第二話 嵐 1/3

「いや、何というかスゲえとしか言いようがないな」

 ベック・ガーニーがため息混じりにそうつぶやいた。

「そうだな」

 隣にいたエウレイ・エウトレイカは相づちを打ったが、両者の感心が果たして同じ事柄に対してのものかどうかはいささか怪しかった。

 少なくともエウレイはミエリッタの儀式には大した興味を持っていなかったからだ。エウレイの興味のほとんどはピクシィにしては長身の娘、すなわちエルデが目の前で見せた、大げさな視覚効果のあるルーンに向いていた。

 もっとも瞳髪黒色のハイレーンは、意識してあの派手な効果を演出したわけでは無いのだろう。その証拠に、部屋中に広がった白い羽のような物を目にした本人自身が驚いたような表情を浮かべていたのである。

(あれが過剰なエーテル反応だとすると、力を完全には制御出来ていないという事か? )

「ん、何だよ?」

 独り言が思わず口から漏れていたのだろう。ベックの問いかけにエウレイは苦笑した。

「いや」

 そして頭を掻きながら自嘲気味につぶやく。

「話を切り出すにはいい機会だが、どうしたものかと思ってな」


 そう。

 それは独り言をごまかす台詞ではあったが、実のところエウレイの正直な心情でもあった。

 エウレイは己の正体を明かし、エルデとアプリリアージェ一行を抱き込もうと目論んでいたのだが、想定外の事態の為に、その機会を失っていたのだ。

 理由は、エウレイがさりげなく向けた視線の先にあった。

 そこにはアルヴの女性二人組が居た。

 ラウとファーンである。

 二人はエウレイを知らない。何しろ《銀の篝(しろがねのかがり)》は長くヴェリタスに顔を出してはいないのだから。もちろん、ルネ・ルーと逃避行をしていた為だ。

 同時にエウレイも二人と面識があるわけではない。だがハイデルーヴェン城が吹き飛んだ廃墟で全員が再集結した際にアプリリアージェが隠さず二人の正体を明かした。

 一方エウレイはハロウィン・リューヴアークという偽名のままで紹介された。


 ルネが居ない事は、当然ながら疑問としてエウレイにぶつけられた。

 だがエウレイはその際にごまかしたのだ。

 嘘はついていない。善意で解釈するならば、説明を大幅に省いたと言うべきであろう。

「所用でアダンの知人のもとにいる」

 元気である事、もちろん一行にとても会いたがっていた事も脚色として付け加えた。どちらも間違いではないはずだからだ。


 エウレイの計算では、ラウとファーンがそこに存在する背景を把握しないままで自らの正体を明かす事は、作戦遂行上、不確定要素となる可能性が大きすぎた。

 だがヴォールへの移動中は、初めて「神の空間」を張った疲労で意識を失ったエルデにファーンとエイルがつきっきりになっており、そのエイルにエルネスティーネが寄り添うような形で同様にエルデを見守り続けていた。一方アプリリアージェは船がハイデルーヴェンを離れると「しばらく起こすな」と宣言をして眠ってしまったのだ。


 ハイデルーヴェンからヴォールへは、ドライアドの軍船を使った一行であった。

 アキラの持つ公爵符の力は、一艘の軍船を調達する事すら可能なものだったのだ。本当にアキラが、それも朝一番にハイデルーヴェンのドライアド府に出向いて、船の用意が調ったと知らされたのはそれから一時間後であったのだから、驚くべき速さである。

 海軍籍、それも自ら操船できるル=キリアのアプリリアージェとファルケンハインは一行の中で一番驚いていたであろう。

 そもそも軍籍の船を一般人に貸し与えるなどあり得ない事なのだ。しかも係留している船を出帆可能な状態にまで準備を整えるのに要する単位は「日」であり「時間」ではない。

 エスタリアの公爵符が持つ計り知れない力をまた一つ垣間見たようなものである。

 驚きはそれだけに収まらなかった。

 アキラはさらに複数の軍船、それも河川航行の船としては最大級の輸送船を複数動員して、ハイデルーヴェンの地下で避難しているアルヴ族をそれで脱出させる事を軍に約束させたというのだ。

 それはアキラによるエルネスティーネへの共感あるいは賛同から生じた行動であった。


 アキラの説明ではエスタリア公爵符の力という事になっていたが、実のところどちらもアキラの立場を使った強引なものだった。

 スプリガンの総司令官という役職は超法規的な命令を出す事が可能なのである。もちろんその範囲は限定されるが、避難民の脱出用に軍船を短期供出させる事については大きな問題はなかったのであろう。


 ヴォールからハイデルーヴェンまで船を戻す為には、どうしても数名の軍人を乗船させなければならなかった。船を供出する基本的な条件であったから、それは受け入れざるを得なかった。もっともアプリリアージェはそれについては一切難色を示さなかった。

 ただし、乗り込んでくる人数は尋ねてきた。

 アキラとしても自分が信用できない人間を多く船に乗せる気は毛頭なかったので、結局乗船してきたのは若い将校の男女一人ずつ、つまり二人だけであった。

 アキラの計らいもあり、病人がいる客室にはあまり出入りしないという気遣いが徹底され、一行のほとんどは二人の将校の姿を見る事はなかった。加えてコンサーラであるラウがルーンによる結界を張って客室内の音を外に漏らさぬようにしていた。

 将校に聞かれずに船室で話をする事は可能な状況にはあった。しかしエウレイにとって自称旅の音楽家というアキラは正体不明の要注意人物である。

 一行にはさらにエウレイにとって想定外の完全な部外者が二人いた。

 一人はメリド・ジャミール。もう一人がゾフィー・ベンドリンガーである。

 ゾフィーはロマン・トーンに話を通した上で、アプリリアージェが同道を求めたのだ。

 目的は二つ。

 一つは麻薬に蝕まれている体を治療する事。これはエイルの独断であり、意識のないままのエルデの了解はとっていなかった。

 もう一つはこれから向かおうとしているアダンの影響力が強いウンディーネ北部を通過するにあたり、ベンドリンガー家の人脈が役に立つ可能性があるとの判断であった。

 困惑していたゾフィーではあったが、ロマンの勧めとエルネスティーネの強引な、まるで脅しか命令のような誘いに負けた格好で同じ船に乗り込んでいたのである。


 要するに今までエウレイが想定する理想的な場面、機会がなかったのだ。

 とは言えそもそも一行はヴォールに向かっていたわけであり、陸に上がってから改めてその機会を自ら作り出そうと決めたのである。

 ヴォールでの落ち着き先は決めてあった。それが丘の上のマーリン正教会の無種教会であり、その中でも特別区域と呼ばれる地下の一角だったのだ。

 エウレイにとって都合の良い事にゾフィーはとりあえずヴォールにあるベンドリンガー屋敷に顔を出した後に合流する事となり、その護衛としてアプリリアージェの指名によりアキラとメリドが同道していた事であった。

 条件が整ったように見えたのだが、好事魔多し。落ち着くまもなくエイルとエルデが何やら不穏な様子でアプリリアージェを別室に連れ込み、出てきたと思えば今度はいきなりミエリッタの儀が執り行われたのだ。

 誰かがエウレイの思惑を知っていたとしても、ここまで見事に出鼻をくじき続ける事は不可能だと思われた。


 だがこれでさすがに一段落ついたはずであった。

 むしろこの機を逃してはならないと思われた。ぼやぼやしていてはこの後何が起こるかわからない。のんびりしている時間はないのだ。

 ラウとファーンについては、策を弄せずに礼を尽くしてしばらく場を外して貰うしかない。エウレイのたっての頼みとあらばエイルやアプリリアージェはまず間違いなく意向を汲んでくれるに違いない。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る