第七話 落花の泉 3/4
結果としてグラニィは「娘に恥をかかせた」という汚名を被ることなく、むしろさらに株を上げる事になった。
朝までゆっくりと話をして、明るくなってからグラニィ自らが娘を家の近くまで送り届けた事を村長は既に知っていた。
孫娘から報告を受けた村長は、自らグラニィのところへ向かうつもりであったのだ。そこへ本人が挨拶にやってきたというわけである。
もちろん、アイロモスにそう言う風習があるわけではないが、婚儀は親同士の話し合いで決まる事が多く、娘の訪問はグラニィが村長に認められたという証左とも言えた。
この件についての顛末はよくわかってはいないが、アイロモス時代のグラニィは、足繁く村長宅へ訪問していた事はわかっている。
それは家族のようなつきあいで、食事だけでなく訪問時はそのまま泊まるのが普通であったようだ。
これから推察されるのは通い婚、それもグラニィの方から訪問する形の通い婚である。だが残念ながらそれを証明する記録はない。ただパンナイズの業務日誌にはその年の秋に村長の孫娘に女児が生まれ、所長代理の名で祝い金を贈ったたという記述がある。
剣を携えて森の泉へと続く小道に向かうグラニィを、パンナイズがめざとく見つけて呼び止めた。
「物騒な物を持って、いったいどうなさったんです?」
グラニィは心の中で舌打ちをした。
パンナイズが頭の良い男だと言う事はグラニィはもう理解していた。相手の基本的な特性を掴むのに長いつきあいは必要ない。ましてやグラニィは部下の用兵に長けた指揮官である。そのグラニィの見立てでは、パンナイズに運があれば、いや「つて」さえあれば、すでに上級尉官、いや下級佐官の地位を持っていてもおかしくない人物であると踏んでいた。
つまり、下手にごまかしようがない相手だという事になる。
モテアの娘を見かけたので、いい機会だから話をしようと思って後を追いかけるつもりである事、森の奥の泉に行ったようだが、念のために武器を携えていた方がいいだろうと判断しただけで帯剣に大した意味は無い事を告げると、パンナイズは意味ありげな笑いを浮かべ、納得したようにうなずいた。
グラニィはその笑いを警戒した。思ってもいない意図を勝手に感じられても困るのだ。だから敢えて同道を促した。
「暇ならお前もついてくるか? 面識がないのでお前がいた方が話のきっかけが掴みやすいし、何より向こうも安心するだろう」
簡単に言えば後で要らぬ勘ぐりをされぬようにその場に同席してもらった方がいいという判断であったが、パンナイズは少しだけ思案してから首を縦に振った。
「そうですね。最近、見かけない人間が森にいるという噂もありますから、ここは用心棒って事で」
パンナイズはそう言って腰の短剣をポンと叩いた。
標準よりも短めの短剣を、パンナイズは常に腰に差していた。改めて剣を取りに戻る手間がない。パンナイズが少し思案していたのはちゃんとした短剣を取りに戻るかどうか迷っていたのであろう。
「何、武器は必要ないだろう。森で見かけた見知らぬ人間というのも、そのモテアの娘だろう」
何の根拠もない推理だが、グラニィはそう言うとさっさと森の奥に歩き出した。パンナイズはそれを見て慌てて後を追う。
うっそうとしたオオソケイの林は太陽の光を大幅に遮り、昼なお暗い。その林にまるで坑道のようにぽっかりと空いた穴のような道を、二人は無言で歩いた。庭続きの森の奥にある泉までは、徒歩で五分ほどの距離があった。
グラニィも時々訪れるその泉は、実のところ泉とは名ばかりの小さなもので、岩の間から涌き出た清涼な水がささやかな水たまりを作り、近くの小川に注いでいた。
海岸から続く砂地の地面は、オオソケイの丸い落ち葉が堆積して足裏に柔らかい感触を残す。一日に数回シャワーのような雨が降る為に適度な湿り気があり、さほど気を遣うまでもなく足音もあまりしなかった。
従ってグラニィは泉に辿り着くまでモテアの娘に気付かれないだろうと思っていたのだが……。
「いませんね」
パンナイズに言われるまでもなく、道の先にぽっかりと空いた泉があるちょっとした広場のような場所に、少女の姿はなかった。
泉に辿り着いた二人はきょろきょろと辺りを見渡したが、それらしい影も見えない。
「ひょっとして水浴びですかな」
泉の水はすぐ近くの小川に注いで海に流れ込んでいる。大した大きさのない川ではあるが、確かに水浴び程度は楽しめる。
「ならば邪魔をするのは無粋だな。話はいつでも出来る。戻ろう」
グラニィは川の方へ向かうパンナイズを制するようにそう声をかけて、自らはきびすを返そうとした。
だが……
「戻る必要はないよ、ゲイツ中佐。いや、今はゲイツ大尉と呼ぶ方が正しいのかな」
若い声だった。
だがそれは女ではない。男の声だ。
気配など全くなかった。グラニィも剣士の端くれである。ドライアドの上級将校に剣の腕前など必須項目ではないが、グラニィ・ゲイツという軍人はそれをよしとしなかった。剣は軍人の「たしなみ」であるという考えから、ツゥレフに来ても日課の剣技の稽古を欠かした事は無い。
ましてや未知の場所に帯剣してやってきたのである。さらに言えば人を探している最中にすぐ後ろに近づかれるまで一切気配を感じないのはおかしい。
つまりグラニィはその声の主に対して最大級の警戒を採るべきだと、とっさに判断したのである。
「誰だ」
「嫌だなあ、怖いし危ないから剣から手を離してくれないかな。ボクは大尉の敵じゃないよ。もっとも今は、だけどね」
若い男の声は落ち着いていた。グラニィは相手の言葉に惑わされる事なく剣を鞘から抜いた。
気を後ろに配りながらも、グラニィは味方……パンナイズの様子に目をやったが、二度目の驚愕がそこにはあった。
川の方へ向かおうとしていたパンナイズは、グラニィに背中を向けたままであった。
そう。「まま」であったのだ。
若い男の声とグラニィの会話はパンナイズも耳にしている。ならば振り返るなり行動を起こしているはずである。それがない。森に向かおうとした姿の「まま」で微動だにしていないのだ。
「ああ、うん。色々と面倒なので彼にはちょっとの間、固まって貰ってる」
固まって貰っている、という意味はわからなかったが、その言葉は声の主が特殊な能力の持ち主である事を示唆していた。そしておそらくそれは力の発動に詠唱が必要なルーナーではなく、フェアリーであろうという推測が成り立つ。
「もう一度たずねる。お前は誰だ? 私の名前を知っているという事は、何か目的があって私に近づいてきたのだろう?」
「ヤだなあ。ボクが誰か知りたかったら振り向けばいいだけじゃないですか。ボクは大尉を拘束したりしていないんだから」
若者の言うとおりであった。
パンナイズを見ればわかる。若者がその気になればグラニィ自身を同じ状態に出来たであろう。それをしないという事は話し合いの余地があるという事になる。
だがグラニィは本能的に振り返る事を拒んでいたのだ。そこには決して見てはならないものがある……本能はそう警報を発していた。
だがそう言われてしまっては振り返らぬわけにはいかない。
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