第八十七話 ニームの選択 1/6

「つまり、こういう事です」

 周りを近衛軍の兵士達に囲まれた上、抗議の叫びも封じられて怒りの矛先を「身内」に向け、その鬱憤を発散しようとしているドライアド国王名代、すなわちマルク・ペシカレフ公爵に、フェルン・ペトルウシュカが、今起こった事の顛末を説明していた。

 

 大葬は突然終わった。

 イエナ三世の「エッダからの退場」とともに。

 あっけにとられたとはまさにこのことであろう。

 要するにイエナ三世は突然遷都宣言をしたかと思うと、壇上を降り、辞任したはずの大元帥を今度は王国軍の受け入れ役に任命し、そのままエッダの王宮を後にしたのである。

 まさに着の身着のまま、である。荷物らしい荷物と言えば、頭に頂いた古めかしい王冠と、儀式用の短剣のみであった。

 侍女や側近といったいわゆる「女王守護」の誰一人、イエナ三世に付き従う間もなかった。


 イエナ三世とガルフ・キャンタビレイ侯爵が乗る騎馬が回れ右をしてその鼻面をエッダの大西門に向けベオラ大通りを目指して進むのを見届けると、ヘルルーガ・ベーレント准将の合図で王国軍が動いた。近衛軍とイエナ三世との間に兵隊の壁を作ったのである。

 もちろんそこで衝突が起こるということはなかった。

 王国軍は手に武器を持たず両手を後ろに回した状態で並んで人垣をつくっていた。デュナンが比較的多い近衛軍とは言え、主体はアルヴである。丸腰の兵相手に武器で蹂躙する事は考えられなかった。もとより近衛軍側には何の命令も下されていなかったから、両者はつまり、そこでにらみ合うだけであった。


 だがそれは王宮前広場の参列者には強い緊張をもたらした。

「一触即発」

 両者の態度から、誰しもがそう思っていた。

 しかしながらサミュエル・ミドオーバには今ここですぐに事を起こそうという気は毛頭なかった。

 彼はこの場面における自らの「負け」を認めていたのである。ここで下手に王国軍に手出しをすれば、それはどう考えても失敗を重ねる行為であった。恥の上塗りとも言える。

「陛下乱心」などと言ったところで自らが仕える国王に武器を上げた事には変わりはない。そもそも数が圧倒的に違う王国軍相手に近衛軍の中隊が仕掛けても戦闘にすらならないであろう。そして近衛軍の中にはイエナ三世に対して剣を抜くような行為を是としない兵も少なからずいるはずである。サミュエルがたとえ命じたとしても、その命令がそのまま遂行されるかどうかすら怪しいと言えた。

 そもそもがイエナ三世の行動は全てがサミュエルに対するあからさまな挑発の様なものであった。

 登場してからのイエナ三世は既に自分の態度を言葉で明確にしていた事にサミュエルは今更ながら気付いていた。

 イエナ三世は自分の味方に対しては名前で呼び、そうでない者は肩書きと族名でしか呼ばなかった。はっきりと「区別」していたのである。

 故アプサラス三世は戦場以外で臣下を呼ぶ際は分け隔て無く族名でなく名を口にしていた。イエナ三世にしてもエルネスティーネ王女時代には父に倣って臣下に対しては名を呼ぶ事を常としていたのである。距離を置くものとそうでない者を呼び方であからさまにする事で自分の態度をサミュエルに示していたとも言えるだろう。


 少し気付くのが遅すぎたかもしれない。

 サミュエルは素直に反省する事にした。イエナ三世を見くびっていた事と、自分の計画が予想以上に脆弱であった事に。要するにおごりがあったのだ。最大の脅威だと決めつけていた《蒼穹の台》を自らの手で亡き者にしたと思い込んでいた事が彼に無意識の傲慢を生んだのかもしれなかった。

 ここでサミュエルがとるべきは次善の策である。

 アルヴ兵が作る壁の向こう側でイエナ三世を乗せた騎馬が小さくなっていくのを、サミュエルは黙って見送っていたが、誰にも気付かれないほどの小さなため息の後で王宮前広場に向き直った。

 計画は完全に狂ったが、それでもなお彼には最終的な目的の為の修正案が既に用意されていたのであろう。

 だが、とりあえずやるべき事はこの場の収拾である。

 彼は口を開くと、広場中に響き渡る声で参列者に緊急事態を告げた。


 彼はまず大葬の参列者を王宮の離れである迎賓館に誘導した。

 広場からの移動は極めて短い距離ではあったが、静粛にするように強要されたマルクは憤然としてフェルンに食ってかかった。

「さっぱりわからん、我々はばかにされたのではないのか?」

 そう息巻くマルクに、フェルンはやんわりと諭すような口調で答えた。

「私もシルフィード王国の法律を子細に知っているわけではありませんが、要するにイエナ三世は途方もなく頭がいいという事ですよ」

 フェルンはそう言うと怪訝な顔をしたマルクににっこり笑いかけて続けた。

「シルフィードに限らず我が国の法律でも似たような『穴』や『隙間』があるものです。イエナ三世はその『隙間』をうまく突いて、今回まんまと近衛軍、いやミドオーバ大元帥が掌握しているこのエッダから脱出したと言う事です。国の主導権だけでなく、この場所から首都という肩書きまで奪って」


 イエナ三世は最初からサミュエル・ミドオーバがシルフィードの軍事に関する全権を掌握しようとしている事に気づいていたのである。アプサラス三世の逝去と何らかの関係があろうと無かろうと、イエナ三世はサミュエル・ミドオーバとは最初から袂を分かつつもりであったのだろう。

 だが国王とは言え後ろ盾のないままではただの飾り物である。そこでイエナ三世はサミュエルに対抗する者としてガルフ・キャンタビレイを選んだのである。それは誰の目にも自然な成り行きとして映った事であろう。

 そもそもキャンタビレイ侯爵家は居並ぶ公爵家を差し置いてもっとも国王に対する忠義が深く、そして厚いと言われる家柄である。

 ノッダにいたガルフと王宮内におそらくは軟禁されていたであろうと目されるイエナ三世がどうやって意思疎通を図っていたのかはこの際差し置くとして、二人は共謀して綿密な計画を立てた上でこの日、つまり大葬の日を待っていた。

 まずガルフが元帥会議で軍務大臣を「罷免」される事を回避した。元帥会議は満場一致に限り、大臣を罷免する事が可能なのである。そこには国王の意志は反映されない。

 罷免となると「常態ではない不在」に当てはまってしまう。国王が不在でかつ国王が招集していない元帥会議ではあっても「慣例」で元帥会議が開催されるのはもはや間違い無い「常態」である。既成事実が正義となることは多々あり、イエナ三世側にはそれを防ぐ必要があった。

 既に何者か、いやサミュエル陣営の暗躍により王国の中枢はほぼサミュエルの思惑通りに動く事は間違い無かった。トルマ・カイエン元帥と言えど、ガルフがこの非常時に再三の、それも国王の正式な帰都要請に従わないならば罷免動議に反対する理由を見つける事は出来なかったであろう。たとえそれがイエナ三世自身が自署した帰都要請書ではなくても、である。

 帰都要請書はサミュエルがでっち上げたものだと主張する事はたやすいが証拠は何も無い。証拠がないままで大元帥に対してそのような大それた誹謗中傷ととられる行為を働けばトルマは元帥職を剥奪されるおそれすらあった。トルマ自身が元帥職にこだわっているわけではないにしろ、元帥という肩書きを持っている方が何か事が起こった時には都合がいいのも確かであろう。

 大葬の前夜、それも夜半に緊急招集された元帥会議で、案の定ガルフの罷免は成立した。同時に次期軍務大臣代行にサミュエルを推す大勢にも彼は口を閉ざしていたのである。

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