第九十話 油断 1/3
「ここまで来ればもう大丈夫でしょう」
一際大きな馬にまたがったガルフ・キャンタビレイはそう言うと、手綱を少し引いて速度を緩めた。
「ご立派でした。不詳このガルフ、大いに感銘いたしましたぞ」
馬が並足まで速度を落とすと、ガルフにしがみついていたイエナ三世の手から力が抜けた。
緊張の糸が切れたのだろう。一度脱力すると今度は自分自身をも支えられなくなり、そのまま落馬してしまいそうなところを、ガルフがなんとか支え起こした。
「ありがとう……」
イエナ三世はそう言ったものの、その顔は真っ青で、もう体に力が入らないようだった。ガルフは手を上げて後方に合図を送ると、ゆっくりと馬を止めた。併走していたアルヴ兵の馬がそれぞれ左右の脇を固めると、そのすぐ後に馬車が近づいてきた。
エッダ郊外の森。
出城宣言をしたイエナ三世一行はエッダの城塞を抜けるとそのまま馬を走らせ、一気にそこまでやってきていた。
イエナ三世を囲むガルフの親衛隊は速度を上げたまま先行し、後方の部隊の速度を遅らせる事で追っ手との間に王国軍による分厚い壁を築いていたのである。
ガルフがその場所で速度を緩めたのには訳があった。少し開けたその場所は格好の休息場だったのだ。
「ごめんなさい。力が入らないのです。それに『あれ』はぴったり合わせて下さったからこそであって、私の力ではありませんし……」
「陛下が謝る事などございませぬ。それに謙遜など無用です。本当にご立派でした。竜巻が発生した時のサムのあの顔、今思い出しても痛快です。簡単に言えば『溜飲が下がった』ですな」
ガルフはそう言うと、小柄なアルヴィンであるイエナ三世を軽々と抱きかかえたままで六頭立ての比較的大きな客室付き馬車の中へ入った。
それを見て、二人が後に続いた。リーン・アンセルメ少尉とフリスト・ベルクラッセであった。
「このままですみません、体に力がはいらなくて……。本当に情けないですね。膝の震えも止まらなくて、まるで自分の体ではないようです」
極度の緊張から解放された反動で、イエナ三世はぐったりしていた。体に力が入らないのはもちろん、膝が笑うのを押さえられない。腕も指も小刻みに震えたままだ。喉はからからに渇いており、外の音が聞こえにくい。自分の声すら他人の声のようで、それも遠くから聞こえた。
イエナ三世のいかにもすまなそうな声に最初に答えたのはフリストであった。
「申し訳ありません。我が主(あるじ)は人に無理をさせるのが趣味のようなものでして……失礼します」
フリストは断りをいれるとイエナ三世の膝を優しくさすり始めた。
「それは趣味でなく悪趣味というものですな」
これはリーンである。
「まったくだ。だが儂はフリストの竜巻にも大いに感心した」
ガルフの言う竜巻とは、大葬の際、風のエレメンタルであるイエナ三世が場を威嚇する為に発生させたあの竜巻の事を指している。
「ええ。あれには私自身が驚きました。話には聞いておりましたがあそこまで恐ろしいものだとは思わず、危うく表情が崩れるところでした」
イエナ三世がガルフの言葉を継いでフリストをいたわるように声をかけた。
リーンも大きくうなずいた。
「打ち合わせ通りとは言え、ああも見事に思い通りに現れると誰も陛下以外の人間が竜巻を操っているとは思わないでしょう。からくりを知っている私でさえ、あの瞬間に陛下がまさに巨大な風の力を使っていると錯覚してしまいました」
「あれこそがサミュエルを混乱に陥れた決定打であったな。フリストよ、まったくお前の新しい主のペテン師振りには感心させられる」
ガルフの声は久しくリーンが聞いた事のないくらい、上機嫌であった。無理もない事であろう。ここまではまったく「手はず通り」なのである。
リーンは安堵のため息をついた。ここまで来ればこその一息である。そう思ったとたん、今まで肩に相当力が入っていた事を自覚した。
自分自身に苦笑すると、リーンは思わず「あの時」の事を思い出した。同じようにノッダに向かう馬車の中の一コマである。そう、突然現れたミリアとフリストによって命を拾ったあの晩の事である。
夜のラクジュ街道をノッダヘ向けて走る馬車の中にいたのは、ガルフ・キャンタビレイとリーン・アンセルメ。国王直属の遊撃部隊「ル=キリア」のフリスト・ベルクラッセ。そして他国の公爵であるミリア・ペトルウシュカの四人であった。
バランツを目前に反転した親衛隊、その中でも六翅のススメバチの赤い旗を掲げる快速馬車の中のその四人によって、イエナ三世の救出作戦が企てられたのである。
ミリアはガルフとリーンに、エッダにいるイエナ三世をノッダに連れてきて匿(かくま)うだけでは駄目だと解いた。
まずは、世界的にはまだ認知されていないイエナ三世の存在感を確立する必要があった。それも相当に強く、である。
そして出来るならばやや拙速に見えるサミュエルの計画に対し、何らかの打撃か混乱の種をまいておきたいという思惑も告げた。
とは言え今回の遷都宣言はミリアだけの計画ではなかった。シルフィードの法律に精通していたリーンという優秀な知恵袋の存在なくしては成り立たなかったであろう。
ミリアはガルフのみならずリーンも含めたノッダ側の全面協力を引き出す為に、彼の知るファランドールの歴史の裏側をそれなりの時間をかけて披露した。それはリーンをして「知らなければ良かった」と言わしめた内容であった。
ミリアが語る話のうち、前半については当時のシルフィードの裏側をもっともよく知るガルフ・キャンタビレイという検証役の存在と相俟って、リーンにも疑いを入れる余地がなかった。
巧妙なミリアは、時系列に話をつなげるようなことをしなかった。まずは近いところにある「常識」を覆すところから始めた。ル=キリアが派遣された「ザルカバード文書」の罠の話が最初の謎解きだった。検証役は当事者であるフリスト本人である。
ザルカバード文書に記されていた全ての庵は、サミュエル・ミドオーバが配下のバードを使った「呪陣(じゅじん)」と呼ばれる強力な精霊陣であった。中に踏み入れた者を遠隔操作の攻撃ルーンで倒す為の仕組みを持つ罠である。
庵に施された呪陣の恐ろしいところは、視覚では一切それとわからない事、通常の精霊陣と違い、それは正多角形もしくは円ではなく、いかなる感知ルーンでも見破れない仕組みになっているところであった。言い換えるならばそれほどの特殊な精霊陣を構築できる人間は極めて限られるという事である。
呪陣の構築が普通のバードでは無理であろう事は、ルーナーではないリーンにも容易に理解出来た。では誰が設置したのか? となると、消去法で簡単に絞り込まれるのだ。
シグ・ザルカバードの偽の庵に施された呪陣は誰にでも反応するわけではない。ある程度の力を持つフェアリー、それも風のフェアリーのみに感応するように調整されていた。そこに該当する人間が陣に踏み込むと、その場所にある呪陣と、別の場所にある対となる呪陣が反応し、空間を超えて両者の場が接続する仕組みになっていた。
だからこそ各国の捜索隊は「庵」を見つけてもただの空洞と見なしたのだ。
なぜなら呪陣はそもそも特定の人間「だけ」狙ったものだったからである。
特定の人間……すなわちル=キリアである。
ル=キリアの一員であるフリストはまんまとその罠にはまった。そしてその庵の仕掛けを知ることになった。空間と空間を結ぶ仕組み。それが呪陣の単純な機能であった。
フリスト率いるベルクラッセ小隊は、庵と繋がった空間、つまり「向こう側」を目撃していたのである。歪んだ空間を通して目にしたもの、それは十数名の人間であった。フリストの知る限り、それはシルフィードのバード庁に所属する高位のバードのみが着る服だった。
シルフィードでも機密事項となっている上位バード達は、外部には姿や名前は秘匿されていた。要するに目撃はしたものの、フリストでは人物特定は出来ないという事である。
状況把握をする間も与えられず、ベルクラッセ小隊は遠隔地から複数のバードによるルーンで完全に動きを封じられ、反撃の隙すら与えられず全滅したのである。
ミリアがフリスト達と出会ったのは全くの偶然であった。
ザルカバード文書の存在をいち早く入手していたミリアは、フリストとほぼ同時に偽の「庵」に到着した。一足違いで庵に到着したミリアが見たもの、それはル=キリアのベルクラッセ小隊の無残な姿であった。
仮死……とはミリアは言わなかった。フリストは自分の横にいたシーレン・メイベルの最期を目にしていたから、あれで仮死状態だと言われても首を振るしかなかった。動きを止められた後に後ろから飛来した短剣で心臓を貫かれ、鮮血が互いの体を朱に染め上げていく一部始終を目にしていたのだ。同じようにシーレンも他の隊員のその姿を見たことであろう。彼ら自身がその道の専門家である故にわかるのだ。それは間違い無く即死を意味する負傷であるということが。
ミリアが使ったのは「生き返らせた」という言葉だった。方法やその他については笑って「ボクの持つ能力だ」としか語らない。
ミリアはしかし、その話を手短に切り上げた。ミリアの能力についてあれこれ議論する事が目的ではないからだ。
その話は、リーンが持っていた漠然としたサミュエル・ミドオーバ近衛軍大元帥に対する不信感と同調することになった。
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