最終話 ラクジュ街道の戦い 6/6

「『双黒の左』からお前達に伝言を頼まれている」

 ヘルルーガの言葉に、イブキとクシャナは思わず顔を見合わせた。

「伝言、ですか?」

 クシャナが尋ねた。

「二度は言わない。質問も受け付けない。いいな」

 ヘルルーガはそう前振りをすると、短い伝言を二人に告げた。

「そのまま言う。『自分は離脱して単独行動をとる。お前達は主の下でせいぜい励め』 以上だ」

 短い沈黙を破ったのはイブキだった。

「あの」

 ヘルルーガはイブキをじろりとにらむと吐き捨てるように言った。

「お前達の隊長はいったい何様だ? たかが少佐の分際でこの私に伝令をやらせるとはな」

 その言葉が本心からではない事はイブキ達にもわかっていた。特にクシャナはヘルルーガの部隊に所属していただけに、多少なりともヘルルーガの性格を知っている。ヘルルーガがわざわざそういう言い方をするのは、本心から腹を立ててはいない時である。

「いや、国王直属部隊であるル=キリアは優先特階がありますから、少佐は通常部隊だと大佐扱いですから、准将との階級差は一つだけです。多少の頼みは聞いてもおかしくない関係……じゃあなくて、それだけっスか?」

 クシャナはヘルルーガの憤然とした顔をまっすぐ見てそう尋ねた。

「ああ、それだけだ」

「いや、そりゃおかしいですよ。単独行動をとる理由は? 理由があるでしょ? 准将だっていきなりそんな伝言を頼まれたら、普通はそのへんも尋ねますよね?」

 イブキがやや気色ばんでそう問い詰めたが、ヘルルーガは眉一つ動かさなかった。

「くどいぞ、サンピン。誇り高き王国軍の将軍が、薄汚れた殺し屋風情の行方などに興味を持つものか。私を軽く見るな!」

「な、なんだとう?」

「よせ、イブキ」

「だってよ」

 クシャナはいきり立つイブキの前に腕を伸ばして制した。それを見てもヘルルーガはそれまでと同様に微動だにしなかった。

「ベーレント准将」

 クシャナはイブキの肩を押して少し下がらせると、自らはヘルルーガの前で海軍式の最敬礼をした。

「言ったはずだ。私はただの伝言役だぞ」

「いえ。そうではありません。准将が自ら口にした戒めを翻さない事はぞんじあげております。従って伝言の件についての質問はいたしません。ですが別件で一つだけ教えて下さい」

「なんだ?」

「フリストは……我らが命を賭しても惜しくない気高く誇り高きダーク・アルヴの戦士は……准将にその伝言を伝える時、どんな顔をしていましたか? 彼女は笑っていたでしょうか?」

 ヘルルーガはその言葉を聞くと虚を突かれたように目を見開き、唇を振るわせた。

「お願いします。准将が見たままを教えていただきたい」


 クシャナの頭越しに見えるヘルルーガの顔を見て、イブキは思わず唇を噛んだ。

 女傑と呼ばれるヘルルーガ・ベーレントは唇を噛み、顔を歪ませていた。そして目尻からは再び涙の筋が頬に伝わっていた。

「笑っていたとも」

 自分は泣きながら、ヘルルーガはそう言った。

「いい顔をしていた」

 イブキはその場に膝を突いた。そしてそのまま拳で地面を叩いた。

「ありがとうございます、ベーレント准将」

 クシャナはそう言って再び最敬礼をすると、そのまま空を見上げた。竜巻が雲をつれていったのだろう。その辺り一帯は青空が広がっていた。

「どういう事ですか?」

 地面に膝を突きうつむいたままで、イブキがヘルルーガにそう声をかけた。

「確かに一日に二度も竜巻を出した事なんてなかった……でも……」

「察しろ」

 ヘルルーガは短く、しかし強くそう言ってイブキの言葉を遮った。

「泣き言は私が許さん。そもそも事情はお前達の方が詳しいはずだ」

 ヘルルーガの答えは決定的であった。

 クシャナの予感が、イブキの恐れが、当たったのだ。

「顔を上げろ。胸を張れ。そして誇るがいい。お前たちの隊長はそれに価する。……自分の部隊をほぼ壊滅させたこの私と違ってな」

 それだけ言うと、ヘルルーガは踵を返した。だがそのまま立ち去る事をル=キリアの二人は許さなかった。

「准将」

 クシャナに呼び止められたヘルルーガは振り返らずに答えた。

「准将はやめろ。昇進後に実戦がないまま准将に留まっているが、どうにもその呼び方は腰掛けの感じで居心地が悪い。私は今回、形はどうあろうが敵を排除し国王陛下のお命を守った。その功労で、ノッダに付けば間違いなく少将だ。だから将軍とでも呼べ」

「では、ベーレント将軍」

 ヘルルーガはその呼びかけに今度は振り向くと、いきなり怒鳴った。

「冗談でも私の事を将軍などと呼ぶな!」

「いやいや、そりゃないでしょ!」

 怒鳴られたクシャナに代わってイブキがそう言って噛み付いたが、もちろんクシャナに制された。

「お前たちには冗談は通じないようだな」

「え?」

「いや、どこが冗談なのか全くわからないんスけど?」

「この体たらくで昇進してもうれしくはない。むしろ私は罰を受けるべきだ。何もできないまま、千以上の兵をいたずらに失ったのだぞ?無能もいいところだ」

「いえ。将軍はよく持ちこたえたと思います。我々は全滅していても不思議ではなかった」

「お前達の隊長が私の命令を聞かず、勝手な事をしたから助かっただけだ」

「あの人を止める事ができるのはただ一人、あの人自身でしょう。この場合、将軍がたとえル=キリアの総司令、いえシルフィード王国の国王であったとしても、フリスト・ベルクラッセは命令に背いたに違いありません」

 ヘルルーガはまだ何かを言おうとした様子だったが、開きかけた口を閉じてため息を一つついた。

「亡くなった兵達の分まで、私は生きて陛下のお力にならねばならん」

「恐れながら申し上げるなら、むしろここでああいう存在と一戦交えた事は、ノッダ軍にとって必ず益となりましょう」

「そうだな。肝心な所で敵の力を見誤るよりは、よほどいい」

「それでこそベーレント将軍です」

「だから将軍はよせ。私のことはラグでいい。心の友は私をそう呼ぶ」

「……」

「……」

「さっきはお前達を侮辱するような言葉を使ってすまなかった。私はああいう物言いしかできぬ人間なのだ」


 クシャナはヘルルーガにフリストの行方を尋ねたが、彼女は答えなかったと言う。

 これがノッダに伝えられる「ラクジュ街道の戦い」の顛末である。

 シルフィード王国最後の首都となったノッダの王宮に残されていた記録によると、敵はエッダを本拠とする反乱軍と記されている。明確にシルフィード王国近衛軍とは書かれていない。当然ながらサミュエル・ミドオーバの名前すらない。ましてやミンツ・ノルドルンド率いる新教会の僧兵部隊などという記載は微塵も見られない。

 残念ながらエッダ側の資料は全て消失しており、この戦いについての違う視点での記述がない為にノッダ側の記録を元に推理するしかないわけであるが、後世の歴史学者の研究では概ね文中で紹介したような経緯でこの戦いはわずか数時間で終息したものとされている。

 イエナ三世を護送していた王国軍をここでは便宜上ノッダ軍と呼ぶことにするが、記録にあるラクジュ街道の戦いにおけるノッダ軍の損失は兵士約五千人。新教会の僧兵部隊は複数存在していたようだが、推定総計約五百人全員が死亡とある。

 ちなみに記録にはフリスト・ベルクラッセをはじめとするル=キリアの兵士の名前はない。

 だがフリストがこの戦いでイエナ三世を守って戦った事は間違いないと思われる。

 証拠というにはいささか感傷的に過ぎるかもしれないが、新教会の僧兵部隊の主力が全滅したとされる古戦場ヴァイナリーを見下ろす高台に、訪れる人もいない小さな碑が存在する。古ぼけたその石には次のような碑文が刻まれている。


『双黒の左 この地より新たな旅に出発す』


 もちろん墓碑ともとれるその碑に対する信憑性については諸説ある。そもそも火葬が定められているシルフィード王国では遺体が墓碑の下に埋葬されている事はない。既述の通りアプリリアージェとフリストはしばし混同されており、埋葬地や墓と呼ばれるものも複数存在している。この碑も数多い後世の捏造品である可能性を否定はできない。

 だが、この碑が他と違うのは、人の眼に触れない場所にあるという事である。そのせいで、この碑文が発見されたのはごく最近の話である。偽物であるとすれば、捏造した人物は相当なひねくれ者であろう。ここは素直に考えるべきだと言える。わざわざ誰にも見つからない場所に置く必要を考えればわかることだ。

 とは言えここで歴史的遺物の信憑性を書き連ねることは物語の主旨ではない。

 この物語の中に登場するフリスト・ベルクラッセという名のダーク・アルヴの戦士は、星暦四千二十七年黒の一月、アプサラス三世の大葬の日に、その短い人生を閉じた。

 彼女の二つ名は双黒の左。

 歴史に名高い戦闘部隊、ル=キリアにその人ありと言われ恐れられた、小柄な風のフェアリーである。

 付け加えるならば、彼女を最後に戦場に送り届けたという親衛隊の兵士の名は、どの記録にもない。


 この「ラクジュ街道の戦い」から約一週後に、後に「月の大戦」と呼ばれるファランドール史上最も多くの犠牲を出した大規模世界大戦が、ドライアド王国の宣戦布告によりサラマンダ侯国内に於いて勃発した。

 時に西暦四〇二七年黒の一月二十九日の事である。




テイルズオブファランドール「合わせ月の夜」 第二部『深紅の綺羅』 完


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