第九十話 油断 2/3
次にミリアは、ある意味核心を突いた話に移った。
エッダにいるイエナ三世が風のエレメンタルではない、という話である。
さすがにリーンは俄に信じられなかった。だがミリアはさらに驚くべき事を口にしたのである。イエナ三世が風のエレメンタルでないばかりか、アプサラス三世の実子エルネスティーネ・カラティアですらないという話であった。要するにエッダで王冠を戴いているのは赤の他人だという話である。
リーンは荒唐無稽な話だと一笑に付そうとした。彼はイエナ三世の姿を、まだ幼い王女時代からよく知っていた。国民の前にその姿を露出する事が比較的多い姫であったのだ。
だが、ミリアはそれこそが戦略だと言い放った。
反論を口にする間も与えられず、リーンは彼が最も信頼する人物、すなわちガルフ・キャンタビレイ王国軍大元帥の口からミリアの話が全て真実である事を告げられる事になった。リーンは初めてそこで自分の知り得ぬ大きな伏流がこの世界に流れていることを受け入れざるを得なかった。そして自らの置かれている複雑で奇妙な立ち位置に焦燥感を覚えた。
思惑は違えど、ミリアの口から語られたのは自国の大きな二つの陰謀である。
目的が知りたい……リーンがそう思えば、未知の事柄を受け入れる姿勢ができる。何しろ自分の常識だけで世の中が成り立っていないことを自覚してしまったからである。
相当以前からエルネスティーネに偽物が用意されていた事は衝撃的ではあったが、不思議とだまされたという悔しさはこみ上げてこなかった。
ましてやそれが王女ではなくエレメンタルの保護という、アプサラス三世の高潔な意思の元に設定されたものだと知らされるにいたり、全てを全面的に肯定する事に、もはやためらいはなかった。
剣を能くする戦士とは言えなかったが、リーンもまたアルヴの気質を色濃く受け継いでいたのである。
何より現在イエナ三世を名乗る人間の素性を知らされた事で、彼の記憶がそれに当てはまったのだ。荒唐無稽だと思っていた不確かな扉は、そこにある鍵穴に小さな鍵を差す事で明確な形をリーンに見せることになった。
イース・バックハウス。
リーンはバックハウス家最期の一人が幼くして病死した事をよく知っていたのである。カラティア家に極めて近い血筋である事も知識として持っている。それにルーンの力を添えれば「変わり身」を作るのは簡単だと思えた。ましてや幼い頃から相手を研究し合って同じ部屋で寝起きするとなれば、持っている情報やその仕草に至るまで補完し合い、共有することも可能であろう。
ミドオーバ近衛軍大元帥の謀反の心と、その本人が関わっているエルネスティーネの「変わり身」の存在。
この二つの鍵があれば、アプサラス三世急逝の疑惑は一つのところに行き着く。加えて戴冠にあたり「イエナ」という名を選んだ事が意味するものも。
もともとリーンが持っていた漠然とした疑惑にこれほど綺麗に合致する要素はなかったのだ。
リーンがそれらの前提を受け入れた事を確かめたミリアは、次にファランドールの生い立ちを語って聞かせた。ミリアは「歴史の勉強」という言葉を使ったが、それはむしろ「価値観の総入れ替え」を強いられる拷問のようなものだった。
ミリアが話をする間、フリストは終始落ち着いていた。それは既知の事柄ばかりだからであろう。教えられ、説明され、すべてを納得したからこそ自発的にミリアの手伝いをしているのだ。忠誠を誓った王が倒れたからといって、国を捨てるようなアルヴはいない。だがミリアの話を信じるならば彼の元で闘いたいと考えるのはむしろ自然のように思えた。フリストがリーンたちに告げたように、一度死んで新しい命を得たのだという話は、それがたとえ真実であろうと比喩であろうと、後ろめたさをぬぐい去る為の拠り所になったに違いない。
ではガルフはどうであったか?
彼はミリアの話の半分程度を受け入れる事ができた。そもそも表の歴史以外の「事実」をそれなりに伝え聞き、エルネスティーネの「変わり身」計画の数少ない共謀者という立場にもあったから、ミリアの話を信じる下地はリーンよりも整っていたに違いない。
イース・イスメネ・バックハウスを変わり身にする事を提案したのはサミュエル自身なのである。
そういえばイースの両親も急死だった事をガルフは思い出したと言った。当時は不幸な事故だと思っていたが、不自然だと思えばいくらでもそう思える。最初からそれもサミュエルの計画だと考える事が出来るのだ。もちろん今となっては本人に直接尋ねるしか方法がない。だが、確実に疑いは深くなっていった。
バード庁が今ほど秘密裏な存在になったのもその頃からだとガルフは言った。名目はもちろん変わり身の保護で、高位ルーナーの部門を強化・機密化する事でそれらを一部の人間だけの秘密に留めるという大義があった。
バード庁の責任者をサミュエルが兼務したのもまさにその時からで、エルネスティーネの変わり身計画を補完する為の措置として、シルフィード王国のバードの中でも最も能力の高いルーナーであるサミュエルがその忍に着くという流れは極めて自然であった。
だが、事がいわゆる神話時代の話に至ると、さすがにリーンと同じ様な反応になった。ミリアが当たり前のように語るそれらの話はまともな見識を持っている人間にはおよそ信じがたい、いやまともな価値観を持っているからこそ受け入れがたい内容だったのだ。
だが、それでも彼らはミリアのいう事を呑み込む事にした。ミリアの話した歴史を丸呑みしたわけではない。ミリアという人間の言葉を信じる事にしたのである。
それはミリアの次の一言が決め手になった。
『ミドオーバ大元帥は、ボクと同じ本を持っている可能性があるんですよ』
ミリアは一通りの話が終わると、なぜそんな話を自分が知っているのかという種明かしをする必要があった。つまり、ファランドールの成り立ちに関する情報の出自は全て一冊の本に端を発する事を告げ、その上で、そう言ったのだ。
世界に四冊しかない、得体の知れない人物が記した信じられないような内容の本。
曰く付きのその本を手にする事が許された人物はたったの四人。そのうちの一人がミリア・ペトルウシュカ。そしてもう一人が誰在ろうサミュエルであると言うのである。
確かにミリアの話を聞くとサミュエルは相当以前から周到に準備をしていたふしがある。リーンもガルフと「そういえば」と思う事が次々と記憶から蘇っていた。
ガルフはサミュエルの昔を知っている人間である。二心がない国王の僕(しもべ)としてアプサラス三世の前王であるウナー二世時代から近衛軍大元帥の座にある文字通り国家の中枢と呼べる人物である。その人物が世界の成り立ちを知ったために、今まで自らのすべてを捧げていたシルフィード王国という国家をも蹂躙するような価値観の転換があったとするならば、ミリアの言うことはまんざら的外れではないのかもしれない。
だが、それだけではサミュエル・ミドオーバの「目的」はわからなかった。だが、とにかくサミュエルが何かを焦っているのは間違いがない。計画を綿密に進めるつもりであれば、あの時期にアプサラス三世を暗殺し、ノッダに居るガルフに疑惑を持たせるような真似をしたことが腑に落ちないのだ。彼の立場であれば、六翅のスズメバチの旗を掲げる親衛隊をガルフ共々一網打尽にする事などは容易であったろう。
ミリアはしかし、サミュエルの目的までは知り得ないと言う。ミリア自信もサミュエルが動き出したからこそ、「対抗上」自らの目的準備を前倒しにして動き始めたと言うのだ。
リーンとガルフがそこまで納得した時点で、ミリアは最後にこう言って一連の話を締めくくった。
「さすがに僕にも彼の目的はわからない。でも、ミドオーバ大元帥を脇で固める人材を思い起こしてみれば、それは予測のための鍵になるんじゃないのかな?」
そこまで言うとミリアはガルフとリーンを見比べながら言葉を切った。二人はそれぞれシルフィード王国の組織図を頭の中で思い浮かべているに違いなかった。
だが、少し待っても二人の口からは何も言葉は発せられなかった。
ミリアは苦笑しながら解答を告げた。
「ほとんどがデュナンだよ」
まさにその一言が決め手になった。
自分たちが想像しているよりも、ひょっとしたら問題は悲惨な方向に行く可能性を感じたのだ。
「公爵。私はあなたの言うことをすべて信じる事にした。簡単に言えば『無条件降伏』だ」
ガルフはうなるようにそう言った。
無条件降伏……
リーンもまさにそう感じていた。ミリアの話を否定する材料が彼らにはないのだ。翻ってミリアの話には物的証拠は少ないものの、説得力という最大の材料が揃っていた。しかもその最大の材料が彼らの同胞であるはずのサミュエル・ミドオーバの反乱。そして「同胞」が「同胞ではない」と突きつけられた事実。
そもそもドライアドの一貴族がシルフィード内部の、それもごく一部しか知らないはずの重要項目を知っている時点で……いや、リーンですら知らない国家の「影」の部分を知っているミリアを否定する事など出来なかった。
だからこそ、リーンにはどうしても知っておきたい事が一つあった。
「一つだけわからない事があります」
リーンはミリアにそう声をかけた。
「あなたはなぜエルネスティーネ様の『変わり身』の事を知っていたのですか? それは『本』に書かれている事項ではないはず。大元帥の話ではその事実を知る者は片手にも満たぬと言うではありませんか」
リーンはそう言うと、ガルフに視線を移した。ガルフは首を横に振った。自分は話してはいないという合図だ。
「ああ」
リーンの質問に、ミリアはさも当たり前という風にあっさりと答えた。
「そんなの、簡単さ。だってボクは本人から『変わり身』だって聞いたんだから」
さらにミリアは続けた。これから話す計画の基本は既にイース扮するエルネスティーネ、いやイエナ三世と話は出来ているというのだ。
ガルフとリーンにとって、おそらくその日一番の驚きであったろう。
「彼女の寝室で結構長く話をさせてもらったよ。ついでに、仲良くなって絵も一枚描かせてもらった」
もはやリーンには挟むべき言葉が見つからなかった。いや、むしろ開いた口がふさがらないとはこのことであった。
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