第八十六話 遷都宣言 5/5

 一方、いったんイエナ三世の恫喝にひるんでいたバード達も動いた。

 バードはもともとサミュエル・ミドオーバ大元帥の指揮下にある組織だ。サミュエルはバード長をも兼ねており、むしろ平時はバード長としての役割の方が大きいと言って良かった。彼らがバード長の指示に従うのは当然であった。

 バード達がサミュエルの命でイエナ三世の立つ演壇に規則的な配列で囲い込みを始めようとした時である。イエナ三世は腰にぶら下げていた儀式用の剣を素早く抜き放ち、それを天にかざすと、驚くほどの大声で「全員その場を動くな」と叫んだ。

 それは小柄なアルヴィンの体のいったいどこから出たのかと思う程の大きな声で、さしもの「大音声のティルト」も顔色無しと言えるほどであった。もちろん特殊な力を使った増幅があるのだろうが、とにかくその声はその場の空気を振るわせた。

 一瞬耳を塞いだ人々が、次に行ったのは当然ながらイエナ三世が掲げた剣が指す方向に目をやることであった。つまり空である。

「見よ」

 イエナ三世が敢えて告げるまでもなく、その場に居たほとんど全員が空に顔を向けていた。

 トルマ・カイエンの執務室の窓から様子を伺っていたエスカとニームもまた例外ではなかった。

 そして人々はそこにあってはならぬものを目にした。彼らがその次に取った行動は息を呑むこと、続いて悲鳴を上げるか、叫ぶか唸るかであった。

「静まれ!」

 イエナ三世の大音声が再度響いた。

「余をこれ以上怒らせるな! 吹き飛ばされたいか、ミドオーバ大元帥!」

 人々が顔を向けた先、そこはエッダの上空であった。

 良く晴れ渡った空の一部に、暗い穴が空いていた。いや、穴ではない。そこには王宮一体を完全に飲み込む程の竜巻が、まるで生き物のようにぐるぐると回りながらうごめいていたのである。

 サミュエル・ミドオーバはそれを見て確信した。

 風のエレメンタルはいつの間にか自らの力に覚醒していたのだ。

 そして変わり身であるはずのイエナ三世はこれまたサミュエルの知らぬ間に本物と入れ替わっていたと言う事を。


 静まりかえった広場の中央に、一陣の風が走った。それは広場の端からイエナ三世に向かって吹き付ける風であった。

 腰まである長い金髪をなびかせたイエナ三世はその風を受けながら演壇を降りると、ゆっくりと風が作った通路を歩き始めた。その通路の先にはサミュエルが近衛軍を率いて立っていた。

 頭上に真っ黒な竜巻を従えて泰然と近づいてくる女王の気に圧したのか、誰も何も命じないのに近衛軍はイエナ三世の為にその壁を崩して道を空けた。


「いつです」

 その顔を見向きもせず、ただ前を向いたままで横を通り過ぎようとしたイエナ三世に、サミュエルはたまらず声をかけた。

「いつ入れ替わられたのか?」

 イエナ三世は自分にだけ向けられた小さな声に反応して立ち止まった。

「何の話か?」

「確かにあの夜、風のエレメンタルは……」

「何の事を言っておるのかわからぬな。余はただ一人の余じゃ」

「まさか……儂は初めからアプサラス三世にだまされていたと言うのか?」

「ふ。さあて、な」

 イエナ三世はかすかに笑うと、もうその話題には興味がないといった風に再び歩き出した。結局サミュエルには一瞥もくれぬままに。そして彼女を待つ太古からのカラティア家忠臣、キャンタビレイの末裔の前で立ち止まると息を大きく吸い込んでエッダでの最後の号令をかけた。すなわち「出城宣言」である。

「皆のもの、往くぞ! エッダを後に、我らが新しい首都、ノッダへ!!」

 それはまさにエッダ中に響けと言わんばかりの、大きく、そして澄んだ良く通る声であった。

 通りを埋め尽くしていた王国軍の兵士達は女王の声に答え、手を振りかざして鬨の声を上げた。

 その大歓声の中、イエナ三世は大きなガルフ・キャンタビレイに手を差し出した。ガルフは恭しくその手を引いて女王の体を抱き上げるとそのまま騎馬に乗せた。

「出発だ、リーン。我らが新しき都へ」

 リーンは控えていた親衛隊の一人に合図をした。親衛隊の号令係は手にしたラッパを空に向け、高らかに進軍の旋律を奏で始めた。

 勇ましい旋律が吸い込まれてゆくシルフィード大陸東部の空はいつの間にか竜巻が消え、元通りの抜けるような青空であった。



 現在の、主に政治形態による分類歴史学に於いて第四次ファランドール大戦と命名されている戦争が開戦されたのはドライアド王国フェリックス五世に依るサラマンダ侯国に対する宣戦布告日、すなわち星歴四〇二七年黒の一月二九日となっている。しかし、いわゆる「月の大戦」と呼ばれる、エレメンタルを巡る伝説の闘いの開幕はイエナ三世の遷都宣言が行われたこの日であるというのが各方面で了解された事項であることはここに改めて記しておこう。

 ファランドールの歴史は今ここに、小さなアルヴィンの行動によって大きなうねりを生もうとしていた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る