を抱え込んでいる」状態であった。

 女王と秘密を共有していると見られるのは、少なくとも二名。すなわち新しく設置された国王補佐官という役職に就いたガルフ・キャンタビレイ王国軍大元帥と、その参謀であるリーン・アンセルメ中尉である。

 現に今、この部屋にいるその三名全員が、シュクルの報告に対して大きな驚きを示さなかったのだ。

 いや。

 シュクルは先ほどの感想を大きく訂正しなければならない事に今、気付いた。『多少なりとも』驚いた表情を見せたガルフとリーンは、シュクルの報告に驚いたのではない事がわかったのだ。いや、思い至ったと言い換えよう。

 彼らはシュクルの報告の内容に驚いたのではなく、彼らがあらかじめ知らされていた情報とシュクルが報告した内容が同じだった事に驚いていたに違いない。

 シュクルは思わず唇を噛んだ。

(どうする? この際、腹立ち紛れにもう一押ししておくか? )

 だが、その必要はなくなった。

「そろそろスリーズ長官には伝えておくべきではありませんか、陛下?」

 リーン・アンセルメ中尉がイエナ三世にそう進言したのである。

 リーンもノッダ入城後に昇進した「クチ」で、立場はそのままで中尉になっていた。

 イエナ三世がノッダヘ向かう途中、ラクジュ街道に於いて「賊」に襲撃された事はすでに広く知られていた。その窮地を救ったのがリーン・アンセルメの機転であったこともシュクルの知るところであった。


 急襲されたものの辛くも戦闘に勝利した女王一行は、陸路を諦めて海路からノッダヘと入城していた。

 別行動でエッダ入りの途中にあった海軍のうち、いくつかの艦隊をラクジュ街道に近い各港へあらかじめ配備させ、退路と補給路の冗長化をはかっていた事がリーンの手柄だと評価されたのだ。

 シュクルもリーンの手腕には一目置いていたばかりか、昇進が一階級でしかなかった事に対して他人事ながら不満を持っていた。

 もっとも事実を知れば、シュクルも不満を払拭させる事ができたであろう。

 イエナ三世がガルフを通じて提示した二階級特進の昇進人事をリーン自身が固持し、現状の階級を望んだものの、ガルフの取りなしで間を取った形で一階級だけ昇進したという顛末があったのだ。

 リーンが自身の昇進を固持した理由はもちろん、フリストの件である。彼は自分が犯した不注意が原因で、一人の人物を犠牲にしたと自らを責め続けていた。ラクジュ街道の戦いの勝利と引き替えに失ったものは、リーンにとってはあまりに大きすぎたのである。

 リーンの後悔はもう一つあった。

 フリストでなければ、イエナ三世自身がその犠牲になった可能性が極めて高かったという事である。

 だからリーンは、いまだに自分自身を許せないでいた。

 なぜ馬車の客室と御者席との間の小窓を開けたのか? 

 いや、なぜあの時小窓を開ける事を簡単に許可したのか? 

 襲撃がある事は想定していたはずなのに、些細な失策で全てを終わらせる事になっていたかもしれないのだ。

 イエナ三世を救ったのはリーンの退路と補給の冗長化作戦ではない。たった一人の、リーン自身が忌み嫌っていたル=キリアの戦士の機転なのだ。

 あの時、窓を開ける行為が持つ危険性をフリストはよくわかっていたに違いない。だからこそ間髪入れずに女王をかばう事ができた。

 自らの命などお構いなしに行動する誇り高き戦士を、ル=キリアだからと忌み嫌っていた自分の小ささが狂おしいほど恥ずかしく、そして死ぬまで許す事など出来ないだろうとリーンは思っていたのである。昇進、それも二階級特進など、リーンにとっては拷問以外の何ものでもなかったにちがいない。


「そうですね。情報収集の要となる人物に不信感をもたれたままでは士気に関わりかねません。カイエン元帥がノッダ入りしてからと思っていましたが、そうそう待ってはいられませんね」

 イエナ三世はそう言うと玉座から下り、後ろの壁を振り仰いだ。

 そこにはカラティア朝のクレストである桜花の旗が掲げられており、その向かって左側には先代の王、アプサラス三世の肖像画があった。

 対して右側には、随分と小ぶりな額が架けられていた。

 国旗の左には先代の王、右には今上の王の肖像画を掲示するのが慣例であったが、右側のその小ぶりの額にはイエナ三世の肖像画はなく、ただ額だけがあった。

 イエナ三世は今、その主無き額を見上げていたのである。

 シュクルはイエナ三世が自分の肖像画を誰にも描かせようとしていないのを知っていた。そしてそれを不審に思っていたのである。


「実は、ここに飾るべき肖像画は既にあるのです」

 額縁を見上げたままで、イエナ三世は静かにそう言った。

 シュクルはしかし、沈黙を守った。

 イエナ三世はシュクルに対して「何か」を話し始めたのである。当然額縁のみの肖像画について疑問はあるし、絵が既に存在するのであれば、その絵がいったいどこにあるのか、もし王宮内にあるとすれば、なぜ未だに掲げていないのか等々、投げたい質問はある。だがシュクルはここはそれらをグッと堪えたのだ。下手に話に横やりを入れてしまうと、その話で時間をとり、そのうちに何らかのじゃまが入って肝心の本題を聞き逃す可能性が生じると考えたからである。

 シュクルはせっかちな性格ではなかったが、欲しい情報を得る為には最短の道を選ぶ主義であった。

 つまり、今は黙してイエナ三世の次の言葉を待つ事に決めた。

 だが……

「それは初耳ですな」

 イエナ三世の独白に、あろう事かガルフが反応した。

 シュクルは舌打ちをしたいのを堪えつつ、しかしながら自身も抱いている疑問に対するイエナ三世の答えを期待した。

「私もこの件を口外するのは初めてです。ですが関係のない話ではないのですよ。この際ですから、もうなにも隠さず、あなた方には最初からお話ししましょう」

「最初?」

 思わず声を出したのはリーンであった。だがイエナ三世はそれには答えず、視線を額から外してゆっくりとシュクルを振り返った。

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