第二話 嵐 2/3

 そう思った矢先の事であった。

 その日、いや、ヴォールでイオスにであった日からこっち、エウレイはツキに見放されているようだった。

「あ」

 小さな声がしたかと思うと、次いで

「ファーン!」

 ラウの呼び声が広い部屋に響いた。

 エウレイが顔を向けた先では、体勢を崩しかけたファーンをまさに今、ラウが支えたところであった。

 もちろん、その場に居た全員がファーンに注目した。

 そして誰もが次の行動……つまりファーンに駆け寄ろうとした時、ファーンの様子に異変が起こった。


「そこに《二藍》……いや、ラウはいるか?」

 それは間違いなくファーン・カンフリーエが発した言葉である。だがその口調がファーンのものではない事もまた、その場の誰もが認識していた。

「私です。しかし今は、その」

 事態をすべて把握していたのはラウ一人であったろう。だから彼女の声は極めて冷静なものであった。

「都合が悪いか? やっと繋がったと思ったのだがな」

「ご指示通り賢者エルデ・ヴァイスとは合流しています。ただ事情がわからぬ者が数名この場に」

「理解した。では始めに一つ答えて欲しい。君が言う『事情がわからぬ者』とやらの中に、自分の事を呪医だと名乗っているヒゲを生やしたアルヴはいないかい?」

 部屋の中は水を打ったように静まりかえり、ファーンとラウの声だけがやけに大きく響いていた。


 エウレイはこの時点でようやく事態を理解した。

(ツイフォン……しかもあの口調。この二人は『蒼穹』の子飼いか? )

 ラウはそんなエウレイを鋭い視線で縫いながら、イオスの問いに答えた。

「ハロウィン・リューヴアークと名乗るヒゲのアルヴが一人おりますが……」

「ほう。聞いてみるものだな。ラウ。ここのところの僕はかなりツイてるようだよ」

「はあ……?」

「彼は僕の大切な友達だ。事情がわからぬ者ではないんだよ、ラウ」

「え?」

 エウレイはその場の空気が一瞬で変わった事を肌で感じた。具体的に言えば、全員の視線が今度はファーンからエウレイに注がれたのだ。

「では問題は無くなったと考えていいかい? 《群青》……いやファーンの負担を考えるとあまり会話を長引かせたくはないんだ」

「はい」

 ラウはチラリとベックを見たが、他にも問題はあるとは言わなかった。その代わりに

「今しゃべっているのは、ファーンではなく三聖蒼穹の台です」

 そう説明をした。

 もちろん一同に対してである。

「ありがとう、ラウ」

 ファーンはイオスの言葉でラウをねぎらうと、口調を改めた。

「エウレイ」

「はい、ここにおります。猊下」

 エウレイは呼びかけに素直に応じた。もはやどうしようもないと観念したのだ。

 自分に注がれる強い視線も感じた。

「ラウの様子から察するに、君は僕の弟子にはまだ自己紹介をしていないようだね」


(本当にツイていない……)

 エウレイは大きなため息を一つつくと、ファーンを通じてイオスに返事をした。

「申し訳ございません。色々ありまして」

「色々、か」

「ですが、ある意味で手間が省けたとも言えます」

「なるほど。それで君は僕の期待には応えてくれたと考えていいのかな?」

「私の手柄というよりは偶然が重なっただけですが、結果としてはそういうことになります」

「わかった。ありがとう、エウレイ」

 イオスのねぎらいに、エウレイは思わず深く頭を下げた。

「では、彼には直接僕が話をしよう」

「御意」

「そこに居るんだね? エイル・エイミイ」

「は、はい?」

 いきなり自分の名前を呼ばれたエイルは驚きながらも素直に答えた。

「僕とした事が、君にはすっかり翻弄されたよ」

「はあ?」

 間抜けな言葉が口をついたが、無理からぬ事であろう。

 エイル本人は何も把握できていないのだ。

 だが、エイルよりも先に、いち早く状況を把握していた人物がエイルに代わって応じた。

「私がエルデ・ヴァイスです。ティーフェの王、イオス・オシュティーフェ。話は私が伺います」

 エルデだった。

 彼女は手を上げてエイルを制した上でそう言ったのだ。


「ラウ? エウレイ?」

 今度はイオスの側に混乱が移った。

 それもまた無理からぬ事と言えた。イオスはエイル・エイミイとエルデ・ヴァイスが同じ人物だという認識のままなのである。

 エウレイですら瞳髪黒色の少女を指されてそう説明された時には混乱が大きかったのだ。

「今の女の声の持ち主が、猊下が目的とされる方です。話せば長くなるようなので経緯は割愛いたしますが」

「なるほど。君の言う『色々あった』という意味を軽く考えすぎていたようだね。だがまあいい。私が話をしたい相手は《白き翼》だ」

「御意。すぐにでもお連れできるよう支度を」

「いや、それはいい」

 エウレイの言葉をイオスは途中で遮った。

「その話をしようと思って、再三ファーンに連絡を取り続けていたんだ」

「と、申しますと?」

「直接ここへは来るな。とりあえず君たちはエルミナへ行ってくれないか?」

「エルミナ、ですか?」

「エルミナにある私の屋敷で落ち合おう。とは言えすぐにこの場を離れる訳にもいかない事情があってね。君たちにはそこで少しばかり待って貰う事になる」

 普段のイオスは言葉の物腰は柔らかい。だがその内容にはおよそ弾力と言えるものがない。今の言葉もそうである。イオスはエルデの意思など一切聞く事もなく、ただ「自分が行くまでおとなしくエルミナで待て」と命じているのだから。


 エウレイは出かかった言葉をかろうじて押さえた。

 危うく「なぜです?」とたずねそうになったのだ。

 エウレイはイオスに二心ある事を知られてはならないのだ。不用意な言葉をイオスが聞き逃す事はないだろう。

 それよりもイオスがわざわざ自分からアダンを出るというのだ。その行為の意味をじっくり考えた上で次の手を打つべきであろう。

「日取りは追って連絡しよう」

 イオスは続けてそういうと、それまでの一行の滞在場所を告げてファーンへ意識を返した。


「ずーっっっっと、うさんくさいヤツやとは思てたけど、エウレイ・エウトレイカとはな……。いや、さすがにウチもびっくり仰天や」

 ツイフォンから解放されたファーンがぐったりしたままなのを見て即座に回復ルーンを使ったエルデが、振り返りざまにエウレイに向かってなじるようにそんな言葉を投げた。

 観念していたとは言え、さすがにまだ返す言葉をエウレイは探しあぐねていた。

「ほら見ろ、言わんこっちゃない。こういうことはスパっと話して『ゴメン』ですむんだよ。引っ張るからややこしくなるんだぜ、先生」

 すぐ横でベックが肩をすくめて見せた。

「何や、アンタは知ってたんか。ベックのくせに」

 エルデは意外そうにそういうとやや目を吊り上げてベックを睨んだ。

「おいおい、頼むからその顔で睨むなよ。背筋が寒くなる」

「ほう。ベックのくせによう言うた。その言葉忘れんようにな。『何で俺、あの時あんな大それたこと言うてもうたんや〜』って一生後悔させたるさかい」

「え? えええ?」

「まあええ。そんな事より、黙ってる場合やないやろ? 何か言う事があるんちゃうんか、そこの偽医者」

 エルデは視線をエウレイに戻した。

 そして指輪を精杖に変えると同時に額に隠された第三の目を開いた。

「ウチの前でいつまで黙(だんま)りを決めてるつもりや? そもそもたかが大賢者の分際で頭が高いで、偽医者。いや、大賢者銀の篝

 声と同時にドンっという音が響き、その場に居た全員の足下に衝撃が走った。

 エルデが精杖ノルンで床を強く突いたのだ。

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