第八十六話 遷都宣言 3/5

「ガルフ!」

 イエナ三世は今度はガルフ・キャンタビレイ侯爵に声をかけた。

「は」

「ひょっとすると侯爵は五個師団の王国軍の受け入れに関して、解決策を持っておるのではないか?」

 少数ではあるが、広場にいた人間のうち何人かは、登場してからこっち、イエナ三世が周到に積み上げてきた「芝居」の顛末がおぼろげながらわかりかけていた。

 シルフィードの法では王国軍の受け入れの指揮権は総務大臣が握っていたのであろう。その総務大臣を始めとする文官の内政大臣は近衛軍大元帥の指揮下にあり、しかもサミュエルの幕僚である。つまり手の届きにくいところに置かれていた鍵を、イエナ三世は手にしたのである。

 要するにイエナ三世は一時的ではあるが王国軍を合法的に直轄下に置いたのである。軍務大臣不在というあやふやな期間をそのまま放置しておけば、たとえ法的にサミュエルの内定を無効化したとは言え並ぶ階級が存在しない大元帥という地位が持つ「権力」が実質的に王国軍を掌握するのは時間の問題であろう。王国軍はあくまで軍務大臣を頂点とする組織であり、国王自身は軍を直轄しないのだ。唯一、ル=キリアを除いて。しかしそのル=キリアは既にない。

 イエナ三世の術中にまんまとはまったのは総務大臣であるカラミティ・バングルの浅考に依るものだと言い捨てるのはたやすい。しかしたとえ誰が総務大臣であろうと同じ結果であったろう。イエナ三世が踏んだ手順はそれだけ巧妙だったのだ。

 そして王国軍の指揮権を合法的に手に入れたイエナ三世は、その王国軍の指揮官を辞任したガルフ・キャンタビレイに声をかけたのである。

 それはある意味で国王が演じた壮大な茶番劇とも言えた。

 辞任したガルフ・キャンタビレイ大元帥は名目こそ違うとは言え再び王国軍の指揮権を手にすることになったのだから。


「国王が是非にとおっしゃるのならば、このガルフ・キャンタビレイ、五個師団であろうと十個師団であろうとお引き受けいたしましょう」

「キャンタビレイ侯爵の言や良し」

 相変わらず間を置かず用意してきたような芝居がかった台詞でその場を支配するイエナ三世に、観衆はある意味釘付けであった。

 多くの人々は、この常識外れな言動をとる女王が次にいったい何を言い出すのか……それを期待して待っているような気分になっていた。

「ですが、一つだけ条件がございます」

 ガルフもまた、会話の間を置かず自身の台詞を正しく口にした。

「陛下のお申し出をそのままお受けするには、いささかエッダは狭もうございます。総務大臣に確認するまでもなく、王国軍師団の全兵を受け入れるだけの受け皿はここには存在せぬでしょう」

「余は回りくどい言い回しは好かぬ。端的に申せ」

「おそれながら、一言で言うなら『我が準備はエッダの外にあり』でございます」

「そんなことは当然であろう。かまわぬ。承知した」

 そう言うイエナ三世に法務大臣であるカラミティ・バングルがたまらず声をかけた。

「お、おそれながら、それは権限外でございます」

 バングルの声は掠れていたが、これだけは言わぬ訳にはいかぬ、という決意がその表情ににじみ出ていた。

「我が総務大臣の王国軍の受け入れに関する諸事権限は首都エッダに限ったもの。エッダ以外の王国軍についてはその権限の外となります。すなわち……」

「すなわち余がキャンタビレイ侯爵に委譲した権限はエッダを一歩出ると無効だとでも言いたいのか?」

 そう言って睨み付けるイエナ三世に、しかし総務大臣も負けてはいなかった。

「私は法的に正しいことを申し上げているだけでございます」

 イエナ三世は眼を細めると、今度は法務大臣であるバレニーに声をかけた。

「一応確認しておく。バングル総務大臣の言う事は確かか?」

 バレニー法務大臣は頷いた。

「明文化されている軍法にそう書かれてございます。ご指示があれば条文を読み上げますが?」

「いや、無用だ。法務大臣がそう言うならば敢えてその必要はないだろう」

 イエナ三世は手を上げて条文の暗唱を制した。

 動きをエッダに制限されたイエナ三世が困惑するであろう事を想像していた元帥や大臣達はしかし、満面の笑みを浮かべた女王の顔を見る事になった。

 その後イエナ三世がとった行為、それこそが後世に伝わる一連のイエナ三世伝説の始まりであった。

 その最初の伝説、有名な「イエナ三世の三宣言」の始まりである。

 イエナ三世はまずガルフに向かいこう告げた。後に「軍務大臣再任命宣言」と言われる内容の命令である。

「カラティア朝シルフィード王国国王イエナ三世の名において命じる。首都内に於ける王国軍諸事権限をガルフ・キャンタビレイ侯爵に一任する」

 続いてイエナ三世は大勢の列席者に顔を向け、こう言い放ったのだ。

「これにて国儀を終え、引き続き大葬の儀に移る。参列の方々はご起立いただきたい」

 それは突然の大葬の儀の開始を伝えるものだった。

 大葬には事前に式次第というものが決められていた。そしてもちろんイエナ三世の行動はその式次第には一切ないものだった。

 これにはさすがにシルフィード王国の政府関係者が混乱状態になった。

 だが彼らが参列者の前でその醜態を晒す前に、イエナ三世は自分の行為の正当性を告げたと言う。

 記録にはこうある。

 まずイエナ三世は「大葬」の意味に触れた。

 大葬とは国王が主催するものであること。

 式次第については明文化されたものはなく、ただの慣例であること。

 とは言え、慣例をないがしろにしているつもりはなく、大切なのはその趣旨であるという事を、簡潔に順を追って説明した。

 すなわち、自分のやっていることは法律上も大葬という趣旨から見ても間違った行為ではないことをはじめに参列者に示したのである。

 その上で彼女は実の父である故アプサラス三世の代表的な功績をいくつか上げ、敬意を示し、深い追悼の意を表した。

 そしてその後にいよいよ例の「宣言」が告げられたのである。


「シルフィード王国国王、イエナ三世の名に於いてここに宣言する。本日をもってシルフィード王国は遷都を執り行い、ノッダを首都とする」

 淡々とした言葉だった。

 人々はイエナ三世がいったい何を言ったのかを理解するのに少しの時間を要した。

「これこそが遷都事業に粉骨砕身していた前王の悲願。それをこの大葬での一番の手向けとする」

 イエナ三世の三宣言の一つ、「遷都宣言」は大葬の儀の中でアプサラス三世への「餞(はなむけ)」という形でなされたのである。

 予定では遷都は二年先のはずであった。

「お待ちください」

 大声で人々を我に返したのは、サミュエル・ミドオーバ大元帥だった。

「非常識にも程があります」

「左様、お戯れにも程があります」

 呼応したのは近衛軍元帥、イヤバス・ウーレンハウトだった。

 ただただあっけにとられていた大葬の参列者達も、さすがにざわめき始めた。

 だがここへ来てイエナ三世は敢えて事態収拾の為の言葉を発することなく、ざわめきが広がるのを平然とした表情で眺めていた。

「さすがにここまでめちゃくちゃですと、陛下は何かしらよからぬ病気でご乱心あそばされたと思われますぞ」

 これは法務大臣のワサン・バレニーだった。

 バレニーの声は普通の大きさだったが、部隊の前列にいた参列者の耳には達していた。その言葉に多くの参列者が心の中でうなずいていた。

 確かに「陛下ご乱心」と言われても仕方のない発言と言えた。

 国儀とやらでおこなって見せた、王国内部の乱れをわざわざ外向けに披露した行為も前代未聞の行為には違いなかったが、五個師団もの兵士の収拾が付いたと言う事では参列者もほっとしていたのも事実である。だが、その後いきなり始まった大葬の儀はわずか数分で、イエナ三世の弔いの言葉のみが式次第の全てであった。参列者からの弔辞や、そもそも公式な外交の場には初めてその姿を現す新しい王と、彼女を補佐する国の重鎮の紹介を兼ねた弔文朗読が一切割愛されるのは異様としか言いようがない。

 最後の最後まで「意図はわからないが、凝りに凝ったシルフィード風の演出なのではないか?」と思っていた心の広い参列者もさすがに遷都宣言に至っては「これはおかしい」と考えるしかなかったであろう。

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