第八十七話 ニームの選択 2/6

 大葬の直前にそれら重要事項が急遽決められたのも、サミュエルの戦術であった。

 ガルフがエッダに乗り込んだ時には、すでに大臣ではなくなっているという筋書きであったのであろう。

 だが、そのサミュエルの戦術をイエナ三世の戦略が上回った。「常態ならざる事態」を作らぬ為に、いったん「常態」である「辞任」を受け、それを了承したという事実を作り上げていたのである。ご丁寧に辞任を認めるという国王自筆の文書まで作成して。

 注目すべきはこの戦略は相当以前から練られていたのではないかという点である。

 理由はイエナ三世の特殊な二重署名である。

 記述の通り、イエナ三世の署名は風変わりな二重署名になっている。彼女は単純な署名と二重署名を作る事で署名に序列を作る事に成功していた。つまり二重署名を通常署名よりも格上とする事に成功していたのである。

 イエナ三世は戴冠した当初からこの二重署名を使っていた事がわかっている。つまり、戴冠時にすでにそういう事を見越した「手」を打っていたと考えられるのである。

 それは早速ガルフの辞任承認書の署名という形でその効力を発揮した。

 サミュエルには一目見てその署名が真筆であることはわかったに違いない。その時点でイエナ三世とガルフ・キャンタビレイが彼の知らないところで「通じて」いたという事実を知り、混乱する事になった。それは彼が自らの計画を遂行する上に於いて未知の勢力、いや力が存在する事を初めて知った瞬間でもあった。


 そういうわけで「常態ならざる事態」は存在せず、罷免も、軍務大臣代行の指名もそもそも前提が覆り成立しないことになった。

 さらにその上でイエナ三世はおよそサミュエル側では対処不可能と思える事態を作り上げた。五個師団もの人数をエッダに引き連れ王宮を取り囲んだ挙げ句に、受け入れ体制はどうなっているのだ? というあの理不尽きわまりない要求がそれである。

 当時のシルフィードの法律では首都における王国軍の受け入れに関する全権と言うのは、想像するよりもかなり大きな権力であった。簡単に言えば平時である限り王国軍の制御に関する最上位の実権を握る事になるのである。

 正確には有事以外と記されているが、有事とは国王が宣戦布告を行った後の事態の事と定められている為、戦争下でないかぎりは受け入れ役である総務大臣の権限は絶対と言えた。それをほぼ全員が理屈としては納得いく形で取り上げた上で、既に軍務大臣ではなくなっている「キャンタビレイ侯爵」に委譲することで、「首都」に限ってではあるが、ガルフの権限は全王国軍に対して有効になった。つまり、元に戻ったというわけである。

 そして、ここで重要になってくるのが、法の表記である。

「首都」とはあるが「エッダ」とは書かれていない。遷都が行われるシルフィードでは当たり前ではあるが、イエナ三世の陣営はそれを最大限に解釈し、利用した。

 それがあの『遷都宣言』である。

 シルフィードの遷都法によれば、国王が遷都宣言をした瞬間から、新しい首都が首都となる。すなわちノッダが首都になってしまったのである。エッダは「前都(ぜんと)」と呼ばれる事になる。

 また、特例として国王が新しい首都の王宮へ入り、戴冠して玉座に座るまでの期間中は、前都エッダと首都ノッダを繋ぐ街道は遷都道と呼ばれ、首都と同じ場所とされる。

 要するに王国軍はノッダに入るまでも入ってからも、ガルフが全軍の総指揮を執れる事になったのである。


 遷都法に記された「遷都」とは、国王が自ら新しい首都に遷都する旨を宣言した時に効力を発揮する事になっている。特に様式も書式もなく「宣言」のみによって成されるところが「古代法」と呼ばれる遷都法の特徴であろう。だが遷都法を定めたとされるイエナ二世から数千年の後もそのまま運用されていた。そもそもが極めて簡素な法律であり、五百年に一度行われる事と、遷都可能な都の場所と名称、そしてそれについてまわる特別な暫定的国家体制について大まかに記述されているに過ぎない。

 ただ遷都宣言が成されてから実際に新しい首都で遷都体制の終了が同じく国王の口から告げられるまで、多くの権限が国王に集中する仕組みになっていた。

 様々な行政機関が臨時体制となり、その体制の「長」を指名するのは国王であったからだ。

 五百年に二年程足りずに遷都を行う事についても実のところ問題ではなかった。

 もともと遷都法は「月歴」と呼ばれた時代に作られた法律であり、その時の一年は星歴よりも少し短い。すなわち星歴を基準に五百年に足らずとも月歴換算では五百年を超えていたのである。さらに言えば過去の遷都もきっちりと五百年ごとに行われているわけではなかった。つまり法解釈としては「約五百年」とされていたのである。

 つまり、イエナ三世がその日行ったことは全て法律に則った行動だという事である。

 公式でありつつ、しかも同時に対外告知も可能な日を選ぶとすると、大葬は実に都合の良い儀式であった。非常識な大軍の参集も、国王がエッダからノッダへ安全に移動する為に欠くべからざる護衛として必要なものであった。一見大げさな「しかけ」に見えたが、結果から帰納して吟味すれば、全ては実に適切な処置であると言えた。

 ガルフ・キャンタビレイの事である。ノッダにも相当数の兵を集めて守りを固めた上で国王の入城体制を整えているのであろう。


「つまり」

 フェルンは最後にこう言って説明を締めくくった。

「幸運な事に名代様はさらなる手柄を立てる機会を得たということでございます。ここはできるだけ速やかにドライアドに戻り、事態を陛下にご報告せねばなりません。シルフィード王国は、いやファランドールは今、大きく動き始めたのです。今回この場にいてこの事件を目の当たりにされた名代自らの言葉で報告されればさぞや陛下はお喜びになるでしょう。ドライアドとしても今後の軍事体制に大きな影響を及ぼす出来事でございますゆえ」

 マルクは事の次第の説明はともかく、手柄という言葉に大いに反応した。そうなると態度はころりと変わり、それまでの苛立ちはどこへやらである。

 帰国したら名代職に対してどの程度の褒美がもらえるかという実務的な話題に転じたフェルンに満面の笑みで応じると、フェルンが挙げる規定額にいちいち文句を付け、相応以上の褒美を羅列し出したのである。


 その二人の様子を表情一つ変えず、しかし苦り切った気分で眺めていた二人の特別神官、すなわちリンゼルリッヒ・トゥオリラとジナイーダ・イルフランは目配せをして宮殿右翼の部屋、つまりエスカとニームが居るはずの部屋の窓にそれとなく視線を向けた。

 今現在は下手に動けないが、隙を見て自分達が本来仕える主(あるじ)の下へ急ぎ駆けつけようと考えていたのである。マルクの様子を見る限り、フェルンに任せて置いて大丈夫だという判断であった。

 二人はフェルン・キリエンカという男には心底感心していた。これほど邪気や本心を表に見せず、心にもない事を言葉や表情だけでなく体中で相手に表現できる人間を見た事がなかったのだ。普通に考えれば大げさな仕草や物言いであっても、フェルンがやると不自然どころか相手は知らず知らずにその影響を受けて舞い上がってしまうのである。

 賢者である二人が脇から見てもそう思えるのだ。虚栄心が人一倍強く、ある意味心が隙間だらけのマルク・ペシカレフ公爵のような人間にとってはより効果が強く働くようで、最近ではマルクは引き連れてきた綺麗どころを侍(はべ)らすよりも普段はフェルンを側に置く事を好んでいたくらいである。

 二人が見上げた先の部屋の窓には、既にエスカとニームの影はなかった。事の次第は全て見ていたはずである。だが既に次の行動に移るべく準備中か、はたまた行動を起こした後かの判断はつきかねた。

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