第三話 エルネスティーネの誘惑 2/3
表に出る性格が人一倍穏やかで人当たりが柔らかく優しいだけで、その本質は一国の王にふさわしい強く高い意思と不屈の魂を持つアルヴィンなのだ。
エイルがエルネスティーネに当初から心を開けたのは、そんなアルヴィンの気質を色濃く受け継ぎながらも、アルヴィンらしくない感受性の高さを併せ持っていたからであろう。
つまりエルネスティーネはエイルの態度を簡単に分析するだけの力と経験があったと言う事なのである。
だがエイルに対しては強い態度に出ない。いや、出られない自分がいた。
アプリリアージェに対する遠慮はもうしないと決めたエルネスティーネである。ティアナや他の者に対しても同様だ。
当然エイルに対してもアプリリアージェに対する時と同じ心の強さで立ち向かえるはずであった。
だが、口から出た声は気の弱い娘が自信なげにつぶやくようなそれだった。
「ああ。オレはほら、もうずっとあいつの側にいたから慣れてるんだろうな。まあ、あそこまで強烈なのはオレも初めてだけど。それにエルデの気あたりは、フォウの人間にはあまり効かないようなんだ」
エイルは丁度いい機会だと思い、ハイデルーヴェンでの一件について、補足説明をした。キセン・プロットという人間がフォウから迷い込んだ人物であるという事に併せ、エルデの気当たりにも怯みはするものの取り乱すようなことは一切なかったことも。
「そうでしたか」
「エルデが言うにはフォウとファランドールでは世界を構成する物質の一部が根本的に違うらしい。もちろん憶測だけどさ。でも精霊波っていうのはフォウにはないと思うし、あながち間違ってないように思うんだ」
「そうですか」
エルデの名前が出たのをきっかけに、エイルは自分の役目を思い出した。
エルネスティーネにエルデの正体を説明する事である。
エイルの目にはエルネスティーネはかなり落ち着いているように見えた。もう少し取り乱しているのかと思って気が重かったのだが、当のエルネスティーネはそんな事よりも何よりも自分が取り乱した事に対して恥じ入っているだけに見えた。
これなら話を切り出しやすいだろう……
淡々と語るエイルの話を、エルネスティーネは一通り黙って聞いていた。相づちを打つわけでもなく、質問を挟むこともなく。内容は驚くべき事のはずだ。だがエルネスティーネの態度からは、既に知っている話を聞いているかのような無感動な雰囲気が漂っていた。
「えっと……」
一通り話し終えたにもかかわらず、何も反応しないエルネスティーネに、エイルはさすがに違和感を覚えた。
「ある程度は予想していました」
ようやくエルネスティーネが告げたのはその一言だった。
「エルデのあの人間離れした美しさを見れば、今の話が全て本当だと信じられます」
「確かにエルデの姿は浮き世離れしてるかもしれないけど、でもそんなに素直に納得できるネスティはすごいと言うか、さすが王女様だなって感心すると言うか」
エイルがそう言って頭を書こうとした時だった。エルネスティーネはいきなりエイルの腕をとると、そのまま引き寄せるようにして抱きしめた。
ベッドの横に立っていたエイルは突然の事に体勢を崩し、そのままエルネスティーネの横に並んで座る格好になった。
「ネスティ?」
突然の行動に面食らったエイルはすぐにベッドから降りようとしたが、エルネスティーネは腕に力を入れて拘束をより強固なものにした。思い切りふりほどけば引き抜けたのだろうが、エイルはエルネスティーネの気迫に押されて動けなかった。
「怖いから」
エルネスティーネはエイルの目をまっすぐにのぞき込んで懇願した。
「まだあの時の恐怖があるんです。だからしばらくの間、こうさせて下さい」
そしてまた強くエイルを引き寄せた。
エイルは思わず救いを求めるような目で入り口を見た。
扉はもちろん閉じたままだ。自分で閉めたのだから間違いは無い。
そこでエイルは自分の行為に愕然とした。
なぜ?
誰に救いを求めようとした?
いや、なぜ救いを求める気になったのか?
エイルは鼓動が速くなるのを感じていた。同時に顔が熱を帯びる。
その時改めて認識したのだ。
閉ざされた空間に男女が二人きりでいる事を。
しかもベッドの上である。
それだけではない。エイルの腕を抱きしめたエルネスティーネは、引き寄せたエイルの胸に顔を埋めてきたのだ。
「ネスティ」
「少しの間でいいのです。しばらくすれば落ち着きます。だから……今はこうさせて下さい」
「い、いや」
エイルの声は自分でも恥ずかしくなるくらい上ずっていた。
エイルはもちろん木石ではない。エルネスティーネが自分に対して好意を持っているであろうことは気付いていた。その好意がどの程度であるかはさすがに計れはしないが、それでもいつも自分に笑顔を向け、気にかけ、側に居ようとする少女が、その相手に対して通常以上の好意を持っている事くらいはわかる。
エルネスティーネがエイルと話している時、普段よりも頬が紅潮している事も彼は知っていたのだ。
それがなくとも、ただでさえエルネスティーネは美しい少女なのである。そんな少女が腕をとり、まるで自分の胸で包むように抱きしめた上でエイルの胸にその小さな顔を埋めているのだ。
おそらく、いや間違いなく胸の鼓動の高鳴りはもう相手に知られているに違いない。
それはエイルが何を考えているのかをエルネスティーネがお見通しである事を意味する。
その上で、さらに密着を高めるように顔をすりつけてくるのだから、これはもうエイルとしては様々な選択を迫られている状況であった。
密着した部分から伝わるエルネスティーネの体の柔らかさと体温と甘い体臭は、蜜をまぶした凶悪な媚薬とも言うべき効果を持ってエイルの理性を削り取っていた。
そして……
エイルは自分自身との闘いになんとか勝ち残った。もっとも理性はかろうじてその骨組みを維持できているだけと言った状況ではあったろう。
ともあれエルネスティーネの背中に回そうと伸ばした手を引く事に成功し、このまま一生嗅いでいたいと思うほど芳しいエルネスティーネの香りから逃れる為に、顔を天井に向けて深呼吸をした。
「ネスティ……」
「何ですか?」
「この格好はさすがにヤバイって」
「ヤバい?」
「こんな格好見られたら、間違いなくオレ、ティアナに殺されちゃうよ」
「その時は私が守ってあげます」
「いや、そういう問題じゃなくて」
「ではどういう問題なのですか?」
「いや、さすがにこれは無防備すぎるって。オレだって……」
「『オレだって』 何ですか?」
エイルはエルネスティーネとのやりとりで確信した。
これがエルネスティーネの意思表示なのだと。
そもそもエルネスティーネはもう震えてなどいなかった。
会話の内容もそうだ。エイルの言わんとする事などはじめからわかっていてはぐらかしているのだ。いや、はぐらかしているのではないだろう。核心に誘導しようとしているのである。
「オレだって男なんだぞ、って言ってるんだ」
エイルはだから、強い調子でそう言った。
はっきりさせる方がいいと思ったのだ。
だが、それは浅考であった。いや、エルネスティーネの罠だったのだ。
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