最終話 ラクジュ街道の戦い 3/6

 戦況はこう着していた。

ルーナーの詠唱を完全に封じることはかなわなかったが、攻撃ルーンの射程外にいたベーレント准将の部隊に被害はなかった。

 このままであれば消耗戦になる。そうなれば分断された後方の部隊、すなわち数万の軍隊が彼らに追い付いた時点で雌雄が決するはずである。そこにはフェアリーだけでなく、ルーナーも相当数いるはずであった。

 だが……。

 ベーレント隊はそれまでもちそうになかった。

 矢が尽きたのだ。

 ベーレント隊にルーナーが居れば、まだ時間は稼げたはずであった。

 ルーナーが施した強化ルーンを破る為に最も有効なのはその強化ルーンを無効化するルーンである。これは下位のルーナーでも使える簡易なルーンで十分な効果があるという。

 だが、ルーナーを持たない場合、その強化ルーンを破るためには物理的な攻撃を続けるしかないのである。

 そこでベーレント隊とル=キリアの二人は連携攻撃を行った。

 ル=キリアの二人が持つフェアリーの能力を使い、物理的な攻撃を与え続ける。手持ちの矢に限りのあるベーレント隊は、敵中隊から突出するルーナーではない兵を集中的に狙うというものである。

 ル=キリア組のうちイブキは、空気の「つぶて」を放てる風のフェアリーで、その威力を使い強化ルーンを剥がした。彼の能力は広範囲には不向きで個人攻撃用である。したがって、ルーンを詠唱するルーナーに向けて連続的に放つことで強化を剥ぎ取り、その時点で詠唱を妨害できる。彼のつぶてはデュナンの大人が、握りこぶし大の砂袋を強く投げつけた程度の威力がある。詠唱を止めるにはおつりの方が多いくらい、十分な威力であった。 一方のクシャナの武器は空気の鞭であった。しならせ、勢いをつけることで破壊力を増すことができるのも物理的な鞭と同様である。

 ル=キリアは対ルーナーの戦い方は知っていたと言える。相手が一人や二人であれば、イブキとクシャナの二人だけでも勝利は可能であったろう。いや、相手が無防備の状況であったなら、さほど時間がかからず全滅できたはずであった。バランツで十人以上のルーナーを抱えていた「蛇使いのアヨネット」率いる中隊を全滅させた時のように。

 だが、すでにその能力を使って臨戦中の相手に対しては容易に攻撃ができるわけではない。

 強化ルーンという厄介な鎧を身にまといつつ、時間差で次々とルーンを仕掛けてくる敵に対し、高い攻撃力を持つとはいえ、たった二人だけでは限界があった。彼らとて力を無尽蔵に使えるわけではない。ルーナーがルーンを延々詠唱し続けられないのと同様である。


「あと何人だ?」

「正確な数はわからん」

 持ち前の移動速度を生かし、できるだけ近接して精度の高い攻撃を仕掛け、敵の攻撃を受ける前にルーンの射程外に逃げるという戦術を交互におこなっていた二人のル=キリアにも、さすがに疲労の色が漂い始めていた。

 むしろ二人とも体力のあるアルヴだからここまでもっていたといえるだろう。

 敵は兵士もルーナーも同じ兵装で、ルーナーだけの数はわからなかった。だが、全体でわずか三百人人足らずの部隊に対して、そのルーナー率は予想された十数人よりは遙かに多いと思われた。

 敵の部隊は全員が同じ服装で身分や階級の違いが全くわからない。従って肝心の司令官の特定ができない事が彼らとしては最大の誤算であった。

 まずは敵の指揮系統を分断、もしくは指揮者そのものをつぶす事がル=キリア流の戦い方である。普段であれば、下調べや綿密な調査をした上で目標を特定した後に行動を開始するのが彼らの戦術なのだが、今回は完全に後手からの行動だ。彼らの流儀ややり方が当てはまらないのは当然と言えた。



「もう、じきに着きます」

 親衛隊の兵士は、抱きかかえた黒髪の小さな戦士に声をかけた。

 しばらく会話がなかった。そしてすでにフリストは親衛隊の兵士に自ら掴まることもやめていた。兵士といえば、抱いているダーク・アルヴの体から体温が感じられないのが気になっていたのだ。

 かけた言葉通りとはいかず目的地まではあと少しあったが、それでもそう声をかけずにはいられなかった。

 浅い息をしていたフリストは、兵士の声に反応して薄く目を開けた。

「そうか……」

「今の私で何かお役に立てることがありますか?」

 兵士は会話を途切らせることにおそれを感じた。もう一度目を閉じたら、二度と開かないのではないかと思えてならなかった。

 兵士の言葉に、フリストは少し間をおいて答えた。

「ひとつ頼みがあるが、聞いてもらえるか?」

「私に出来ることならば喜んで。いえ……できぬことでも遠慮無く。必ずやり遂げてお見せいたしましょう」

 兵士は途中で口調を変えた。後半は努めて声高に、多少芝居がかったような言い回しでそう答えた。

 青ざめたフリストの顔が少しほころんだ。それは兵にとっては小さな幸せであった。

「アンセルメ少尉といい、お前といい、キャンタビレイ大元帥閣下は人材に恵まれ過ぎているのではないか? 近衛軍の大元帥はどうなのだろうな」

「副官殿はともかく、私に対しては過分なお言葉です。このスズメバチの旗章を掲げるに足る戦士なのかどうかも怪しいものです」

「謙遜も行き過ぎると嫌味になるぞ。いろいろあって、ル=キリアの人間は人を見る眼だけはある」

「恐れいります。して『双黒の左』がこの私に頼みとは?」

「言っておくが、お前がすでに口にしたさっきの言葉は、お前の矜持だと受け取ったぞ」

「もとより」

「では無理を承知で頼む。これは命令などではない。私のわがままだ。そもそも私はもうシルフィードの軍人ではないのだからお前に命令などはできん」

「お互いの所属などこの期に及んで意味は持ちますまい。そもそも親衛隊の兵士に二言はございません。なんなりと」

「そうだな。おぬしの方が肝が据わっている。では私も遠慮はすまい」

 その時二人を載せた馬が、おりからの横風でやや進路を乱された。だが親衛隊の兵士はそれを物ともせず、馬に負担をかけぬようにかるくやり過ごすようにして持ちこたえさせた。


 しかし……その冷静な手綱さばきとは裏腹に、フリストの頼みを耳にした騎上の兵士は思わず声を上げていた。

「そのような事!」

「怒鳴るな。頭に響く」

「これが怒鳴らずにいられますか!」

「誇り高き親衛隊の兵士よ。今更『嫌だ』などとは言わせんぞ」

 小さい声ながらもフリストはきっぱりとそう言い切った。兵士の誇りである「親衛隊」という、つまりは一番痛いところを突いて。

「しかし、これでは話が違う」

「二言はないと言ったはずだろう?」

「いや、しかし……」

 兵士は唇を噛んだ。だが、フリストの決意は硬かった。

「観念しろ。ただしこれに懲りて、今後は相手をよく見てから約束することだな。そもそも内容を聞かずにこの『双黒の左』と約束したことがお前の敗因だ」

「少佐は!」

 親衛隊の兵はいつしか涙声になっていた。

「こうやって騙された人間の気持ちになった事がおありか?」

「悪いが……騙された事などないのでお前の気持ちは理解できんな」

「少佐は……人を騙すのはお上手なようですが、嘘は下手ですな」

 フリストは兵士の顔をチラリと見上げると、すぐに目を伏せて小さく笑い声を上げた。

「ふふ。そうかもしれんな。だが、こればかりは聞き届けて欲しい」

「私は……いえ、我が一族は子々孫々にわたり、あなたの事を恨み続けるでしょう」

「それは光栄だな。長く私の名が残るということだ。これほど名誉な事はない」

「そうですとも。今日この時のこの誉を、我が一族は絶対に忘れません。我がアルヴとしての矜持に誓って」

 親衛隊の兵はそう言うとフリストを抱く腕に力を入れ、馬に軽く鞭を放った。

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