最終話 ラクジュ街道の戦い 5/6

「これは……もはや人と人の戦いとは呼べぬな」

 竜巻が上空に消えゆくのを見ながら、ヘルルーガはぽつりとつぶやいた。

 彼女はイエナ三世が大葬で見せた竜巻が、実はフリストの力である事を知っている人間だった。それがとても効果的な示威行動であることは認めていたが、敵味方が入り交じる実際の戦場では意味のないものだと侮っていたのだ。

 だが、戦況によってはこれほどの威力を見せる事を目の当たりにして、驚くよりもむしろ強い危惧を持った。

 それが思わず口をついた。

 たとえばこの力を海戦で使ったらどうなるのか?

 ヘルルーガにはフリストの竜巻がどの程度遠くから操れるのかは知らなかった。だがそれでもあの威力があればたった一人で何十艘、いや何百艘もの軍船を壊滅する事は造作もないことだろう。

 陸戦においても、同様である。白兵戦に入る前に竜巻で敵を一蹴すれば終わりである。

 また、その力は籠城にもうってつけだろう。兵糧が尽きぬ限り、敵に落とされる心配はない。

 言い換えるならば、フリストのような能力者が敵に一人いたとしたら、味方はどうなるのかという事である。

 ヘルルーガは十年前の千日戦争における猛将として、用兵の巧みさと大胆さでいくつもの戦場で功績を挙げて地位を上げてきた人物である。

 だが、フリストの力を初めて見て、自分がいかに幸運なだけだったのかを思い知っていた。彼女が率いた軍にも、対した敵にも、多くの高位フェアリーと呼ばれる人間はいた。だが「兵器」と呼んだ方がいいほどの力を持つ者などはいなかったのだ。

 敵のフェアリーには同じフェアリー部隊をぶつけて均衡をとる。同じくお互いにルーナーに対する備えも似たようなもので、その均衡を前提として敵味方はそれぞれ戦略や戦術を練るのだ。それがベーレントの知る戦い、いや戦争であった。

 だがそこに突出した兵器が現れたら一体どうなるのか?

 何もできずに、圧倒的な力にただ蹂躙される気分は一体どんなものなのだろう? それが敵であればまだよい。だが自軍に対して神の槌とも呼べる力が振るわれたとしたら、軍を率いる者として胸を張って死ねるのか?

 弱いから負ける……戦術が劣っていたから敗走する……それは軍人として苦いながらも呑める、いや呑まねばならぬ罰であろう。しかし戦術や戦略が戯れ言にすら届かぬ程に堕する、この圧倒的な力は、人同士の戦いで使って良いものなのだろうか?

 

 ヘルルーガは今し方まで自分たちを苦しめていた敵のルーナーを中心とする強襲部隊がいた場所を複雑な気持ちで眺めていた。

 道路上の石や砂と共に街道沿いの多くの樹木をも巻き込んだ竜巻は、出現から消失まで、おそらく二分もなかったであろう。半径五百メートルほどをえぐり取られたようなその場所には、今は誰も何もなかった。

 圧倒的な勝利である。だがヘルルーガはその勝利を微塵も喜ぶ気持ちにはなれないままであった。部隊の兵士達は歓声を上げ、その口からはイエナ三世をたたえる言葉が途切れない。純粋に勝利をかみしめている。

 ヘルルーガはイエナ三世という言葉を耳にしてある事を思い出した。

 伝説である。

 それは大昔の戦いにまつわるもので、たった一人のエレメンタルが一国の軍隊を全滅させたという話である。

 似たような話はいくつもある。それはエレメンタルが時には賢者というルーナーに変わるだけで、それらの英雄箪は見方を変えれば、人間にはどうしようもない程強大な力が、一方的に大虐殺を行ったという記録なのである。

 それらの話は大げさな誇張で英雄を祭り上げるための、いわば宣伝のようなものだろうと思っていた。そんな今までの自分は相当な楽天家、いや脳天気な愚か者であるとヘルルーガは思った。自嘲ではない。心底自分を罵っていたのである。

 誇張や誇大広告でも何でもない。圧倒的な力は存在するのである。

 特異と言ってしまえばそれまでだが、「ただのフェアリー」であるフリストの力ですら「あれ」である。しかもフリストの体調は万全ではない。万全ではないどころか、最悪と言ってよかった。すなわち今回繰り出した竜巻は彼女の最大ではないのだ。それが証拠にエッダの上空に出現させた竜巻はまるで全天を覆うばかりの大きさがあった。ヘルルーガはその目でその竜巻を見たし、何も起こらないことは承知していながらも、その圧倒的な存在に背筋を凍らせもした。

 そのフリストでさえ、エレメンタルではない。フリストなど足下にも及ばない程の力をエレメンタルは持っているのであろう。

 もちろんヘルルーガはエレメンタルの力を見たわけではない。しかし、少なくともフリスト程度の力であろうはずもない。

 かつて様々な陣営が、血で血を争いながらもエレメンタルを自軍の力にすべく探し合い奪い合ったと言う。

 ばかばかしい、いや軍人として恥ずべき行為だと思っていたそれらの話を、ヘルルーガは今なら全て肯定できると感じていた。肯定どころか、積極的に動かざるを得ないだろう事も。

 高位のルーナー、高位のフェアリー。どれも精霊波を力に変換する能力を持っている。それはいわば自然の力を殺戮に変換する装置である。

 そんなものがこの世に存在していいはずがない。それはほとんどの割合を占めるルーナーでもないフェアリーでもない普通の、ただの人間の存在を根本から脅かすものなのだ。


(で、あれば……)

 ヘルルーガはそこで自分の胸の奥を垣間見て、ぞっとした。

 今思った事。危うく具体的な言葉になりそうだった思いに吐き気をもよおした。

 なぜなら、彼女はこう考えてしまったのだ。

『全てのフェアリーとルーナーを殺してしまえばいい』

 そしてその感情を生み出すものが、自分の中にある恐怖と憎悪だという事も理解した。それは相手こそ違え、かつての同胞が犯したあのピクシィ狩りと同じ感情だった。

 そしてそれはヘルルーガの思った「普通の人間」にも当てはまるのだという事に思いが移った。

(ならば……ならばアルヴはどうだ? 寿命も身体能力も二倍以上と言われるアルヴをデュナンが自分たちと同じ存在だと思うだろうか?)

 デュナンがアルヴを嫌悪する根底にピクシィを絶滅させた忌むべき種族だからという理由があるのは間違いなのだ。自分たちよりも強い存在を、人はだれしも憎み恐怖し、排除したがる。それがあこがれの裏返しだとしても。だがそこには根底よりも深い根源としての拒否が存在する。

 それらが全て腑に落ちたヘルルーガは、このあと間を置かずに勃発するであろうドライアドとシルフィードを軸にした大きな戦いに、絶望を感じずにはいられなかった。

 勝っても負けても、ファランドール上から人間の種はまた減る事になるだろう。そしてそれはもう、誰にも止められないだろうと。


「ベーレント准将!」

 竜巻が去った戦場を微動だにせずにらみつけているヘルルーガに声をかけたのは、クシャナだった。

「我らの隊長の姿が見えませんが、ご存じありませんか?」

 誰かが自分の側に近づくのを全く気がつかなかったヘルルーガは、驚いた顔を声の主に向けた。

 クシャナはそのヘルルーガの顔を見て眉根を寄せた。

「准将……一体どうされたのです?」

「あ、いや」

 ヘルルーガは言われて初めて自分の表情に気付き、慌てて陸軍の将官服の袖で自分の顔をぬぐった。無意識のうちに涙が流れていたのだ。

「へえ。血も涙もない女傑だという噂はガセみたいっスね」

 からかうようにそう言うイブキを、ヘルルーガがにらみ据えた。だがそのまま罵倒するわけではなく、すぐに目を閉じて、低い声で一言告げた。

「実は私も驚いている」

 その言葉に、イブキはヘルルーガから目をそらすと、肩をすくめた。

 ヘルルーガは二人についてこいと合図をして、部隊から少し離れた街道脇の木陰に案内した。

 だがそこには誰も居ない。

「我が部隊にも……お前達にはほど遠いが、風のフェアリーがいる。中には耳のいいやつもいるだろう。風上のここなら大丈夫だろう」

 それはつまりわざわざ部隊から離れてまで隠さなければならない話があるという事である。ある予感にクシャナとイブキは表情を硬くした。

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