最終話 ラクジュ街道の戦い 4/6

 イブキとクシャナの能力。すなわち風のつぶてと鞭の攻撃により、都合二十人程のルーナーを倒したはずであった。倒した護衛の兵士はその五倍程度であろうか。

 だが彼らはそれよりも次々に詠唱されるルーンを止める事に追われていた。大人数が時間差で繰り出すルーンは本当に厄介だった。さらに彼らを狙って容赦なく矢の雨が降ってくるのだ。

「きりがねえなあ」

 攻撃と離脱。それを繰り返していた。

 だがついにそんな弱音がイブキの口をついた。

「俺たちって、カッコいい事を言って出てきたんだよな」

「ふん。俺は知らんが、確かにお前はそんな事を言っていた」

「え、俺だけ? お前は部外者?」

 軽口を叩いてはいたが、そろそろ旗色が悪くなってきたことを当然ながら二人とも理解していた。ただ、撤退の指揮はヘルルーガに一任していた。この場を放棄して先に逃げるわけにはいかない。それが戦場における兵というものだ。

 これがル=キリアの作戦であれば、間違いなくとうに撤退命令が出ていただろう。強襲を専門とするル=キリアは短時間で結果を出す。もちろん作戦によっては長期戦を想定したものもあるが、どちらにしろ不意を突いて先手を取る事が前提なのである。

「どっちみち、今更弱音を吐くわけにはいくまい?」

 クシャナは繰り出す空気の鞭の柄の部分に相当する短剣を握りしめると、傍らの相棒にそう声をかけた。

「別に今さらベーレント准将やあの小賢しい顔をした副官にバカにされてもどうってこたあないが、『三つ編み』の耳に入ると、何をされるかわかったもんじゃないからな。めったなことは言えないぜ」

「まったく同感だ」

 二人は顔を見合わせると、ニヤリと笑いあった。

「まだ行けるな?」

 クシャナが声をかける

「もちろんだ。ただし、本音を言うと次が最後だろうぜ」

 イブキは頷き、そう答えた。

「それは本音ではなく弱音と言うのだろう?」

「認めるが、みんなには内緒だぜ?」

「貸しにしておいてやる」

「ちょっと待てよ、俺だけかよ?」


 フェアリーの力を使う事は、体力だけでなく精神力を削ぐ。もちろん使う量や威力に比例するわけである。

 強い力をもつフェアリーは、それでもその力の使い方に無理がなく、相対的に下位のルーナーよりも持久力は高い。

 だが限度はあった。

 次の攻撃が終わった時点で撤退の合図がなければ、その次にはもう十分な移動速度を保てないだろう。とはいえ、彼らはみすみす自分たちの命を無駄にするという選択肢は持っていない。撤退することになるだろう。

 それはベーレント隊の敗走をも意味する。強化ルーンをかけた上で、準備万端整えて追ってくる敵を再び止めることは難しい。敵はこちらにルーナーがいないことを十分わかっている。動き始めた破壊部隊は、容赦なくイエナ三世とミリア達のいる場所になだれ込む事になろう。

 つまり彼らは使命を全うできなかった事になるのだ。

 アルヴの血が流れるイブキとクシャナにとって、それがどれほどの屈辱であるかは言うまでもない。

 その無念を先取りしたかのように、二人の最後の攻撃は熾烈を極めた。イブキが放つ空気の礫はその数を増し、強化ルーンがはがれたままでルーンを詠唱しているルーナーのうち、三人の座標軸をずらし、二人の詠唱を中断させた。

 クシャナが振るう空気の鞭は、唸りを挙げて兵士の足を払った。強化ルーンがはがれた兵は、鞭の直撃を受けて足の骨が砕け、悲鳴を上げてその場にうずくまる。続けざまに放たれた鞭は二人のルーナーをなぎ倒し、その座標軸を移動させた。

 ルーンの中断により、敵の部隊の中でルーン光が光った。いわゆる「ルーンの逆流現象」である。高位の者は耐えきる可能性があるが、中位以下のルーナーでは回避できないとされている。

 力を振り絞った二人のル=キリアの最後の総攻撃は、これまでの中で最高の戦果をあげた。だが敵もただ手をこまねいているわけではない。おびただしい矢が二人の風のフェアリーに襲いかかる。とはいえイブキとクシャナはそれでもまだ普通の兵士が放った矢を避けるには十分な速度と、それに見合う動体視力を持っていた。

 しかし、そこまでだった。

 なんとかルーンの射程圏外にたどり着いたイブキが振り返ると、敵の部隊と自分居る圏外ぎりぎりの位置の中間あたりで膝をつくクシャナの姿が目に入った。

(まずい)

 そう思った時には既に遅く、動きを止めた的をめがけて数本の矢が放たれていた。

 イブキは、体を反転させて彼がその時に出せる最大の速度でクシャナを助けに走った。もちろん普段の速度ではない。疲労はもうどんないいわけをも認めないほど進んでいたのだ。

 反転して飛び出した時にイブキの頭の中では理性が「間に合わない」と叫んでいた。もちろんそんな事は言われるまでもなく経験上理解していた。それどころか共倒れになる事を確信さえした。

 だが、イブキ・コラードの体は彼の意識下にはなかった。精神の反射で動いていたとでも言おうか。ともかく理屈や理性がその行動の原動力でないことは間違いなかった。

 イブキがクシャナの肩を掴むのと、矢が彼らに届いたのは、ほぼ同時だった。

「くっ」

 絶望が思わずイブキの目をつぶらせた。

 だが次の瞬間、彼は想像もしていない衝撃によってその場から強制的に移動させられた。相当な距離を飛ばされ、そのまま地面を転げ回る。

 思わず目を開けて受け身をとり、身を低くして様子を見た。

 打撲で体のあちこちが痛い。だが矢は刺さっていない。

「大丈夫か、イブキ!」

 すぐ後ろでクシャナの声がした。

「ああ……」

 だが、視線は敵の中隊から逸らさない。そこは訓練された兵士である。あくまでもその時点で最優先すべきは敵の状況なのだ。

 乾いた街道には砂埃が舞っていた。それは彼らの視界を少しだけぼかしていた。砂塵の向こう側に見えるのは敵の中隊。

「おい!」

「ああ」

 クシャナの声にイブキは頷いた。

「引くぞ」

「りょーかい」

 クシャナの合図でイブキは迷うことなくベーレント隊へ向かって駆けだした。


 クシャナとイブキは敵の中隊の状態を一目見て状況を理解したのである。

 竜巻……

 黒々とした動く牙のようなそれが敵の上空で舞っていた。

 まさに今、獲物に飛びかかろうとしている巨大な竜巻の存在は、イブキとクシャナにとってはすなわちフリスト・ベルクラッセが戦場に現れた事を示すものだったのだ。

 矢が体に達する寸前で体ごと持って行かれたのもフリストによる突風だと彼らはすでに理解していた。

「矢だけ狙ってくれればよかったのだがな」

 かなりの擦過傷と打撲を受けたはずのクシャナがこぼす。だがその声は明るい。上機嫌な声だと言い換えても良いほどである。

「あの人にそんな小器用な真似ができるなら、とっくに世界を征服してるね」

 返すイブキの声も軽い。

「まったく同感だ」

 二人は顔に笑みがこみ上がってくるのを押さえられなかった。大事な仲間が、彼らの隊長が蘇生したのである。そして危機一髪、彼らと、そしてイエナ三世の窮地を救ったのだ。

 彼らの後方では様々な悲鳴と怒号が聞こえていた。


 フリストが生んだ竜巻の威力は想像を絶するものだった。

 上空に忽然と現れた中型の竜巻は、あっという間に敵の頭上に降りた。彼らはその存在に気付く前に、荒れ狂う大気の力によって重力を奪われていた。圧倒的な暴風の前ではいかなる強化ルーンも意味をなさなかった。

 一定以上の衝撃を無効化するルーン、一定回数の攻撃を受け流すルーン、どれも連続する衝撃の前に、あっという間にその効力が許容を超えた。

 皮膚を硬化させるルーンをかけていたとしても竜巻が巻き上げる力の前には何の意味もなさない。座標軸固定の為に地面に足の一部を埋没させるルーンを駆けていたものは、哀れな事に竜巻に足を引きちぎられた上で軽々と舞い上げられていた。

 兵も馬もあらゆる武器が、黒い柱の中に吸い込まれ、遙か上空へ放り上げられていった。

 そして……しばらくして街道から遠く離れた場所へ落下するのだ。どんな強化ルーンをかけていようと、脳や内臓は耐えられないだろう。表面は硬化ルーンで無傷でも、体の中はぐちゃぐちゃになって居るはずなのだ。

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