第三部 黒き帳(くろきとばり)
第一話 ミエリッタ 1/5
港湾都市ヴォール。
港から一直線に伸びた大通りがある。
歩き出してしばらくの間は平坦なその道は、猥雑ながら相当に賑やかな繁華街を抜ける辺りから、徐々に勾配を増しつつそのまま丘へと向かう。
港全体を見下ろす事ができる格好の場所である丘の頂上。
そこにはひときわ大きな鐘楼があった。
ヴォールに入港する船舶は、眼前にそびえるその大鐘楼を見ると、ようやく旅の終わりを実感する。動かぬ大地を踏みしめる自らの姿を想像し、早く安堵のため息を吐こうという、やや浮ついた雰囲気に包まれるのである。
ヴォール大鐘楼とは、正確にはマーリン正教会鐘楼棟という。ヴォールの正教会は無種教会の一つで、当時相当な規模を誇ったとされる。
マーリン正教会はいくつかの階級に分けた教会を組織的に運営しており、無種教会というのは広域本部のような位置付けとなっていた。すなわち地域の全協会を統括する、本拠地であるヴェリタス直轄の教会である。
無種教会の最高責任者は教主長と呼ばれ、周りにある第一種教会の長である教主を束ねる立場にある。
当時の記録を紐解くと、ヴォール大鐘楼にはザール・フラットという名のデュナンの教主長が居たことがわかる。
物語はそのヴォール・マーリン正教会の地下にある一室から始めることにしよう。
そこは外回りと礼拝堂の偉容を知るものにとって、同じ建物にあるとはにわかに信じられないほど小さな、そして質素な部屋だった。
壁は全て白い漆喰で固められ、洒落っ気や飾りの一つもない。天井と床は節目勝ちの板張りであった。
部屋には木製の長いすが二つ、向かい合わせに置かれているだけで、卓もない。質素なだけでなく、殺風景でもある。
日はまだ高かったが、地下の部屋にはもちろん窓はない。
その暗い部屋を照らしているのは発光石の一種、ルナタイト。ルーンによって大気中のエーテルを変換して光り続ける特殊な触媒鉱石である。
発光石にはセレナタイトと呼ばれるものもあるが、こちらはあらかじめ封じ込まれたエーテルを発光させる仕組みのもので、封入されたエーテルが尽きればただの石になる。一方のルナタイトは半永久的に使えるが、その希少さ故に異様とも言える高値で取り引きされており、一般的にはあまり使われない。
質素な小部屋ですらそのルナタイトを使えるヴォール・マーリン正教会は当然ながら特殊な例と言えた。
だが規模が大きく発光石が大量に必要な大規模な教会ほど、セレナタイトではなく半永久的に使えるルナタイトの方がむしろ安価だと言うことも出来る。しかも教会内にはルナタイトを使えるルーナーがふんだんにいるのだ。
そのルナタイトに照らし出された部屋には、三人の男女がいた。
一人と二人。向かい合う格好でそれぞれ長いすに腰掛けている。
「改まって話があるというから期待して来てみれば、その話ですか」
それは小柄な少女の声である。アルヴでも三人は並んで腰掛けることができようかというほど大きな長いすに、一人で座っている。
微笑みながら静かな調子でしゃべるその少女はダーク・アルヴ。
皮膚の色は褐色で、微笑む瞳は緑である。ファランドール人では珍しい黒髪は、ダーク・アルヴの一部にだけ見られるものであった。勿論、ピクシィを除けば、である。
そしてその少女の黒髪の間からのぞく耳先が少しだけ細く尖っていた。
緑色の瞳とやや細くなった耳先。それは純血種のアルヴ族の証しである。
「どうしたらいいでしょう?」
そのダーク・アルヴに問いかけたのは、向かいの長いすに座る一人。黒い髪と黒い瞳を持つ少年だった。姿形を見れば一目瞭然で、彼はダーク・アルヴではなかった。
「エイル君はどうしたいのですか? どうすればいいと思いますか?」
「それは……」
エイルと呼ばれた少年、すなわちエイル・エイミイはそう問い返されて口ごもった。
その様子を見て微笑むダーク・アルヴの少女、すなわちアプリリアージェ・ユグセルが重ねて問いかける。
「それとも、あなた達は発動の呪言(じゅごん)を知っているのですか?」
エイルは力なく首を横に振った。
「いえ」
アプリリアージェは、今度は視線をエイルの隣の人物に向けた。
座ると椅子の座面より下まで垂れる長く艶やかでまっすぐな黒い髪と、エイルと同じく黒い瞳を持つ少女である。大きく、そして切れ長の目と整った顔立ちは、その濡れるように輝く瞳のせいで美しさよりも妖しさを醸しだしていた。
「エルデの力をもってしても、解呪(かいじゅ)は出来ないのですか?」
問いかけられた瞳髪黒色の少女はもちろんエルデ・ヴァイス。
彼女はアプリリアージェの問いかけに、まずは小さくため息をつき、少したってからこう答えた。
「出来るか出来へんかで答えるんやったら、出来る」
その答えを聞いたエイルの表情の変化を、アプリリアージェは見逃さなかった。エイルは顔を歪ませると少しだけ目を伏せ、唇を噛んだのだ。
心に浮かぶ苦しさを隠し切れぬほどの「代償」が必要なのだという事はすぐにわかった。そして同時に過去に一度、エイルとエルデがその代償を背負う事になった事件があった事を、アプリリアージェは思い出した。
「なるほど」
短くそれだけ言うと、アプリリアージェはうなずきながら小さな吐息をついた。
「解呪できても、それはエイル君がお望みの結末にはならない、という事ですか」
「あんなの、出来るとは言わないだろ?」
これはエイルだった。もちろんエルデに向けた言葉である。
「それでもウチなら出来るっちゅう事実を……一つの選択肢として持っとけっちゅう事や。ただ……」
「ただ?」
これはアプリリアージェがエルデにたずねた言葉である。
「ただ、ティアナ・ミュンヒハウゼンという人格は保持できへん。それだけの事や」
投げ出すようにそういうエルデの言葉はアプリリアージェの予想通りのものであった。 だから目尻を一層さげてにっこり笑って、こう言った。
「そんな事をするくらいなら、ティアナを亡き者にするほうが簡単で楽ですね。何よりエルデの力でなくても誰にでもできますし」
エイルはその言葉を聞いて、思わず立ち上がった。
「リリアさん、何てことを!」
「違いますか?」
「人の命なんだぞ! それを『簡単で楽』なんて」
「落ち着け、外に聞こえるやろ」
エルデはそう言ってエイルの手を引っ張ってもう一度長椅子に座らせた。
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